グアテマラ:HIV/エイズ患者
2005年09月25日HIV陽性患者のアダムは、グアテマラの社会保障庁から抗レトロウイルス(ARV)薬がないから長くは生きられないだろうと告げられた。ただ死を待つことはできないと考えたアダムは、プエルト・バリオス病院でプロジェクトを実施していた国境なき医師団 (MSF)に助けを求めた。
MSFはイサバル県の県都、プエルト・バリオスの公立病院で、HIV/エイズ患者に対し総合的な医療を提供している。グアテマラの保健省と社会保障庁はHIV患者の看護と治療を首都でしか行っていない。このMSFのプロジェクトは、国が地方に住む大勢の患者を見捨てるのではなく、全国的にエイズプロ グラムを全国的に展開していくためのよい先例となっている。
プエルト・バリオスのMSFプログラムでソーシャルワーカーとして働くレティシア・ソリアノは、アダムの家「パラダイス」を頻繁に訪問する。彼女は私たちに「これから訪ねる患者はアダムという名前で、50才です。患者の秘密を保つため、MSFだとは分からないように訪ねることにしています。少し離れた場所で車を降りて、そこからは歩きます。彼がエイズだから訪問を隠すわけではなく、控えめにするのがいちばんだからです。」と言う。「パラダイス」への道は泥でひどい状態になっているところもあり、この時期、雨が最も強くなる日暮れ時には完全に通行不可能になってしまう。「パラダイス」はプエルト・バリ オスから30分のところにあるモラーレスにあった。
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「病気であることは受け入れられても、すぐ死ななければならないことは受け入れられませんでした」
アダムは立って私たちを迎えてくれた。脚が弱っているために少しふらついていたが、まっすぐに姿勢を保ち、歓迎の笑顔を浮かべた。「パラダイス」は、入り口にパンや炭酸飲料を売る小さな店がある質素な家である。塀に囲まれた裏庭があり、さまざまな色や大きさの雌鶏が走り回っている。少し離れて、青 々と茂るヤシの木に囲まれた空き地がある。
家の中を案内しながらアダムが言う。「病気になる前は、港で働きながら、畑でも種播きなどの作業をよくしていました。」イサバル県にはグアテマラ最大の商業港があり、移住者の行き来も多い。また、ガリフナと呼ばれるカリブ系黒人の人口が国内でもっとも多い土地でもある。イサバル県のHIV感染率は、 首都のあるグアテマラ県に次いで国内で2番目に高い。
「病気がわかったのは去年の春、復活祭のころでした。体重がひどく落ち、ほとんど動くこともできませんでした。私は港湾労働者だったので、社会保障庁の病院に行く権利がありました。その病院には22日間いましたが、治療のための薬がないという理由で、出されてしまったのです。彼らは私の妻に、ここで できることは何もないから、家に連れて帰って死なせてやりなさいと言ったのです。」アダムの視線は、チャンスが常にどこかに隠されていることを知っている かのように水平線上に向けられていた。
「薬もないまま放置される危険を冒すつもりはありません」
「そのまま家には戻りたくありませんでした。死ぬことを拒否したんです。」とアダムは言う。「ある家族からMSFがプエルト・バリオス病院で活動していると聞き、そこに移して欲しいと頼みました。社会保障庁の病院では救急車を使うことさえ渋りました。私は病気であることは受け入れられても、すぐ死な なければならないことは受け入れられなかったのです。」
プエルト・バリオス病院のMSFのもとに着いたとき、アダムは非常に衰弱していた。彼はMSFの治療を受け始めたときの写真を見せてくれたが、ほとんど骨と皮しかなく、空虚な目をしたその人物が彼だったとは信じられなかった。「社会保障庁の病院を出たとき、私の免疫レベルは8でした。そのあと、 MSFで治療を始めてから22に上がり、最近の血液検査では178だと言われたんです!MSFの病院では、無料で薬をもらっています。この病院から離れた くありません。妻は、社会保障庁の治療を受ける資格があるのだから利用するべきだと言いますが、グアテマラシティまで行って長い間治療を待たされるつもりも、薬もないまま放置される危険を冒すつもりもありません。今はウイルスをコントロールできることが分かっている治療を受けているのですから。」
