海外派遣スタッフ体験談

アフガニスタンで3つのプロジェクトに参加

松田 美穂

ポジション
正看護師
派遣国
アフガニスタン
活動地域
ヘルマンド、カブール、カンダハル
派遣期間
2016年6月~2017年4月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

幼いころは病気がちで、入院する機会があり、そのころから看護師になりたいと思い始めました。また、途上国で医療活動をする看護師をメディアで目にするたび、私は幸運なことにたまたま日本に生まれ、食事も教育も満足に受けることができるのだから、少しでも途上国で疾病をかかえる人たちの役に立つよう努力しなければ、と思うようになりました。

看護師として日本と、青年海外協力隊でベトナムにて経験を積んだ後、MSF参加に至っています。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか?

前回のケニア派遣より帰国し、3ヵ月間を日本で過ごしました。その間は、アルバイトをするかたわら、災害医療や救命救急分野などの研修に参加、また、TOEICの点数アップを短期目標に英語学習に努めました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか?どのような経験が役に立ちましたか?

日本の病院では、脳神経外科病棟、集中治療室、救命救急で経験を積みました。なんといっても一番役に立ったのは、青年海外協力隊としてベトナムの救命救急で活動した2年間の経験です。価値観・文化の異なる現地の医療スタッフへ知識・技術を伝達するには、理論的なアプローチと感情的なアプローチの両者が大切であることに身を持って気づかされ、効果的な介入方法を考える基盤となりました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
結核感染防止マスクの装着テストをする 結核感染防止マスクの装着テストをする

今回、アフガニスタンで3つのプロジェクトに参加しましたが、最初に赴任したヘルマンドのプロジェクトは、ヘルマンド州最大の総合病院であるブースト病院(300床)の質の改善を目的としており、現地保健当局とMSFの協同プロジェクトでした。救急救命室(ER)、集中治療室(ICU)、外来部門の70人くらいの看護師のマネジメントやトレーニングを行いました。

このプロジェクトは、2ヵ月間活動したところで治安状況の悪化の影響で避難することになりました。

避難後に一時滞在したカブールでは、アーメッド・シャー・ババ病院(200床)という地域病院の質の改善を目的とする活動に従事し、チームのリクエストに基づいて、現地スタッフの採用活動やトレーニングの資料提供などを行いました。

後半7ヵ月を過ごしたカンダハルのプロジェクトは、結核の症例発見と多剤耐性結核(MDR-TB)の診断・治療の提供を目的としていました。今までアフガニスタンでは、首都のカブール以外では薬剤耐性結核(DR-TB)の診断・治療は行われていなかったので、カンダハルの結核治療センターは、カブールにアクセスできない地域にとって、画期的なものでした。

私がカンダハルに赴任した当初は、ちょうど、結核治療センターの外観が完成したところで、内部はこれから作っていく状況でした。スタッフの数はまだ少なく、薬剤耐性結核患者もまだ検出されていなかったので、医療スタッフの採用とトレーニング、医療物資・医療機器のセッティングから始め、また、治療のシステム作りや、患者さんが治療を継続していけるように経済的サポートのシステム作りを進めていきました。

症例発見のために、連日、現地保健当局の病院であるミルワイス病院(400床)にて結核スクリーニングと喀痰(かくたん)検査を行い、通常の薬剤感受性結核であれば、そのままミルワイス病院の結核外来へ治療依頼の引継ぎをします。結果がDR-TBであった場合のみ、MSFの結核治療センターでの治療対象となります。毎週、新たにDR-TBが1人検出されて、センターの患者数は増えていきました。

任期後半には、現地スタッフの看護師スーパーバイザーと感染制御担当オフィサーを採用でき、看護師と病院清掃員の勤務表の組み方や現場のマネジメントについて、説明しながら見せ、次に一緒にやり、最後に見守りでやりながら、段階的に伝達していきました。

薬剤耐性結核治療の提供場所は、患者さんの状態と居住地域により、MSFの治療センターにある外来部門、入院部門のほか、遠方からくる外来レベルの患者の滞在施設の3種類があります。任期終了の頃には、この3つの場所において、まだまだ改善の余地はあるものの、現地スタッフが主体となって現場を動かしていけるようになりました。

コミュニティへ活動の場を広げ、啓蒙や症例発見の拡大が課題と掲げられていましたが、治安上の制限があり、実現には至りませんでした。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

