海外派遣スタッフ体験談
8年ぶりの活動参加で多忙な産科救急に従事
山本 阿紀子
- ポジション
- 産婦人科医
- 派遣国
- ナイジェリア
- 活動地域
- ジャフン
- 派遣期間
- 2015年11月~2016年2月

- Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?
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前回、スリランカでMSFの活動に参加してから8年が経過していました。MSFでの活動はライフワークと考えていますが、前回の活動を終えたときに、次に参加する際には医師として、人間的にも技術的にももっと成長していなければと実感しました。
その後、さらなる産婦人科の知識・技術の向上を目指し、婦人科腫瘍学のトレーニングを開始し、専門医を取得しました。仕事が一段落したのと、自分の中でも再びMSFに参加する自信がついたのをきっかけに、再度コンタクトをとりました。
- Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?
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以前の経験から、すぐに派遣が決まるとは思っていなかったのですが、MSFにコンタクトをとったその日のうちに派遣の依頼が入ったので待機期間はほとんどありませんでした。
8年間のうち、ほとんどの期間を婦人科医療に従事し、産科については実務経験が空いてしまったので、合併症を有する妊娠や異常分娩に関しての専門雑誌に目を通したり、産科病院にバイトに行ったりして、自分の技術・知識のブラッシュアップを図りました。
また派遣先が実際に決まってからはMSFから送られてくる資料や、過去に同じ活動地に派遣された方の「海外派遣スタッフの声」を読み、気持ちを高めていきました。
- Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?
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活動地では診断機器や使用できる薬剤が限られ、治療方針も日本と異なることも多々あります。また、技術レベルや医療に対する考え方の違う現地の医師や助産師と働くことが、時にはストレスになることもあります。それを乗り越えてきた経験が、今回の活動ではより柔軟に、数々の困難に対応できたと思います。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
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手術中、フィスチュラ専門の外科医と
このプロジェクトは2008年から続く長いプロジェクトで、産科救急と産科フィスチュラに対する医療を提供しています。
MSFは質の高い医療を無償で提供していることから、年々、爆発的に患者さんの数が増加しています。私が滞在した期間は1年のうちでも最も分娩数が少ない時期とのことでしたが、それでも1ヵ月当たりの分娩数は約800件で、うち70%はリスクを伴った妊娠・分娩症例です。残念ながら8~10人/月の妊産婦死亡も経験しました。
合併症として多かったのは、子癇(しかん)、常位胎盤早期剥離(はくり)、子宮破裂、周産期感染症、弛緩(しかん)出血などで、日本ではほとんど経験することのない疾患を毎日、しかも複数の患者を診察することになります。
現地では女性の地位がいまだ非常に低いため、女性が意思決定することはできず、男性(夫や実父)の許可がないと外出もできません。そのため、重症化してから病院にやってくるケースが多く、10代の女性が治療の甲斐なく、来院後1時間もたたないうちに重篤な心不全、肺水腫で亡くなっていくという、悲しい現実を目の当たりにすることもありました。
産科フィスチュラに関しては、これまでも興味をもっていた分野で、アフリカや一部のアジア、中東以外ではほとんどみることがなくなった疾患です。
まだ身体が十分に発達していない少女が妊娠すると、骨盤が小さいため、陣痛が来ても赤ちゃんが骨盤を通過できません。病院に来るのが遅れ、赤ちゃんの頭が長時間骨盤にとどまってしまうことにより、母体の骨盤周囲の組織を圧迫し、壊死(えし)を起こし、膣とぼうこうや直腸の間に穴が開いてしまいます。私の滞在時にはフィスチュラ専門のベルギー人の外科医が活動中だったので、可能な限り手術を見学したり、ときには助手として手術に参加できたのは、貴重な経験となりました。
手術室のスタッフとともに
海外派遣スタッフは、プロジェクト・コーディネーター、アドミニストレーター、ロジスティシャン、医療チームリーダー、看護師、助産師、薬剤師、麻酔科医、麻酔看護師、産婦人科医でした。海外派遣スタッフの産婦人科医の定員は2人ですが、1人しかいない時期も1ヵ月程度あり、毎日疲弊していました。
