インドネシア:スマトラ島沖地震被災者の証言
2009年10月14日
イ近くの村にて。
インドネシア・スマトラ島沖地震で被災し、過酷な現実と向き合う、3人の証言を紹介する。
崩落した村の宗教指導者ラビア・ウムパンの証言
ラビア・ウムパンはアムバチャン・ガダン(Ambachang Gadang)村の宗教指導者だ。この村はパリアマン市の丘陵地帯に近い村で、地すべりによって崩落した。12人が亡くなり、うち8人は同じ一家からだった。
「私たちが望むのは、この地を離れることだけです。政府にもっと安全な場所に移してほしいと頼んでいます。道路に巨大な亀裂が入っているので、私たちは心配でここにいられないのです。いくつかの家族は既にこの地を離れました。あまりにも精神的ショックが大きかったからです。平坦な地域に住みたいです。洪水の危険はありますが、少なくとも地震はありません。
今のところ、午後5時になると、私たちは夜間を過ごすためだけにパダン・アライに下りてきています。この村では安全だとは思えないからです。そして昼間はこちらに戻ってきます。パダン・アライでは、テントに60人で寝起きしています。この地を離れるのは簡単ではありません。ここでずっと生まれ育ちましたから。でも、財産は重要ではありません。大事なのは命です」
地震のフラッシュバックに苦しむ農家のタヒル・ルディンの証言
タヒル・ルディンは農業に従事している。5人の子どもの父親であり、アムバチャン・ガダンに住んでいる。彼の妻の家族が2人亡くなった。地震によって自宅を失うのは、2007年につぎ、2度目である。
「地震が始まったとき、私は自宅にいませんでした。妻は4人の娘のうちの1人と家の外にいて、ほかの娘を連れ出すため、家に駆け込みました。ただ、家を出たところで電柱が倒れ掛かり、脚にけがをしました。また、近所の人が8人、地すべりで流されてしまいました。私たちは3日間、生存者を探し続けましたが、誰も見つかりませんでした。
地震で自宅が破壊したのは、これで2度目です。以前はいい家に住んでいましたが、2007年に起きた地震で破壊されてしまいました。私は木造の仮設住居を建てるため、政府からの援助を受けていました。でも、再建の前に、今回の地震が起こりました。ここにいたくはありません。もう無理です。私はもっと平坦な地域に行きたいです。
妻は、時々、地震がまた始まるような気がするといいます。私もよく眠れません──フラッシュバックがあり、地震の時のことがよみがえってくるのです」
自宅が倒壊した女性の証言
パダン・アライ近くの村では、自宅のがれきの中で、1人で座って泣いている女性がいた。家財を見つけようとしているとのことだった。家族は2007年の地震で被災したが、その時には、家屋は今回ほどは損壊しなかった。今回の地震の後、彼女は毎晩、近所の人の家に寝泊りしているという。
「私たちは家だけでなく、すべてを失いました。私の夫は農業に従事していますが、田畑も破壊されてしまいました。もう何も残っていません。どうしてよいかわかりません。うまく筋道を立ててて物事を考えることができません。考える状態にないのです。今は兄弟が来てくれて、どうすればよいか話し合えるのを待つばかりです」