海外派遣スタッフ体験談

定年後の元気な医師はぜひ参加を!

菅村 洋治

ポジション
外科医
派遣国
イラク
活動地域
モスル
派遣期間
2017年7月~8月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

日本事務局から緊急要請を受け、勤務先病院の許可を得て7月1日以降ならOKと返答しました。出発準備を整えて待機し、7月15日に出発しました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

2015年のネパール地震以来の派遣でした。"後期高齢者"になり、体力と知力(?)の衰えが若干気になっていたので、"手術の勘"を取り戻そうと、外科・整形外科の手術を見学したり、戦傷外科向けテキスト『War Surgery』(国際赤十字委員会発行)を読み返したりしました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか?どのような経験が役に立ちましたか?

過去8回の活動では、主に紛争地や緊急災害地での外科治療を担当しました。銃創、熱傷、交通外傷、急性腹症などの治療が主な業務だったので、この時の経験が今回も大いに活かされました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
カイヤラ市でMSFの治療を受けている女の子(8歳)家族は空爆で亡くなった(2017年4月撮影) カイヤラ市でMSFの治療を受けている女の子(8歳)
家族は空爆で亡くなった(2017年4月撮影)

MSFフランスが2016年12月初めに立ち上げた外科・内科系緊急疾患に対応するためのプロジェクトです。活動地はカイヤラ市で、過激派集団「イスラム国」の支配地域だったモスル市から南に約70kmの位置でした。

外国人派遣スタッフは当初20人程度でしたが、モスルの解放後は10人前後でした。救急外来の受診者数は毎日50~80人で、そのうちの15~20%が入院となりました。

全身麻酔が必要な手術が毎日8~10例ありました。ほとんどは爆撃や爆発でのけがや、やけどの患部(汚染皮膚創)のガーゼ交換です。

大きな手術としては,腹膜炎(銃創や腸チフスが原因で腸に穴が開いたことが原因)に対する開腹術、皮膚移植、銃創後の胸腔ドレナージ、爆弾で負傷した四肢の切断、骨折の徒手整復などがありました。手術はベテランのイラク人外科医と一緒に行いました。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
うだるような暑さの中でバーベキューの準備 うだるような暑さの中でバーベキューの準備

午前8時15分からMSFの外科医、内科医、麻酔科医、看護師と、現地のイラク人医師と看護師の全員で、集中治療室(ICU)と病棟を回診しました。

9時から手術を開始し、流れをみて、昼食はできるだけ宿舎でとりました。午後6時から再び病棟を回診しました。毎週金曜日が公休ですが、その日は午前9時30分に回診しました。

テレビ、ラジオ、新聞はないので、外界との繋がりはもっぱらパソコン(インターネット)だよりでした。あまりの暑さで中庭に出て気分転換をはかるのもままならず、室内でのラジオ体操、読書、音楽(iPod)で気分転換を図りました。

ある休日の夜、中庭で、スタッフ全員参加のバーベキューパーティーをしました。イスラム教の厳しい戒律のもと、冷たいビールはもちろんありません。地獄で火あぶりにあったような暑さを体感しました。

Q現地での住居環境についておしえてください。
ある日の昼食 ある日の昼食

宿舎は2階建てのしっかりした建物でした。しかし周囲の建物は「イスラム国」と政府軍との戦闘で崩壊したままになっていました。病院は宿舎から歩いて3分の所にありました。夜間の呼び出しには安全確保のためガードマンが同行してくれました。

宿舎内は冷房完備でした。もっとも外は日中50℃近くあるので、冷房がないと"ひ弱"な外国人は耐えられないかもしれません。炊事、食事、洗濯はすべて現地採用のスタッフにおまかせしていました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。

イラクの人びとが大変親日的だったことです。宿舎前で行き交った大型トラックの運ちゃんが、MSF のロゴマーク入りのシャツを着た私たちを見て、窓越しに大きな声で叫んだ「Thank you!」の一言に感激しました。

宿舎と病院の往復の数分間で、行き交う人は子どもから老人まで、日本人の顔を見ると必ず満面に笑みを浮かべて、イスラム語か、英語か時には日本語であいさつをしてくれます。夕方でも「OHAYOH!(オハヨー)」と言ってくれるので、思わず疲れも吹き飛びました。

M君は8歳の男の子です。「イスラム国」を信奉していたらしいお母さんが、M君と兄弟2人を道連れに自爆テロを行い亡くなりました。

下肢の負傷(左膝蓋骨骨折)だけで奇跡的に助かったM君は、入院当初、笑顔も言葉もなく、みんな心配していました。「『イスラム国』は憎いが、子どもに罪はない」と現地スタッフたちが24時間体制の親身の看護を行い、次第に心を開くようになりました。私の帰国時にはかすかに笑顔も見せてくれるようになったのが強く印象に残りました。

イラクに限らず、これまで私が派遣された現地のスタッフは、例外なく日本人に大きな好意と信頼感をもって接してくれます。それは、彼らがこれまでに接した日本人スタッフの仕事ぶりが素晴らしいだけでなく、現地スタッフと心を一つに接したためと思われます。

私の前々任者だった日本人外科医がラマダンの時、現地スタッフと一緒に10日間、朝から夕方まで絶飲食をしたのが今でも語り草になっています。この先人たちの信用こそがMSFの財産です。

Q今後の展望は?

今回の活動では、私の前任者がおそらく60歳を超えていたフランス人。私の後任は今回が初参加のオーストラリア人で67歳でした。私がMSFに初参加したのは、定年を好機ととらえた65才のときでした。長寿社会の日本。これからは若い医師だけでなく、定年後の元気な医師にも「医者になって良かった!」と実感出来るMFSへの参加を呼びかけてみるつもりです。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

専門分野の研鑽(けんさん)はもちろんですが、現地で長期間、外国の人たちと一緒に充実した仕事をするためには、ある程度以上の語学力の習得、そして出来れば異文化への理解を深める努力も必要と思います。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2015年5月~2015年6月
  • 派遣国:ネパール
  • 活動地域:ポカラ
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2013年3月~2013年4月
  • 派遣国:パキスタン
  • 活動地域:ハングー
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2011年9月
  • 派遣国:ハイチ
  • プログラム地域:レオガン
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2010年1月
  • 派遣国:スリランカ
  • プログラム地域:ジャフナ
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2008年12月~2009年1月
  • 派遣国:スリランカ
  • プログラム地域:ポイント・ペドロ
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2008年6月
  • 派遣国:コンゴ民主共和国
  • プログラム地域:ルチュル
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2007年12月
  • 派遣国:イラン
  • プログラム地域:メヘラン
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2007年5月~2007年6月
  • 派遣国:ナイジェリア
  • プログラム地域:ポートハーコート
  • ポジション:外科医

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