海外派遣スタッフ体験談
12日間に56例の手術を執刀
菅村洋治
- ポジション
- 外科医
- 派遣国
- パキスタン
- 活動地域
- ハングー
- 派遣期間
- 2013年3月~2013年4月

- Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?
-
長崎大学医学部に勤務中(卒業後5年目)に、日本政府の海外技術援助プロジェクトの一環でケニア共和国・リフトバレー州立病院に赴任。外科指導医として1年間働き、諸々の経験と感動を得ました。
28年前には、日本の国際緊急医療チームのメンバーとして、エチオピアの飢餓難民キャンプで働き、途上国の困窮の一端を見てきました。その頃から、いつかまた彼らのために役立ちたいという思いはありました。
6年前に65才の定年を迎え、若いときからの夢だった国際医療協力実現への好機到来と考えました。MSFの精神である「誰からも干渉や制限を受けることなく、助けを必要としている人びとのもとへ向かい、人種や政治、宗教に関わらず分けへだてなく援助をする」に賛同し、海外派遣に参加しました。
- Q今までどのような仕事をしていたのですか?どのような経験が海外派遣で活かせましたか?
-
外科医になって四十年余り、胸部外科、腹部外科、救急医療を中心に研鑽を積んできました。派遣先の病院によっては、脳外科、整形外科、泌尿器科の手術にも携わってきました。
精神的、肉体的にも厳しい生活環境の中で、何とか他のスタッフと協力し仕事が出来たのは、長年の山登りで培った体力とチームワーク精神のおかげもあったように思います。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?どのような業務をしていたのですか?
-
MSFは、2008年から内紛の続くパキスタン内の3ヵ所(ペシャワール、クラム自治区、ハングー)などで緊急医療活動を行っています。私が派遣されたのは、2010年に開設されたハングーの病院です。
ハングーは、パキスタンの北西部に位置し、アフガニスタンとの国境付近にある連邦直轄部族地域(FATA)に隣接しています。ここでは、アフガン・タリバンやアル・カイーダの存在や、イスラム教のスンニ派、シーア派による宗教間の紛争が絶えず、たくさんの国内避難民を出している不安定な地域です。
急患をコハトやペシャワールのような大きな町に移送することもままならず、外科系、内科系、産婦人科系の救急疾患に対応できるように、現地保健省と連携して始めたプロジェクトです。
私はたった1人の日本人外科医でしたが、他国から同僚スタッフ9人(ロジスティシャン1、アドミニストレーター1、内科医2、麻酔医1、看護師2、助産婦2)と、パキスタン人スタッフ約100人と協同して外科系救急診療に従事しました。
具体的には、
- 毎朝・夕の外科病棟回診と、当日・翌日の手術予定の作成
- 12日間で、全身麻酔下手術の44例と局所麻酔下手術の12例を執刀
主な手術は、広範囲熱傷治療、帝王切開術、銃創手術、その他の開腹術、虫垂切除術などでした。
日本のようにCTや超音波などの術前検査は望むべくも無く、手術を成功させて早期の社会復帰を実現するためには、詳細な病歴聴取、指診・触診・聴診などの術前の基礎的診断能力が大いに問われました。
- Q週末や休暇はどのように過ごしましたか?