ともに働く現地スタッフは、現地の一般医が6人、ジャフンから車で約2~3時間のところにある大学病院から産科医が1人交代で勤務していました。特に緊急帝王切開の適応などに関しては、ナイジェリア人産科医とディスカッションして決めることもあり、今後も長く続くと思われるプロジェクトなので、治療方針がぶれることのないように努めました。
- Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
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病院内のようす
朝8時から集中治療室(ICU)、陣痛室、分娩室の回診を現地の医師(一般医)と行い、治療方針を決めます。その後夕方6時ごろまで、外科的介入が必要と判断された患者さんの手術を行ったり、救急患者の診察を行なったりしました。
2~3日ごとに夜間オンコールがあり、オンコールの日は午後からは宿舎で待機しました。夜間1度も呼ばれなかったのは2ヵ月で1回のみで、平均でも帝王切開などの緊急手術が2件程度、ほかにも重症患者の対応に呼ばれます。ときには1度も宿舎に帰れないまま朝を迎えることもありました。オンコールの翌日は、海外派遣スタッフの産婦人科医が2人いるときは宿舎に戻れましたが、1人体制の期間は翌日も午後には病院に戻り、救急患者や手術が必要な患者の対応に追われました。
病院以外への外出が禁止されていたので、勤務外の時間にはバドミントンをしたりカードゲームをしたりしているメンバーもいました。フリーの日は体を休めることを第一に考え、私は早々に就寝していました。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
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部屋は個室だがトイレとシャワーは共用
それぞれに個室が与えられました。長期派遣のメンバーはトイレ、シャワー付でしたが私を含め短期派遣のメンバーはトイレ、シャワーは共用でした。ホットシャワーはありません。私が滞在したのは1年でも最も寒い時期でしたので、台所でお湯を沸かして浴びていました。
食事は基本的には週末もコックが作ってくれます。MSFでの経験も長いコックだったので、ピザやパンなど、私たちの食べ慣れたメニューなどを工夫してくれていました。
ほかにはテレビルーム、ランニングマシン、卓球台、バドミントンコートがあり、仕事終わりや週末の憩いの場になっていました。
- Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
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今回は5回目の派遣でしたが、とても大きな産科チームだったので人事関係の処理や課題が多く、とても苦労しました。何が問題なのかを考え、どうアプローチしていくかなどたくさんのことを学んだと思います。
プロジェクト自体も7~8年と息の長いもので、忙しい業務の中でMSFのスタンダード、信念やケアの質を維持することをもっとも意識させられた毎日でした。
- Q今後の展望は?
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帰国3週間後には次の派遣が決まっているので、まずはゆっくり体を休めたいです。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
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多国籍環境のなか、チームで課題を乗り越えていく
毎回思うのは、活動中は楽しいこともつらいこともたくさんありますが、それでもまた挑戦したいという気持ちになって帰国することです。国や文化、言語の違いはもちろんですが、日本での医療とは疾患も治療方針も違います。またプロジェクトごとに課せられた任務も異なります。はじめから完璧にこなせる人はいません。そんな辛さ、困難を乗り越えることが楽しいと感じられる方、ぜひ参加してみてください。
MSF派遣履歴
- 派遣期間:2007年4月~2007年8月、9月~11月
- 派遣国:スリランカ
- 活動地域:バティカロア、ポイントペドロ
- ポジション:産婦人科医
- 派遣期間:2006年12月~2007年3月
- 派遣国:トルクメニスタン
- 活動地域:マグダンリー
- ポジション:産婦人科医
- 派遣期間:2006年1月~2006年3月
- 派遣国:パキスタン
- 活動地域:バーグ
- ポジション:産婦人科医