後半の7ヵ月間に活動したカンダハルのプロジェクトは、MSFの事務所がスタッフ住居の隣にありました。週1回、新規の患者さんと治療中の患者さんのフォローアップのための痰培養採取・国際便輸送の作業を行うために早朝から業務がありました。

通常は午前8時にMSF事務所で全体ミーティングを行い、8時半に車でMSFの結核治療センターへ移動します。入院患者の回診後、現地スタッフにその日の計画(外来、入院、検査、遠方患者の滞在施設で訪問治療、ミーティング、トレーニングなど)や改善ポイントなどを伝えていました。

また、勤務スタッフの状況チェックと感染管理をふまえた環境チェック、そのフィードバックも行いました。

午前10時にはミルワイス病院へ車で移動し、結核スクリーニングの流れとフォローアップ状況をチェックしてフィードバックをし、現地保健当局のスタッフとMSFスタッフの間の調整などを行いました。

ミルワイス病院の結核外来は昼12時に終了するため、その一角にあるMSFの外来も終了し、現地スタッフとともに車でMSF結核治療センターセンターへ帰ります。
午後1時半までMSF事務所で昼食、メールなどのチェックを行います。午後はMSF結核治療センターでミーティングやトレーニングを行ったり、遠隔患者の滞在施設で患者さん・ご家族・環境のチェックとフィードバック、また夜勤スタッフへの引継ぎ状況チェックや、事務作業を行ったりしていました。MSFの住居は午後5時が門限でしたので、それまでには車で帰りました。

ヘルマンドでは治安上、移動は住居と病院の往復のみでしたが、カブールやカンダハルでは状況により2週間に1回スーパーマーケットに行ったり、赤十字国際委員会(ICRC)の住居を訪問し交流したりすることができました。

住居エリア内にはバレーボールコートや卓球テーブルがあり、週末にはみんなでそれらのスポーツをしたり、映画鑑賞、交代でそれぞれの出身国の伝統料理をふるまったりして、存分に楽しみました。

Q現地での住居環境について教えてください。
カンダハルで一緒に働いたチーム カンダハルで一緒に働いたチーム

ヘルマンドでは26人、カブールでは8人、カンダハルでは8~10人のスタッフ共同生活でしたが、それぞれ個室を持つことができ、MSFの住居としては5つ星ホテルのように感じました。南部では外気温が最高50度まで上がりましたが、部屋にはクーラーが完備されており、大変快適でした。インターネットはつながらないこともありましたが、水道・電気とも、生活環境のライフラインはしっかりしていました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。

赴任時、カブールの空港で、飛行機に液体類は持ち込めないので水を捨ててしまいましたが、ヘルマンドの空港に到着したら外気温50度、日陰でも40度という暑さでした。しかもラマダンの真っただ中であったため、水も何も売られておらず、車を待つ数時間で脱水になりそうでつらかったです。

当初の予定はヘルマンドにて看護師スーパーバイザーとしての活動でしたが、治安の問題で、赴任して2ヵ月後にヘルマンドよりカブールにあるプロジェクトへ一時移動、さらに1ヵ月後にはカンダハルのMDR-TBプロジェクトで看護師マネジャーをすることとなりました。

活動内容も当初の予定とは結果的に異なったことで、たくさんの新たな学びの機会があり、新鮮で貴重な時を過ごすことができました。同じアフガニスタン国内でも、地域によって男性独占社会の程度や慣習が異なり、また、同じ南部の中でさえもヘルマンドとカンダハルでは異なりました。それらの文化的要素がスタッフのマネジメントに大きく影響しているため、地域特性を考慮する重要性を実感しています。

Q今後の展望は?

日本にいるうちに、ACLS*など期限のきれた資格の更新をしたいと思います。また、フランス語の学習を始めようと思います。

  • Advanced Cardiovascular Life Supportの略。気管挿管、薬剤投与といった高度な心肺蘇生法を示すが、心停止時のみならず重症不整脈、急性冠症候群、急性虚血性脳卒中の初期治療までを網羅したもの
Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

いろいろと考えることや躊躇(ちゅうちょ)する気持ちは多少なりともあると思いますが、やりたいと思う気持ちがあるのであれば、参加されてはどうでしょうか。一度きりの人生です。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2015年9月~2017年3月
  • 派遣国:ケニア
  • 活動地域:ナイロビ
  • ポジション:看護師

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