海外派遣スタッフ体験談

産科のニーズにあわせて派遣地の変更も

山本阿紀子

ポジション
産婦人科医
派遣国
スリランカ
活動地域
(前半)バティカロア (後半)ポイント・ペドロ
派遣期間
2007年4月~2007年11月

QなぜMSFの海外派遣に参加したのですか?

MSFを知ったのは、私がまだ中学生の頃でした。人種、宗教、国境を越え、苦しんでいる人たちのために働く海外派遣スタッフの姿に感銘を受け、それ以来医学を志すようになりました。医師として経験を積み、いつかはMSFに参加したいと、ずっと考えていました。

Q今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

産婦人科医として働き、8年目です。MSFに参加する前は東京の病院に勤めていました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

今回のスリランカでは、バティカロアとポイント・ペドロの2ヵ所に派遣されました。バティカロアは派遣された当初はまだ治安が安定しておらず、避難民がたくさんいました。そのため、避難民キャンプに行き妊婦の状況を把握し、安全な出産のための指導を行い、また、キャンプの近くにある病院ではリスクのある妊婦の経過観察や、救急患者の治療をしました。私がいた間にこの地域で平和宣言が出され、避難民の数もどんどん減っていき、産婦人科医の需要がなくなったため、バティカロアを去ることになりました。

ポイント・ペドロでは現地の病院で外来、病棟、手術など、日本にいるときとほぼ同じような仕事をしていました。ポイント・ペドロでは治安の悪化により、現地の医師も首都や海外に去ってしまい、専門医はいません。患者さんは一日がかりでジャフナという都市にある大学病院に通わなければいけないという状況でしたが、MSFが産婦人科、外科、救命救急医、麻酔科医を派遣することにより、ポイント・ペドロの病院でより質の高い医療を受けることができるようになりました。

Q週末や休暇はどのように過ごしましたか?

もっぱらの楽しみはみんなでDVDを観たり、UNOをしたりすることでした。あとは日本から持って行った本を読んだりしていました。ポイント・ペドロでは基本的に病院外を歩くことは禁止されていたので、家にこもっていることが多かったです。

Q現地での住居環境についておしえてください。

各々1人部屋が与えられました。シャワー、トイレは1つずつ。6~7人が一緒に暮らしていたので、朝はシャワーの前に列ができたりしていました。

Q良かったこと・辛かったこと

良かったこと:

バティカロアでは丁度プログラムの立ち上げの時期だったので、コーディネーションチームのメンバーと働くことも多く、どのように調査を行うか、その地域に何が必要で、MSFは何をすればいいのか、などを話し合う毎日でした。現地当局とのミーティングに参加することもあり、これは今後の派遣の上でもいい経験になったと思います。バティカロアでもポイント・ペドロでもチームのメンバーに恵まれたので、精神的にとても助けられました。

辛かったこと:

ポイント・ペドロでは毎日24時間待機状態でしたので、なかなか心が休まりませんでした・・・。

Q派遣期間を終えて帰国後は?

イギリスに熱帯医学を勉強しに行く予定です。次回の派遣の前に、再度トレーニングを積みたいと思っています。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

まだ経験が浅いからとか、語学がまだまだだ、などとためらっている方は、一歩踏み出してみてください。一度派遣に行くと世界が広がるし、今後の自分が何をしたいのかが見えてきます。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2006年1月~2006年3月
  • 派遣国:パキスタン
  • プログラム地域:バーグ
  • ポジション:産婦人科医
  • 派遣期間:2006年12月~2007年3月
  • 派遣国:トルクメニスタン
  • プログラム地域:マグダンリー
  • ポジション:産婦人科医

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