海外派遣スタッフ体験談

活動を通じて、目指す自分像が見えてくる

山本 阿紀子

ポジション
産婦人科医
派遣国
アフガニスタン
活動地域
ホースト、ダシュ・バルチ
派遣期間
2016年2月~2016年3月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

今回の参加を決めたのは、まだナイジェリアの活動中でした。

ナイジェリアから帰国したらその2ヵ月後には日本での就職が決まっていましたが、まだナイジェリアに向かう途中、パリの事務局でブリーフィングをした際、「就職の前に、時間があるなら別のプロジェクトに参加してみてはどうか」と言っていただき、その時は迷いもありましたが、ナイジェリアでの仕事にやりがいを感じていたため、参加を決心しました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

ナイジェリアから帰国し、3週間後には出発が決まっていたので、体調を整えることに集中しました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

ナイジェリアから帰国したばかりでしたのでMSFのガイドラインやプロトコルに基づいた治療方針が頭に入っていました。今回のプロジェクトでは特に、自分自身が直接患者さんの治療にあたるというより、現地の産科医のスーパーバイザーとして診断や治療方針のたて方、実際の抗生剤の使い方などを指導することが重要な任務の1つでしたので、これを十分生かすことができたと思います。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
ホースト病院での手術のようす(筆者中央) ホースト病院での手術のようす(筆者中央)

当初、アフガニスタン・カブールの、ダシュ・バルチ地区にある病院に1ヵ月の派遣が決まっていましたが、日本を発つ3日前にMSFから連絡があり、ホースト地方でのプロジェクトで産科医が不足しているということで、急きょ、ホーストに向かうことになりました。

ホーストはカブールの南東約150km、パキスタンとの国境から20kmに位置する、人口約100万人の都市です。紛争の沈静化に伴い、周辺諸国からの移民がやってきてこの5年間で人口が約2倍に増加したものの、安全に出産できる病院が不足していたため、2011年よりMSFが活動しています。

分娩数も年々増加し、私の派遣中は、1ヵ月あたりの分娩数は1800件でした。ほとんどは正常分娩でしたが、治安が不安定であり、夜間自由に移動ができないことから、明け方になって重篤な状態で来院する患者さんも多く、ほぼ毎日、朝は緊急帝王切開から仕事が始まりました。

医師の数も不足しており、一緒に働く5人の医師は一般医で産科医はいません。診察室、陣痛室、観察室(リスクのある妊婦のための部屋)、褥婦(じょくふ)室(※)、手術室を担当し、めまぐるしく来院、分娩、退院していく患者さんの対応に追われました。

ホーストの病院で生まれた赤ちゃん ホーストの病院で生まれた赤ちゃん

なにぶん、患者さんの数が多いので、異常を見落とさないように、判断が遅れないように心がけました。異常症例は、臍帯(さいたい)脱出、妊娠高血圧、胎盤早期剥離、流産などです。チームはプロジェクト・コーディネーター、ロジスティシャン、アドミニストレーター、医療チームリーダー、助産師3人、麻酔科医、小児科医、産婦人科医でした。

その後、当初派遣の予定であったダシュ・バルチに向かうことになりました。ダシュ・バルチはカブールの中心から約30分の距離にある地区です。カブール市内にあるとはいえ、周辺には緊急対応が可能な分娩施設がないことから2014年に始まったプロジェクトで、ここでは分娩数は1500件、異常症例はホーストとほぼ同様でした。

こちらは産科医が10人おり、基本的な診断や手術能力に関してはほぼ問題はないのですが、まだあまり歴史の長くないプロジェクトということもあり、MSFのガイドラインがよく浸透しておらず、医師によって治療方針が異なったり、非典型的な異常症例の対応が不十分であったりということが多々ありました。

軽症例や典型例は現地の医師に任せて、ガイドラインの導入と各種プロトコルの作成、困難症例の対応を自身の任務と課しました。チームメンバーはプロジェクト・コーディネーター、ロジスティシャン、アドミニストレーター、医療チームリーダー、産婦人科医、助産師、小児科医、麻酔科医でした。

  • 出産後まもなく、産褥にある女性が過ごす部屋
Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

ホーストでは、朝8時からミーティングののち、褥婦室、陣痛室、観察室を病棟回診し、治療方針を決定。その後は診察室でリスクありと判断された患者の診察を行いました。基本的には、自室で待機し、なにかあれば24時間対応をしました。