グアテマラ保健省と社会保障庁は、HIV/エイズ患者への治療および医療提供を首都のグアテマラシティでしか行っていない。それ以外の場所にすむ患者には支援を受ける手段はない。このためMSFは2003年以来、イサバル県のプエルト・バリオスとリビングストンでプロジェクトを運営し、HIV/エイズ患者に対する医療提供を地方に分散させるよう、政府に働きかけている。現在、MSFのプロジェクトを2007年に引き継ぐべく交渉が行われているが、政府側に患者の治療に本腰を入れて取り組もうとする姿勢はほとんど見られない。
世界保健機関(WHO)と国連合同エイズ計画(UNAIDS)は現在、グアテマラのHIV陽性患者の数を7万8千人としている。ARV薬による治療を緊急に必要としている患者のうち、実際に治療を受けている人は30%にすぎない。MSFはグアテマラ県とイサバル県で、約1600人の患者を治療しており、そのうち約300人はプエルト・バリオスとリビングストンの患者である。患者はイサバル県だけでなく、孤立した村落がとりわけ多い北ペテン地方から もやって来る。彼らが約5時間かけてプエルト・バリオスに来るのは、首都グアテマラシティに行くより近いからだが、その多くはすでに非常に深刻な症状に 陥っている。
近所の人はみなアダムを知っている。彼は生まれてからずっとここで暮らしてきたのだ。「私がこの病気にかかった原因をあれこれ詮索する人もいます。でも、妻と子どもたちのことさえ悪く言われない限り、自分について何を言われても気にしません。」アダムの健康状態を24時間見守っている女性の顔が入り口からのぞいた。「これが妻です。」二人が若い頃にアティトゥラン湖で撮った写真を見せながら、アダムが言う。「二人の子どももとても協力的です。私が薬を飲んでいるか、ちゃんと食べているかをいつも気にしてくれています。すばらしい子どもたちです。二人には、自分の体に気をつけるようにと言っています。予防がどれほど大事か、身をもって知っていますからね。後になってから検査や治療を受けるのは、本当にたいへんですから。」将来の希望について訊ねると、彼は20代の二人の子どものことだけを語った。目を潤ませながら、二人が家族を持つのを見たいと言った。
グアテマラ政府が、国家エイズプログラムの地方分散化に必要な人的・物的資源を十分に確保できない限り、アダムもそうなったかもしれないように、何万人ものグアテマラ人が、希望はないと告げられて死んでゆくだろう。それを避けるには、法的な制限と自由貿易協定のもたらす障害を乗り越えて、良質で安価な医薬品を手に入れる方法を探すこと、そして保健医療に最優先で取り組むという政治的意思が不可欠である。しかしその目標達成への道はまだまだ遠い。
「だから我が家をパラダイスと呼んでいるんです」
レティシア・ソリアノは、アダムのケースは非常に特別だと言う。彼女が会った中で、妻や家族のサポートを受けている男性はほとんどいないからだ。「HIVは単に治療すればよいという問題ではないのです。HIV陽性であることには強い偏見がつきまとうため、最も近い人々からのサポートが不可欠です。妻のなかには、夫に病気を移されたり、夫がコンドームを使いたがらないことを理由に去っていく人もたくさんいます。アダムの場合は、家族の支援を受けるこ とで症状が改善しているのです。」
ほかの患者を訪問した際、レティシアが話していた、HIV陽性患者が耐えなければならない苦しみが私たちにも具体的に分かってきた。治療を受ける機会が限られていることに加え、彼らは差別や孤独に苦しみ、友人や身内からも見捨てられているのだ。アダムのケースは本当に特別だった。彼の妻が私たちのところにやってきて、手を差し出した。彼女が「私の名前はイブです。冗談ではなく。」と言うのを聞いて、私たちは驚くと同時に笑ってしまった。アダムが、二人が恋に落ちたときはお互いの名前を知らなかったのだという話を始めた。27年前に二人は出会い、お互いが運命の相手であることを知った。「だから我が家をパラダイスと呼んでいるんです。」アダムは、私たちに別れの挨拶をし、来たいときにはいつでも来てくれと言った。