傷跡は今も てんかんと闘うケニアの人びと

2020年03月24日掲載

てんかんに関する知識を学校の生徒たちに伝えるMSFスタッフ(リベリアにて)。この病気に対しては、いまだに社会的な誤解や偏見が根強い。 ©Armelle Loiseau/MSF てんかんに関する知識を学校の生徒たちに伝えるMSFスタッフ(リベリアにて)。この病気に対しては、いまだに社会的な誤解や偏見が根強い。 ©Armelle Loiseau/MSF 

病院までの道はあまりに長く──ジョゼフさんの場合

つらい毎日だ。いつけいれんが始まり、地面に倒れこむか分からない。62歳のジョゼフさんにとって、てんかんとの付き合いは30年余りになるが、いまだに不安な日々が続いている。この病が彼の人生に与えた影響は、多大かつ深刻だ。

ジョゼフさんは、てんかんについて多くの誤解が残る時代を生きてきた。自分自身の病気と向き合い、いくつもの治療法を試してきた。処方に従って薬を服用することで、発作の頻度を大幅に減らしてきた。

30年前に比べれば心労も減った。なにしろ今は、自宅に近いエンブ郡カイルリ地区の診療所まで出かければ、必要な治療薬が手に入るのだ。「この(カイルリの)施設は自宅のすぐ近くなので、郡の中心街まで行かなければならなかった頃と比べると、移動距離も短くなりました。中心街まで出向くとなると、リスクも大きくなります。その頃は、妻にも心配をかけました。私が歩いている途中でけいれんを起こして、車にはねられはしないかと不安がっていました」

てんかんのけいれんがジョゼフさんを襲ったのは若い盛りの頃。当時のジョゼフさんは、首都ナイロビと周辺街とを行き来する乗合タクシー「マタトゥ」の運転手だった。お金も十分に貯まり、妻と3人の子どもを養うため、さらに収入を増やそうと、マタトゥを個人所有しようと考えていた。しかし、その夢はかなわなかった。「貯金はすべて治療に使い果たしてしまいました。この病のせいで運転もできなくなりました。いまや木に登ったり、火のそばに寄ることもできないのです。しかたなく自家菜園をやることにしました。いまはそれで毎日の食べ物を手に入れています」と彼は語った。

2018年から、ジョゼフさんは、自宅近くのカイルリ診療所でてんかん治療を受けるようになった。それ以前は、てんかん治療を受けられる施設と言えば、自宅から遠いエンブ総合病院のみ。高い費用を払いながら、そこまで出向いていたのだ。彼と同じような不便を強いられてきたてんかん患者は多い。 

NCDs対策を進めるMSF

 てんかん、ぜんそく、糖尿病、高血圧などの非感染性疾患のことをNCDs(Non-communicable disease)という。2017年半ば、エンブ郡において、国境なき医師団(MSF)は、NCDs医療体制を既存の一次医療施設に統合するためのプログラムを開始した。

このプログラムは人材育成に重点を置くものだ。MSFスタッフが一次医療施設においてケニア保健省の臨床スタッフにNCDsの対処方法を指導する。育成プログラムをひととおり受け終わった頃には、自分ひとりでNCDs患者に対応できるだけの技能が身についているというわけだ。

2017年8月以来、支援先施設において 、MSFは3900人近いNCDs患者を受け入れて治療してきた。彼らのうち273人はてんかんを抱えている。現在は、すべての患者が診療所などの基礎的な医療機関で診察を受けており、重症になった場合にのみ、郡の総合病院に移される。

「てんかん患者のなかには、様々な誤解や偏見のせいで、適切な治療を受けられない場合もあります。病の原因や治療方法がよく理解されていないのです」そう語るのは、エンブ郡でMSFプロジェクト・コーディネーター兼医療チームリーダーを務めるエリシャ・シトレ医師だ。

てんかんの発作を起こして火の中に倒れこんだ男性 ©Paul Odongo/MSFてんかんの発作を起こして火の中に倒れこんだ男性 ©Paul Odongo/MSF

まじないの儀式までやった──マケナさんの場合

9歳のマケナさんが最初にけいれんを起こしたのは2歳の時だった。当時、彼女の母親は、その後の長い苦難の道のりを想像だにしていなかった。「牛の乳しぼりをしていたら、娘がおかしな音を立てているのが聞こえたんです。駆け寄ってみると、床の上でけいれんしていました。びっくりして、どうすればいいのか分かりませんでした。そのときは復活祭の準備をしていたのですが、何もかも取りやめになりました」