ダシュ・バルチでは朝7時15分に宿舎を出発し、徒歩もしくは車で病院へ。夜勤から日勤への申し送りの後、病棟回診をし、ほかの現地の産科医とともに方針を決定。私自身はオフィスで資料を作成したりしながら、困難症例の対応をしたり、手術に立ち会ったりしました。午後5時半頃帰宅、夜間はオンコールで夜勤の医師からの相談にのったり、時には病院へむかって手術を行ったりしたこともありました。

Q現地での住居環境についておしえてください。
とある日のランチ。病院を離れられないときは同僚に出前をお願いした。 とある日のランチ。病院を離れられないときは
同僚に出前をお願いした。

ホーストでは、コンテナーで作られた個室にシャワーとトイレが付いており、エアコンも備え付けられています。病院と同じ敷地内に居住スペースがあり、外に出ることは禁じられていました。そのため、ジムが充実していて、ランニングマシーン、バイク、ダンベル、なんとロック・クライミング用の壁までありました。

リビングルームではテレビでニュースやアメリカの連続ドラマなどをみんなで見たり、カードゲームなどをしたりして気分を紛らわしました。インターネットはつながりましたが、環境はよくなく、雨が降ると数日つながらない日もありました。

毎晩のように爆発や発砲音が聞こえましたが、チームリーダーからその詳細がすぐに知らされたので身の危険を感じることはあまりなかったです。首都からも離れており、またセキュリティが厳しく外出もできないためか、メンバーが首都に行くたびに大量の食品を購入してくるので、むしろダシュ・バルチよりも食べ物は充実していました。

ダシュ・バルチでは、各々暖房器具がついた個室が与えられました。居住スペースは3階に分かれており、各階にトイレとシャワーがあります。インターネットのつながりもよく、これまで参加したなかで初めて日本のニュースを動画で見ることもできました。ランニングマシーンのみでしたがジムもありました。食事は基本的にはコックが作ってくれました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
ダシュ・バルチで一緒に働いた海外派遣スタッフのチーム ダシュ・バルチで一緒に働いた海外派遣スタッフのチーム

今回、全体でも1ヵ月という短い期間にもかかわらず、2ヵ所で活動することになったのは、振り返ると貴重な経験だったと思います。

ホーストには産科医はいませんが、医師たちは、MSFのポリシーやガイドラインに沿った治療をよく理解し、自信をもって(時に自信過剰でしたが……)仕事に臨んでいました。それでいて、次々にやってくる海外派遣スタッフからなにか新しいことを学びたいという意欲も強く、逆にそれが私には刺激となりました。

ダシュ・バルチは10人もの産科医と一緒に働きました。ダシュ・バルチに行く前は、多数の専門医がいるのに私になにができるだろうかと悩みましたが、実際に数日一緒に働いてみると、さまざまな問題点がみえてきました。特に海外派遣スタッフによって治療方針が違うことで医師たちの混乱を引き起こしているようでした。

つねにガイドラインを見ながら、どの医師も同様にレベルの高い医療が提供できるように指導するとともに、プロジェクトの見直し、あらたなプロトコルの作成など、私自身、MSFで初めての経験もありましたが、短期間であることがよいプレッシャーとなって、より集中して任務が遂行できたと思います。

Q今後の展望は?

日本で社会人大学院生として、新たな病院で通常の産婦人科業務、および大学院で研究を始めます。MSFはまた、ひとまわり大きくなってから戻りたいです。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

初めて活動に参加するときには、「○○ができるようになったら応募しよう」「英語がもう少し上達したら参加しよう」など、自分でハードルを上げていたような気がします。迷っている方はとりあえず一度応募してみてください。何が足りないか、どんな準備をしたらいいか明確になると思います。活動に参加して、さらに自分が将来目指す医師像も見えました。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2015年11月~2016年2月
  • 派遣国:ナイジェリア
  • 活動地域:ジャフン
  • ポジション:産婦人科医
  • 派遣期間:2006年12月~2007年3月
  • 派遣国:トルクメニスタン
  • 活動地域:マグダンリー
  • ポジション:産婦人科医
  • 派遣期間:2006年1月~2006年3月
  • 派遣国:パキスタン
  • 活動地域:バーグ
  • ポジション:産婦人科医

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