海外派遣スタッフ体験談

必要としている人がいるから、そこへ行く

田村美里

ポジション
助産師
派遣国
中央アフリカ共和国
活動地域
バタンガフォ
派遣期間
2009年5月~2009年10月

QなぜMSFの海外派遣に参加したのですか?

毎回違うことを言っているような気がしますが、何度もプログラムへの参加を繰り返し、今となっては難しい質問です。援助を必要としている人たちがいるから、そこへ行く、でしょうか。

Q今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

日本では、病院で看護師もしくは助産師として働いていました。現地では、しいていえば、新人助産師の指導担当者や看護学生の実習指導者としての経験が生かせたかなあと思います。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
今回のプログラムでは、助産師として参加。

一次および二次医療(栄養治療を含む)、HIV/エイズ、アフリカ睡眠病の治療と多岐に渡る大きなプログラムで、ベッド数約140床の病院と4ヵ所の通院治療センターで活動していました。女性外来全体を統括していたので、病院と通院治療センターどちらにも関わっていました。業務はプログラム調整・管理、スタッフの教育が中心です。PTME(HIVの母子感染予防)を立ち上げ、フォローアップを行いました。

Q週末や休暇はどのように過ごしましたか?

土曜は普通に働いていました。
日曜は、元気のあった最初の頃は朝早起きしてカバを探しに川まで遠足に。プログラムの終わり頃は昼近くまで寝て、それから映画を見たり、本を読んだり、マーケットに行ったりしました。暑さの中、卓球やバレーをしていた強者もいました。
6週間に一度、週末+アルファの連休で首都に行けたので(「ロング・ウィークエンド」と呼ばれていました)、その時はまず先に眠れるだけ寝ます。それから、レストランやカフェ、バーに行ったり、プールでのスイミング、ショッピングそしてインターネットをする!という具合でした。

Q現地での住居環境についておしえてください。

少し大きめな家にみんなで住んでいました。
シャワーはもちろん水シャワーですが、水洗トイレで感動しました。電気のない町にいたので、私たちの普段の生活はソーラーパネルからの電力供給で、ちょっと薄暗い生活でした。夜になると、庭のあちこちに灯油ランプが置かれて、ちょっとロマンチックでした。
庭にあったグレープフルーツの木からの恵みが、私のビタミン剤でした。また、教会のすぐ隣に家があり、毎朝5時30分に大音響の鐘の音が聞こえました。目覚まし時計不要の家です。

Q良かったこと・辛かったこと
現地でともに活動したMSFスタッフと。

とってもよいチームだったので、生活面でのストレスは少なかったと思います。
初めての混合チーム(スペイン支部管轄とベルギー支部管轄のプログラムで、私はベルギーのほう)で、今まで一緒に活動する機会のなかったスペイン語圏の人たちとともに過ごし、楽しかったです(みんないつも何があっても笑っています)。スペインの文化を学び、スペイン語もちょっとだけ学びました。
辛かったのは、湿度のとても高い暑さです。午後は特にオフィスの中は暑くて、みんな外の日陰で働いていました。

Q派遣期間を終えて帰国後は?

信じられないくらい何もしていません。とても怠け者です。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

プログラムと言っているくらいですから、楽しいことばかりじゃないです。辛いこともあります。問題もいっぱいあります。
だからMSFがいるわけですが、その辛いことや問題にあったときに、原点に帰って考えてみる。なぜ自分がここにいるのかと。時には笑い飛ばすくらいの強さが必要かも。
海外派遣者は、みんなごくふつうの人たちです。みんなそれぞれ問題にぶちあたります。そんなとき、チームみんなで協力し合い解決する。それがMSFです。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2007年8月~2008年6月
  • 派遣国:ニジェール・ダコロ
  • ポジション:看護師(2007年8月~11月) 助産師2007年11月~ 2008年6月)
  • 派遣期間:2007年2月~2007年6月
  • 派遣国:チャド・イリバ
  • ポジション:助産師
  • 派遣期間:2005年5月~2005年11月
  • 派遣国:コンゴ民主共和国・ブニア
  • ポジション:助産師
  • 派遣期間:2004年2月~2004年5月
  • 派遣国:コンゴ民主共和国・ブニア
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2003年5月~2003年11月
  • 派遣国:ブルンジ・マカンバ
  • ポジション:助産師

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