海外派遣スタッフ体験談

内戦のイエメンで救急と外科を担う

滝上 隆一

ポジション
救急専門医/外科医
派遣国
イエメン
活動地域
イッブ、キロ
派遣期間
2016年4月~2016年9月

Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?

もともとは建築学部に進学していましたが、将来に対して、何かもんもんとした日々を送っていました。たまたま参加したMSFの活動報告会で海外派遣経験者の話に触発され、医学部に変更しました(大学も変更しました)。なので、医者になったら一度は活動に参加してみたいと思っていました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

外科レジデントの時は、疲れていてもなるべく時間を見つけては他科の手術(産婦人科、整形外科、脳外科、泌尿器科など)にも参加させてもらっていました。信頼を勝ち取り、実際に執刀医も任されるようになりました。麻酔にも積極的に参加し、時には、外科医が自分で麻酔を行う自家麻酔での手術も多数ありました。また当直などで救急業務に触れる機会もこの間ずっとありました。

語学に関しては、地道にネットなどで無料の講座を毎日見聞きしたり、時間、お金があるときは短期(3ヵ月間ぐらい)で英会話教室に通ったりしたこともあります。積極的に外国の患者さんと接したり、友達を作ったりして、話す機会を持つように努力してきました。

手術に関しては予定手術(例えはガンの手術)で学んだことを、いかに緊急手術(例えば外傷の手術)に生かしていくかは、常に考えていました。その中で、うまくいったことと、うまくいかなかったこととの反省をし、教科書や講習会などに参加して、その溝を埋めていくように努力しました。

腹腔鏡やロボットでの手術が増えていく中でも、解剖を大事にし、開腹手術になったときのイメージ作りにはその都度、努力していたように思います。

Q今までどのような仕事をしてきましたか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

学生時代はバイトをしてはお金を貯めて夏休み、春休みにバックパッカーをしていました。医者になってからは、何か災害があったときは(例えば東日本大震災)、積極的に災害援助チームに参加していました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
超音波装置を使っての診察(筆者右) 超音波装置を使っての診察(筆者右)

内戦が続くイエメンに派遣されました。最初はイッブという街で救急医として働きました。チームにはほかに、フランスから来た医療チームリーダー、チェコから来た救急室看護師、インドから来た感染症対策の看護師、フランスから来た薬剤師、物流担当者がいました。

内戦により救急室は機能不全に陥っていました。軽傷から重傷まで、多くの患者さん、その家族、友達などが一度に救急室に入ってきており、すし詰め状態でした。まずは救急室に秩序を、ということで、救急室の周りにフェンスを張り、入り口を1ヵ所作り、トリアージ部屋(問診室)を通過するように調整しました。

救急室は緊急性からレッド・ルーム(蘇生などの処置が必要な患者さんのエリア)、イエロー・ルーム(緊急ではないがその日のうちに何かしないといけない患者さんのエリア)、トラウマ・ルーム(外傷患者さんのエリア)、グリーン・ルーム(点滴など、経過観察する患者さんのエリア)に分け、トリアージ後それぞれ案内するようにしました。銃で撃たれた患者さんや、空爆、地雷にあった患者さん、爆弾テロにあった患者さんのほかに、交通事故や転落、栄養失調症や脱水症から来る意識障害や腎不全、感染症や血栓症など多岐にわたりました。

キロの病院で初めて、帝王切開で生まれたふたごの赤ちゃん キロの病院で初めて、
帝王切開で生まれたふたごの赤ちゃん

その後、イエメンの別の地域でのプロジェクトで、外科医が足りなくなる事態が発生し、キロという街への移動要請があり、外科医として活動する日々が始まりました。

チームに外科医が自分だけで、あとはフランスから来た医療チームリーダー、オーストリアから来た手術室看護師、フランス、日本、オーストラリアから来た麻酔科医、スペイン、フランスから来た病棟看護師、香港から来た救急医、フィリピンから来た救急室看護師、フランスから来たアドミニストレーターがいました。

自分しか外科医がいないため、手術はもちろん、その合間に退院した患者さんの外来や、救急室からの相談、連日の夜勤を1人でこなさないといけなかったので、なかなかタフな毎日でした。手術の内容は試験開胸、開腹、血管修復、創外固定、切断、移植など内戦に関するものから、帝王切開、虫垂炎、ヘルニア嵌頓(かんとん)など、こちらも多岐にわたりました。

任務最後のほうになり、ようやくイエメン人の外科医が加わったことで、夜勤をシェアできるようになったりして少し楽になりました。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

朝の4時過ぎぐらいに街にコーランが鳴り響きます。ここで1回起きることもあれば、そのまま寝て6時ぐらいに起床、簡単な朝食(コーンフレークやヨーグルト、コーヒーなど)、7時半ぐらいに朝礼のようなものがあり、現在の治安状況や、当日の主な予定をそれぞれのチーム(医療、ロジスティック、アドミニストレーター)が発表し情報を共有し合いました。

