インドネシア:スマトラ沖地震 被災地で活動を続ける現地人医師からの報告

2009年11月06日

インドネシア人のジョン・ジュリアダーマ医師は、9月30日に大地震に見舞われたインドネシアのパダンで、国境なき医師団(MSF)の緊急援助活動に参加している。下記は同医師からの報告である。


第一印象が、ことごとく覆された被害状況

ジョン・ジュリアダーマ医師(左)。10月、MSFはパダン近郊の村々で、伝染性の疾病の調査を重点的に行った。 ジョン・ジュリアダーマ医師(左)。10月、MSFはパダン近郊の
村々で、伝染性の疾病の調査を重点的に行った。

「それほど被害は大きくない」─—これが、私が通常勤務しているプライマリ・ヘルスケアセンターのあるマルク州から、10月3日に飛行機でパダンに到着したときに抱いた最初の印象でした。地震がスマトラ島を襲ってから3日目のことでしたが、私はすぐにこの印象は完全に間違っていたことに気付きました。

実際、空港からパダンにあるMSFの事務所へと向かう途中で、運転手から彼の一家が地震で受けた被害を聞き、私は考えを改めました。また、人びとが沐浴や洗濯、食器洗いなどの主な水源として、川の水を使っている様子も目にしました。これはインドネシアの奥地では一般的な習慣となっている場合もありますが、西スマトラ州の州都であるパダンでは本来あってはならないことです。

住まい、学校、そして病院が倒壊した中で……

パダン市付近のMSFの物資配布を見にきた子どもたち。 パダン市付近のMSFの物資配布を見にきた子どもたち。

建物の崩壊に奇妙なパターンが見みられることにも気づきました。完全に破壊されているものもあれば、そのがれきの隣に無傷の建物がある、といった具合です。

震源に最も近く甚大な被害を受けたパダン市近郊のパダン・パリアマン地区で調査を行った後、私は自分が最初に抱いた印象について罪悪感を覚えました。多くの村で、家屋の90%以上が完全に崩壊しているか使用に耐えない状態となっていました。激しい雨が降っていましたが、運よくテントを入手できたか、あるいはさらに運よく仮住まいに入居できた人びとを除き、住民たちのほとんどは戸外で生活し、防水シートの上で寝ていました。インドネシアでは、雨が降るときには、本当に激しく降るのです。

完全に崩壊した学校も目にしました。そこでは生徒たちがテントの中で勉強していました。また、大きく被害を受けて使用できなくなった「プスケスマス」と呼ばれる基礎的な医療を行う地域保健所には、自分たちも被災しているにも関わらず、医療従事者たちが駆けつけて他の村人たちを助けていました。

最も大きな被害を受けた地域をまだ訪れていないので、これまでに私が目撃したこれらの状況は、最悪のものではないのかもしれません。しかし、最初に私が抱いた印象は完全に誤りであったこと、そしてMSFが人びとのためにできる活動がたくさんあることは、十分わかりました。


 

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