-
食事は手ですくって食べる
短期間の派遣だったので、休暇はありませんでした。
危機管理のために、スタッフの行動範囲は病院敷地内に制限され、服装もシャルワーズ・カミーズ(民族衣装)をまとうなど、イスラム文化に抵触しない配慮が求められました。
長期滞在者の肉体的、精神的なストレスはかなり高いと思いましたが、各自、室内のジム器械やランニングマシーンを使って運動不足の解消に努め、読書・ビデオ・音楽鑑賞・ギター演奏や、週末の料理・ケーキ作りなどで極力ストレスをためないように努力していました。
MSFミッションでは原則、土曜日午後と日曜日は休息日となっています。しかし、救急病院ではそうも言っておられません。今回も土曜日、日曜日にも手術がありました。ただ、私は余暇を見つけては卓球をしたり、裏庭でバドミントンに興じたりしました。
某スタッフの任期満了をねぎらって、満天の星空のもと、ギターを奏でながら外国人スタッフ10人が全員、車座になり、盛大にバーベキューパーティを開きました。その席に一滴のアルコールも無かった悲運と共に、忘れられない楽しい思い出です。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
-
3月末から4月初めは、幸い当地のベストシーズンでした。外国人スタッフ用の2棟の宿舎は病院敷地内の一角にありました。住居環境は掃除も行き届き、個室は確保され、寝具も清潔でした。毎日温水シャワーも使用出来ました。
食事、洗濯は現地雇いのスタッフがやってくれました。特にパキスタン料理は味も良く、野菜もあり楽しみでした。今回は珍しく、1度も整腸剤や下痢止めの薬の世話にならずにすみました。
セキュリティーへの配慮は24時間十分考慮されているとは言え、ほぼ毎晩、蚊帳の中で聞く銃声(現地ではHappy Shootingという)や爆発音に慣れるには、時間がかかりました。
- Q良かったこと・辛かったこと
-
宿舎で仲間たちと談笑
良かったこと:
- 限られた資材・機材と持てる力で、最大限の患者を助ける。日本の最先端医療とは一味違うやりがいのある仕事が、シニア外科医にも出来た。
- 年寄りを大事にする?イスラムのすばらしい異文化にも触れ、また、いろいろな国のスタッフとの交流で多くのことを学ぶことが出来た。
- これまでのパキスタンで働いた日本人スタッフへの高い評価のお陰で、私も現地スタッフから信頼を得て、大過なく仕事が出来た。
- 改めて日本が平和な国であることを認識できた。
- 厳しい環境の中に身を置き、脳細胞が活性化?した。(ただし、帰国後1ヵ月で元の状態に復した)
- 禁酒国のため、想定外の"休肝日"がとれた。(ただし、帰国後は酒量が増えた!)
辛かったこと:
- 敷地内から出ることが出来ず、気分転換の場が少なかったこと。
- 交代時の数日間を除き、外科医がひとりだけであったために、診断と治療方針決定に際してより慎重さが求められ、若干のストレスも感じた。
- ビールが呑めなかった。
- Q派遣期間を終えて帰国後は?
-
週2回の病院外科外来勤務と、週4回の老人保健老健施設勤務に復帰します。そして、時間があれば、趣味(登山、テニス、バイオリンなど)に磨きをかけ、持病の老人ボケと相談しながら、体力の許す限り、もう少し国際医療活動に携わって行こうかと思っています。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
-
知識・技術の習得に加えて"感性"を磨き、異文化の人びとと仲良くなり、心を通わせてください。海外での活動経験は、必ずあなたの人生を豊かにしてくれます。
アドバイスに代えて、アンデスの先住民族に伝わる民話をご紹介します。
森が燃えていました
森の生きものたちは
われ先にと逃げていきました
でもクリキンディーという名のハチドリだけは
いったりきたり
くちばしで水のしずくを
一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして、いったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディーはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
MSF派遣履歴
- 派遣期間:2011年9月
- 派遣国:ハイチ
- プログラム地域:レオガン
- ポジション:外科医
- 派遣期間:2010年1月
- 派遣国:スリランカ
- プログラム地域:ジャフナ
- ポジション:外科医
- 派遣期間:2008年12月~2009年1月
- 派遣国:スリランカ
- プログラム地域:ポイント・ペドロ
- ポジション:外科医
- 派遣期間:2008年6月
- 派遣国:コンゴ民主共和国
- プログラム地域:ルチュル
- ポジション:外科医
- 派遣期間:2007年12月
- 派遣国:イラン
- プログラム地域:メヘラン
- ポジション:外科医
- 派遣期間:2007年5月~2007年6月
- 派遣国:ナイジェリア
- プログラム地域:ポートハーコート
- ポジション:外科医