「ナタで襲いかかり、住民を皆殺しに」——避難者たちが打ち明ける襲撃の惨状
2018年04月09日
10万人——ひとつの都市が消えるほどの人口が家を失い、国内外で避難生活を送る。昨年12月に戦闘が発生したコンゴ民主共和国(以下、コンゴ)で、そんな状況が生まれている。
発端は、イトゥリ州ジュグで発生した部族間衝突だ。農耕民族レンドゥ族と遊牧民族エマ族との数十年間にわたる緊張関係が再燃し、住民に対する暴力へと発展。人びとは州都ブニアなど周辺地域に避難したほか、アルバート湖を越えて隣国ウガンダに逃れた難民も多い。
着の身着のままで逃げてきた人びとは食料や水もなく、長引く避難生活で健康状態も悪化。国境なき医師団(MSF)はブニアや周辺地域の避難民キャンプで援助にあたっている。
村の焼き討ち、刃物による無差別な殺人……避難者たちは、MSFに襲撃の惨状を打ち明ける。
「襲撃が村に迫ってきたので、12歳と15歳の子を連れて逃げました。やつらは村人を皆殺しにするつもりでした」。ウガンダに逃れた40代のシファさんはこう話す。夫は仕事を続けるため、1人でコンゴに残った。
2000年代にもイトゥリ州の紛争を経験したイマニさん(53歳)は、「今回は当時よりひどい」と話す。「あのときも家に火をつけられましたが、村には帰れました。今、人びとは追いつめられて殺されています。犬をけしかけて私たちを森の中まで追い回すんです」
漁師のバラカさん(20歳)はアルバート湖畔の村からウガンダに避難してきた。
「3月8日の朝5時ごろ、漁の最中に湖岸の村々が放火されているのが見えました。岸辺に近づいたとき、ある女性が湖に向かって走って来ました。ナタで武装した男が追いつき、女性は殺されました」
避難途中に家族とはぐれ、離れ離れになった人も多い。身寄りのない子どもや妊婦、高齢者は周囲の助けが得られないでいる。
エンリエットさん(20歳)はウガンダのカゴマ難民受付センターに滞在中だ。1月中旬、村が襲撃を受けたときに避難した。混乱のなか夫と子どもを見失い、居場所が分からない。手にしていたスーツケースは、中に詰めた衣類ごと売り払った。ウガンダへの渡航費を工面するためだ。妊娠4ヵ月だが、頼れる人はいない。
難民の保護・援助体制が整っているウガンダにあっても、受け入れ施設は押し寄せる難民に対応しきれず、人道援助は現在も足りていない。
難民は家族を養うのもやっとだ。「配給された食べ物は1週間前に食べきってしまいました。叔父が何とか食べ物を見つけてくれ、湖で採れた小魚を主に食べています」と14歳のジョアンヌさん。
イトゥリ州から20km離れた避難所に身を寄せるエマニュエルさんは、8人の子どもの父親だ。長引く避難生活のなか、食べ物を手に入れようと一時帰宅した。
「朝早くに畑へ出かけました。キャッサバを少し採ろうとしたんです。そのとき、近くの村から炎が上がるのが見えました。その前の数日間は落ち着いていたので、森に避難していた村人たちも家に帰っていました。しかし、夜明けに再び襲撃しに来たのです。やつらはナタで襲いかかり、目につく限りの人を殺しました。生き延びるためには、また逃げるしかありませんでした。何も持ち帰ることはできずに」
多数の避難者に国境なき医師団ができることは?国境なき医師団 日本さんの投稿 2018年4月4日(水)
MSFはコンゴ民主共和国イトゥリ州の州都ブニア内3ヵ所の診療所を支援し、2月以降、外来診療約5000件、負傷者の治療77件を実施した。アルバート湖岸の避難所4ヵ所でも活動し、清潔な水の確保や感染症に対応している。コレラの感染拡大は深刻で、これまでに36人以上が死亡し、重症患者約1800人が入院した。MSFは流行に対応するため、難民に基礎医療と予防接種を提供。質・量ともに食糧と仮設住居が足りなければ、深刻な状況は続くものとみられる。