マケナさんは、母親の手でエンブ総合病院に担ぎ込まれ、1週間ほど入院した。その後、彼女がさらにけいれんを繰り返すと、母親は薬草医による民間療法に頼るようになる。「薬草治療に毎月3万ケニアシリング(約3万2700円)ほど支払っていました。娘に良くなってほしくて、他にどうしようもなかったのです」

半年が過ぎて、治療費もかさんできたが、マケナさんの発作は続いた。彼女の父親が語る。「1年もすれば良くなると言われたのに、その1年が過ぎても何の進展も見られませんでした。けいれんを繰り返すばかりです。何かの呪いではないかとも考えて、自宅や妻の実家でまじないの儀式までやったのですが」

その頃になると、マケナさんは、たび重なる発作のせいで、顔と頭部が傷だらけになった。卒倒するたびに身体を痛めていったのである。傷跡はいまも残っている。頭に内部損傷を負っている可能性も出てきたので、国内最高水準の総合病院であるケニヤッタ病院に移された。幸いなことに、スキャン検査の結果、内部損傷は見つからなかった。

エンブ総合病院に戻されたマケナさんに、医師は以前より多量の薬を処方した。その薬は、病院内の薬局では取り扱っていないため、両親は毎月およそ6000ケニアシリング(約6500円)を支払って購入する必要があった。母親は、祈りにも似た微笑みを浮かべる。「いくらか回復が見られました。担当医は、10歳になる頃には治る見込みがあると言っています。いまは9歳。薬を飲ませるのを欠かしたことは一度たりともありません。薬を手に入れるためなら何だってしますよ。薬が娘を守ってくれているのですから」

マケナさんの母親は、配管工として、近隣の水道会社に勤めている。父親のほうは、フルタイムで農業に従事し、近隣の製茶工場向けにトウモロコシを栽培している。収入は多くないが、娘の回復した姿を見たいという思いから、高額な医療費をなんとかやりくりしてきた。

「このカイルリ診療所なら、毎回無償で薬が手に入ります。手に入らなかったのは、施設の在庫が切れたこの2週間ぐらいのものです。スタッフの方々はとても親切です。マケナがけいれんを起こした時の抱き起こし方まで教えてくれました」と母親は語る。「けれど、ここに娘を連れてくる時は、いつも休暇届を会社に出しています。この診療所も、やはり家から遠いので」 

発作を起こして火の中に倒れ込んだ──デイビッドさんの場合

33歳のデイビッドさん。彼の人生も、はじめてけいれんを起こした時をきっかけに、大きく変わってしまった。受付員として働いていたが解雇された。まもなく妻も、1歳になる息子を連れて去っていった。

彼は語る。「この病気のせいで、どこも私を雇ってくれません。仕事中に倒れてしまうのではないか、周りの人びとを傷つけるのではないか、面倒なことを起こすのではないか、と警戒されてしまうのです。もう発作は起こしていないんですけどね」

デイビッドさんは火の中に倒れ込んだことがある。兄弟で料理していた時のことだ。上半身の右側にやけどを負ってしまった。エンブ総合病院で治療を受けて退院することができた。火の中に倒れた瞬間のことは覚えていない。しかし、そのあと病院で感じた痛み、そして、やけどで負った大きな傷跡が、あの日のことを思い出させる。「覚えているのは気が遠くなったことだけです。次に気がついた時は病院でした。激痛が体を走っていました」 

適切な医療が希望をもたらす

発作の引き金となるものは様々だ。てんかん患者のなかには、火や高熱によって発作を起こす人もいる。一方、大音量の音楽や光の点滅を引き金とする人もいる。

ジョゼフさんには6人の子どもがいる。学生の末っ子以外は、みな既婚者だ。一方のデイビッドさんは、いまも母親と暮らしているが、人生を変えようという思いから、近くの農園で臨時雇いの仕事に励んでいる。そしてマケナさんは学校に通い、将来は医師を目指している。3人とも、カイルリ診療所で薬をもらっている。今後も薬を服用していけば、健康で生産的な人生を送れるはずだ、という希望を抱きながら暮らしている。 

※プライバシー保護のため、登場人物の氏名はすべて仮名としています。 

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