イッブのプロジェクトでは、朝礼の後病院に移動(車で15分ぐらい)、救急室で夕方6時過ぎぐらいまで働いて、またオフィス(宿舎)に戻り、夕食という流れでした。セキュリティの問題から、夜間は救急室に滞在することはできないため、何かあれば救急室にいるイエメン人救急医との電話での対応、もしくは一時的に滞在して、終わればまたオフィスに戻ってくる生活でした。

キロのプロジェクトも朝礼までは大体同じで、その後、1時間ぐらいで病棟の回診をし、手術や点滴のオーダーをし、9時過ぎぐらいからは手術、合間に外来、救急室担当をしていました。スムーズにいけば夕方には終わりますが、緊急手術が入ってくると夜間まで、あるいは夜間から明け方まで、手術は続きました。

キロのオフィスは病院の敷地内であったため、夜間も普通に病院とオフィス間を行き来していました。逆に両方のプロジェクトとも、病院外、あるいはオフィス外にはセキュリティの問題で出ることはできませんでした。ちょっと買い物に、というわけにいかないので、必要なもの、例えば歯磨き粉とかシャンプーなどは、現地スタッフにお願いして買ってきてもらわなければなりませんでした。もちろん、ちょっと外出して観光へ、などは無理な話でした。

時間があるときは、現地スタッフと話をしたり、両プロジェクトともオフィスの屋上に上がれたので椅子を持って行って本(梶井基次郎全集)を読んだり、景色を見たりして過ごしました。

Q現地での住居環境についておしえてください。

板チョコで作ったような薄い壁の、アラビア模様の建物がオフィスで、どちらのプロジェクトも4階建てでした。個室が与えられ(4畳ぐらい)、シャワーは共有でした(ぬるいお湯が出ました)。ハウスキーパーさんがいるので、料理、洗濯、部屋の掃除は全部彼女らがしてくれました(今の日本の自分の家よりも、毎日きれいな状態でした)。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
緊急手術は毎日入っていた(筆者中央) 緊急手術は毎日入っていた(筆者中央)

銃創は初めての経験でした。見るのも、手術するのも、です。ただ、手術は基本の積み重ねであり、自動縫合器は無いので、切る、縫合する、結ぶといった外科の原点に立ち返るものでした。現地看護師の技術は残念ながら高くはないので、それらを全部自分でしなければならないのは少しストレスになる部分はありましたが、時間が経つにつれてお互いにクセが分かってくるので困ることはありませんでした。

兵士の患者さんは、治療のあと、家がない、あるいはまた戦場に戻るのが嫌なのでしょうか、そのまま病院のベッドに居続けることも多々ありました。

MSFの病院は銃などの武器の持ち込みが禁止されていますが、負傷した兵士は銃を持ったままやってきます。彼らを説得するのは多少勇気がいることでしたが、診療の妨げになるので協力してほしいと何度も何度も話し合うことで、最後には納得して銃を置いてくれたり、ベッドを空けてくれたり、時には負傷した兵士の傷の洗浄を手伝ってくれたりするなど協力してくれるようになりました。

イエメンの人びとはみな親切で、おちゃめで、声は大きいけれども優しく、感情豊かな人たちでした。一部の過激派組織のふるまいは皆、非難をし、彼らはイスラム教ではない、イスラム教はほかの宗教も認めるし、殺生を許す教えではない、と声高に主張していました。

空爆の煙が立ちのぼる 空爆の煙が立ちのぼる

活動の途中ではイエメンのほかのプロジェクトが空爆に遭い、スタッフ10人以上が犠牲になり、またプロジェクト自体も一時閉鎖になりました。その日は自分たちのプロジェクトにも衝撃が走り、緊急ミーティングでは、海外派遣スタッフは希望すれば自国へ帰ることもできる、との話でしたが、皆覚悟を決めて来ているので、その場にとどまる決断をしました。

現地スタッフの動揺はやはり激しく、病院なのに(空爆を受けるなんて)、ここは大丈夫なのか、など質問が飛び交いました。プロジェクト・コーディネーターの熱心な説明や、仕事に対する変わらない態度を見て、彼らからそのような質問が出ることは次第に無くなりました。

いつ自分たちの現場もそのような状況になってもおかしくないんだなと、改めて自分が置かれている状況の複雑さ、危険さを理解しましたが、毎日運ばれてくる患者さんたちを前に、立ち止まることはしませんでした。

Q今後の展望は?

また活動に参加したいと思っています。どのような外科医を目指すのか、例えば日本で外科医として仕事を続けていく場合の自分の立ち位置など、今後も考えていくことになるとは思います。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

挑戦あるのみで、まずは行ってみることだと思います!

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