生きる決断をした赤ちゃん 生死をさまよう母親——この人たちを忘れない
2018年11月05日
「ここに来て、もう1年が経とうとしています。私がいるのは、エチオピアの南スーダン国境に近い広大な難民キャンプの真っただ中。国境なき医師団(MSF)が運営する120床の診療所で、苦しい思いをする多くの患者さんを目にしています。けれど、喜びもたくさんあります。それは私が助産師だから。子どもが生まれる瞬間はいつも特別です。世界のどこであってもーー」
クリスティーン・タスニア助産師は今、MSFの初仕事で南スーダン人難民キャンプにいる。11月の任期終了前に、ここで出会ったさまざまな人、出来事について、支援してくれるすべての人に伝えたい。
5万4000人の難民キャンプ
私がいるエチオピアのクレという場所にあるこの難民キャンプには、5万4000人の南スーダン人が住んでいます。もう4年もここにいるという人がほとんどです。逃げて来た理由は、故郷での内戦です。木の枝とビニールシート、砂と粘土の混ざった土で建てた小屋は、せいぜい4平方メートル。寝床となるマットも数枚しかありません。
穴ぼこだらけのキャンプでぬかるんだ道を歩いていると、道端に日の光を反射するトタン製の小屋があるのに気づくでしょう。ドアを開けると、そこには2つの足型と穴のある床板。屋外トイレです。ポンプを設置した給水所もありますが、何百人かで共用しなければなりません。たびたび水が出なくなってしまい、そんな時は皆、仕方なく水たまりや近くの沼から水をくみます。MSFは、沼でくんできた水は飲めず、煮沸する必要があると助言していますが、火を起こすための薪は貴重なので、煮沸といっても簡単にはできません。キャンプの住民には、英国人の私が経験したことのないような「生きるための葛藤」が日常にあるのです。
移動診療チームの同僚が、キャンプの小屋の前で会った女性の話をしてくれました。彼女は傷の炎症を起こしていて、痛みもひどく、診療所に行った方がいいか聞かれたそうです。「もちろん」と同僚は答えました。しかし女性はためらっていました。その日は食糧配給があって、それを逃すわけにはいかなかったのです。配給される食糧は、難民が生き延びるための唯一の手段です。結局、診療所には翌日に行きました。痛みをがまんして……。
彼女には他にも心配事がありました。傷のせいで、キャンプの外の大きな病院に移されることになるのではないか、と。そうなると子どもたちが置き去りになってしまいます。同僚も確かなことは言えませんでした。その女性が受診を思い立ってくれるように願っています。
平和を望む夜に
キャンプ内には教会があり、私は通訳の同僚とよく通っていました。通訳スタッフもキャンプに身を寄せる難民です。礼拝はいつも長時間かかりました。「南スーダンの平和を祈っているので、お祈りが長くなってしまうんです」そう答えてくれたのは女性たちです。夜、ベッドに横たわっていると、大きな歌声と歓声が聞こえることがありました。南スーダンで新たな和平協定が結ばれたという情報が広がったからです。皆、帰国を熱望しています。でもその期待は、いつも裏切られてしまいます。
そんな夜に生まれた赤ちゃんは、「ホープ(希望)」や「ピース(平和)」と名付けられます。生まれた時の状況にちなんで子どもを名付けるのが南スーダンの習慣だからです。「モスキート(蚊)」という名前の通訳がいます。彼女の生まれた夜、周囲にたくさんの蚊が飛び交っていたから。私は彼女のことが大好きです。信じられないくらい明るくて親切な人です。姪がおめでただと嬉しそうに教えてくれました。姪のニャダクさんは私たちのところで出産することになりました。
「生きる決断」という名の赤ちゃん
先日、ニャダクさんが出産のためMSFのところへやって来ました。最初は全て順調だったのですが、その後、お産が進まなくなってしまいました。お腹を触ってみると、赤ちゃんが正しく回転していない感触がありました。いろいろな体位を試してみたものの、残念ながら効果なし。結局、MSFが支援するガンベラ市の病院に移すことにしました。そこなら、同僚たちに緊急帝王切開をしてもらえます。ガンベラまではでこぼこ道を車で1時間半。幸い何の支障もなく、病院のチームは元気な赤ちゃんの誕生を介助できました。
ニャダクさんは翌日、キャンプの産科に戻って来ました。モスキートと私は温かく迎え、再会を喜びあいました。喜びながら私は、MSFがここにいなかったらどうなっていただろうと自問していました。医療の助けがなければ、ニャダクさんと赤ちゃんはおそらく亡くなっていたでしょう。手遅れになる前に病院に移したのはよい判断でした。娘さんは「ニャミレ」と名づけられました。「決断」という意味です。母親のニャダクさんいわく、大変だったけど、ニャミレちゃんは生きる決断をしたのだそうです。ぴったりの名前だと思います。
患者が祈り、歌い始めた
クレ難民キャンプで人びとは、生きるために葛藤し、不自由な暮らしをしています。そのなかで、人間らしさや思いやりもたくさん目にしています。
ある母親の出産が、今も忘れられません。残念ながら赤ちゃんの心臓は子宮の中で止まっていて、死産でした。亡くなった赤ちゃんを取り出した後、母親が大量に出血しました。産科の空気が張りつめ、その場の誰もが、生死の分かれ目だと察していました。
私は少し前に、エチオピア人助産師のチームに止血の研修をしたところでした。助産師チームは学んだ手当を1つ残らず実践しました。膀胱からのカテーテル排尿、止血、そして最後に私が傷口を抑える。その時、産科病棟にいた他の患者が祈り、歌い始めました。永遠にも感じられる時間が過ぎ、ようやく出血が止まりました。無理な姿勢のせいで身体は疲れきっていましたが、嬉しくて大興奮でした。チーム全員で協力してやり遂げたのです。歓喜して抱き合いました。
伝えたい感謝のことば
南スーダンの人たちは大変な状況にいながら、なんて朗らかに前向きに生きているのだろうと、日ごろから感心しています。クレ難民キャンプで暮らす南スーダンのヌエル族と呼ばれる人びとは、とても楽観的な印象です。基本はいつも「何が起きても大丈夫」という姿勢。私も帰国したら、そういう姿勢を少しでも実践しようと決めています。必要もないのに余計なストレスを感じることが、日々の生活にはたくさんありますよね。
MSFの活動はとても充実感があります。多種多様な国の人と一緒に働けるのも、恵まれたことです。キャンプで採用された南スーダン人難民の同僚だけでなく、エチオピア人スタッフとその他の外国人派遣スタッフも大切な仲間です。私たちは皆、他に助けが得られない特に困窮した人たちに緊急医療を届けたいという願いを共有しています。MSFは出身、宗教、政治的信条を問わないことが、私たちにとって重要なのです。
難民キャンプの人たちは、そばにいて、そして忘れずにいてくれてありがとうと繰り返しお礼を言います。キャンプの生活は人道援助が頼りです。皆、できる限り早く南スーダンに戻り、人生を取り戻したいでしょう。その思いは、世界のどこでも危機的状況にある人びとが感じることです。たとえば中央アフリカ共和国。多くの難民が国内と周辺国で避難生活を送っています。バングラデシュの世界最大の難民キャンプも同じです。
MSFチームが活動する場所の多くが、ここクレのように、医療の助けを得られていなかった場所です。皆様のご支援でどんなことが成し遂げられているかを、この手紙でお伝えすることができたのであれば幸いです。皆様、ご支援を本当にありがとうございます。