海外派遣スタッフ体験談
苦しさ、悲しさを乗り越え仲間とともに前進
大滝 潤子
- ポジション
- 正看護師
- 派遣国
- シエラレオネ
- 活動地域
- カイラフン
- 派遣期間
- 2014年7月~2014年9月

- QMSFの海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?
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再び参加する、というよりは参加し続けるという意識があったため、自然の流れでオファーを待っていました。
2014年春から長崎大学熱帯医学研究所での熱帯医学3ヵ月のコースで学んでいる際、エボラ出血熱の大きなアウトブレイクが起こりました。
また講義の一部でもエボラをはじめ出血熱についての講義があり、疾患についての知識を少なからず得たため、自分が少しでも何かの役に立てればと思い、積極的に参加しようと思いました。
- Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?
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熱帯医学のコースが終わり、そこで学んだ知識が役立てられる活動に参加したいと常々思っていましたので、エボラ緊急援助活動のオファーを受けてからは熱帯医学コースの資料をもう一度見直したり、プログラムから送られてきた資料を読んで過ごしたりしました。
- Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?
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過去3回の派遣では手術室看護師として派遣されていましたが、今回はエボラ治療センターでの看護チームのスーパーバイザーとして派遣されました。日本では手術室で勤務する以前に内科病棟で5年間ほど勤務していましたので、患者のベッドサイド・ケアは特に違和感はありませんでした。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
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防護服を着用し、隔離病棟に入る前の筆者
2014年3月よりギニアで流行しはじめたエボラ出血熱は西アフリカで広がりを見せはじめ、私が参加した2014年7月末から9月初旬はまさに感染者・死亡者数が増加し続けている状態でした。
プログラムは、シエラレオネのカイラフンという、ギニア、リベリアとの国境にほど近い地域で運営しており、そこではエボラ出血熱に似た症状を持ち感染の疑いの高い患者を受け入れて隔離し、血液検査でエボラ陽性が確定となった患者のケアを行っていました。
また、世界保健機関(WHO)や関連機関と連携しながらエボラ患者と接触のあった人の情報を共有していました。また私の活動期間は、感染者がいないかなど、村々をまわるアウトリーチの活動が軌道に乗り始めているところでした。
チームは、プログラム責任者をはじめ、医療チームリーダー、医師、看護師、水・衛生部門スタッフ、ロジスティシャン、アドミニストレーターなどの海外派遣スタッフがおよそ40名、現地スタッフが200名ほどのチームでした。
私は現地の看護チームを指導する立場のスーパーバイザーとして派遣されましたが、人材不足もあり、私自身も一看護師として患者のケアにあたりました。むしろ一看護師としての勤務がほとんどと言っても過言ではありませんでした。また海外派遣スタッフの医療チームリーダーが不在の際は、その者に変わって医療チームの責任者を兼任しました。
精神的・肉体的に厳しい業務をチーム一丸となって乗り切った
エボラ出血熱患者への医療提供は基本的には対症療法と言って、各症状に合わせた薬剤の投与が基本となります。このプログラムでは海外派遣医療スタッフと現地スタッフがチームとなり、朝、夕に各テントを受け持ち、患者の容体を把握、必要時の投薬や医療援助を行っていました。
また4つの看護チーム(現地医療スタッフで構成され、各チーム1名のリーダーとおよそ10名の看護師)が各シフトをカバーしており、チーム毎に患者への栄養補給や水分補給の援助、清潔ケアの援助をしていました。
チームリーダーは看護師ではなく、ちょうど医師と看護師の中間の様な資格を持つクリニカル・オフィサーで、患者受け入れの判断やチームのスケジュール、役割分担を決定します。私は各チームリーダーと連携し、必要があればチームリーダーへの助言、必要事項の確認、また看護師への技術指導などを行っていました。また私自身も、患者の受け入れの判断(エボラ出血熱の疑いがあるかないかの判断)をしていました。
エボラ出血熱は患者との濃厚接触で感染しますので、隔離病棟でのケアは防護服を着用して行いました。外気温が高く、防護服を着用しての患者ケアは水分・体力を消耗し容易ではありませんでしたが、チーム一丸となって乗り切っていました。
- Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
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現地看護師たちと。休日の金曜はみんなドレスアップ
私も含め、海外から派遣された医療スタッフは朝8時から午後4時までと、午後2時から夜8時までの2勤務交代制でした。看護チームへの指導のほかには上記で述べた様にエボラ出血熱患者のケア、血液検査の頃合いの判断、準備、患者の受け入れなどが主でした。
休みは週に1回程度で、その際は村に出て買い物をすることも可能でした。また滞在先でゆっくりインターネットをしたり、同僚との会話を楽しんだり、散歩も数回しました。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
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滞在先は、緊急援助ということもあり、ホテルでした。エボラ出血熱の感染リスクをなくすため、各スタッフはトイレ・バス付きの個室が与えられていました。
- Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
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最も大変だった時期をともに乗り越えたチーム
このプログラムでは、多くの患者がエボラ出血熱によって亡くなっていくのを見ました。現地でエボラの残酷さを見るたびに、なぜこの人たちが苦しまなくてならないのかと何度も何度も悔しい思いをしました。
特に、亡くなった方々の墓地に足を踏み入れた時に見た、数え切れないほどの犠牲者が埋葬されていた光景は、一生忘れる事ができません。しかしながら、エボラを克服する患者さんの退院を見送る時の嬉しさは、その悲しさをしのぐほどでした。
そして、苦しい経験の中、助け合ったチームの仲間の絆の強さはこんなにも素晴らしいものなのかと実感しました。
悲しさを知り、でもそれを乗り越え、助けられる人がいるなら努力をおしまず前に進む。悲しみも喜びも仲間とともに分かち合う。このような経験ができた事は私の一生の宝になりました。
- Q今後の展望は?
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今後のキャリアもふまえ、マネージメント・レベルのポジションで派遣活動に参加することも考えています。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
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まだMSFに入る前、このような海外派遣スタッフの声を読んで圧倒され、やってみたい!と心から思うと同時に、私にはできないかもしれない、経験が足りないかもしれない、自分の英語は通用しないかもしれない、などと不安に駆られていました。
でもどうしてもMSFで働きたかったので、不安よりも行動が先になったと言えると思います。目標を掲げ、それに向かってとにかくやってみる事、不安に駆られることもあると思いますが、とにかく行動してみる事をお勧めします。その先にはきっと予想できない多くの素晴らしい経験が待っているはずです。
MSF派遣履歴
- 派遣期間:2013年12月~2014年3月
- 派遣国:南スーダン
- 活動地域:アウェイル
- ポジション:手術室看護師
- 派遣期間:2013年8月~2013年10月
- 派遣国:ヨルダン
- 活動地域:ラムサ
- ポジション:手術室看護師
- 派遣期間:2012年11月~2013年7月
- 派遣国:イラク
- 活動地域:ナジャフ
- ポジション:手術室看護師