海外派遣スタッフ体験談
異なるタイプのプログラムで新たな経験
岩木 幸太
- ポジション
- ロジスティシャン
- 派遣国
- パキスタン
- 活動地域
- ペシャワール
- 派遣期間
- 2014年6月~2014年12月

- QMSFの海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?
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もともと、1度の参加で終わるつもりはなく、少し休んですぐに次に行こうと思っていました。ちょうど自分のポジションとスケジュールが合致するアフリカのプログラムもありましたが、アフリカには以前にも長期で滞在していたこともあり、新たな場所で新たな体験をしたいという思いもあり、パキスタンのオファーを受けました。
- Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?
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活動を終了したあとは、しっかり疲れを取りストレス解消に努めます。沖縄の離島でのんびりしていました。
- Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?
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前回参加したウガンダのプログラムは緊急援助で、本当に、文字通り何もないところからすべてを作り上げる必要があり、毎日トラブルも絶えませんでした。この経験のおかげで、何が起こっても驚かない精神的な余裕が出来ていたと思います。
今回は既に4年ほど継続しているプログラムだったので、基本的なセットアップはすべて揃っており、前回程の苦労はありませんでした。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
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治療を受けるはしかの子ども
ペシャワールのプログラムでは、MSFが独自で病院を運営しており、産科と新生児のケアを専門に行っています。主に、パキスタンの連邦直轄部族地域(FATA)や辺境地域の人びとをターゲットとしていますが、これらの地域への往来は制限されており、交通手段もなく、また治安上移動が困難で、患者が病院にやってくることが非常に困難でした。
近隣の貧しい人びとを受け入れることもありましたが、どの地域の患者についても、原則として地域医療と連携し、難産や合併症など、高次医療が必要な患者に限って受け入れをしていました。
早産で生まれてくる子どもも多く、新生児室では1000グラム以下の赤ちゃんを目にすることもよくありました。信じられないほどに小さい体で、酸素濃縮器につながれて懸命に呼吸している姿は、何とも言えないものがありました。電気系統に問題が発生すれば、酸素濃縮器が止まり、こうした赤ちゃんは亡くなってしまうので、ロジスティシャンとしてそのプレッシャーはありました。
シャワールの病院では重症例を受け入れ
自分の業務としては、病院運営に必要なことすべてです。電気が止まれば発電機を回し、水を汲み上げて塩素消毒し、医療機器や車両のメンテナンスをし、排水やゴミの管理、現地周辺の治安状況の調査・管理なども行いました。
マネジメントのポジションであり、現地スタッフが優秀であったので、基本的には実際に作業をする現地スタッフを管理することが主な仕事でした。
海外派遣スタッフは4~8人、現地スタッフは150人程(その内40人程はロジスティックのスタッフ)でした。産婦人科医等の需要が常時あったのですが、中長期で滞在できる海外派遣スタッフの確保が困難で、毎月のように新しい医師が来ては去っていきました。ビザや渡航許可の関係で、参加出来る海外派遣スタッフが制限されたり、着任が大幅に遅れたりすることも影響していたようです。
- Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
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毎朝8時からミーティングを行い、その後すぐにロジスティック・チームでその日やることの確認をして、後は病院とオフィスを行ったり来たりするという流れでした。
遅くまでオフィスや病院に残ることもまれにありましたが、夕方6時や7時には宿舎に戻ることが多かったです。
治安上の問題で、外出はかなり制限されていて、地元のレストラン2~3件とスーパーに行くこと以外は完全に外出禁止でした。車移動が絶対条件で、外を歩くことが出来るのは、オフィスと病院の間の100mのみでした。運動不足解消のために、週2~3回は、宿舎にあったランニング・マシーンで走ったり筋トレをしたりしていました。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
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外出が制限されていることもあって、住環境はかなり良かったです。1人1部屋で、部屋も広く、料理人の腕も最高でした。エアコンもヒーターも各部屋にそれぞれ設置されていました。
- Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
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派遣される国やプログラムの内容が違えば、良い意味でも悪い意味でも、こんなにも状況が変わるのかと、はじめは驚くこともありました。ただ、1度目と2度目で、まったく異なるタイプのプログラムに参加出来て、新たな経験を積めたことはとても良かったです。
現地では、特にFATAから来た人びとは皆、男の子を欲しがっていたことがとても印象的でした。パキスタンでは女性の社会的地位がまだ低く、女の子が産まれた際に、家族ががっかりしていることも多かったです。
パキスタンのスタッフ(特に管理ポジションのスタッフ)はとても優秀だったのですが、それでもやるべきことを後回しにしたり、忘れたりすることも多かったので、1日に何度もコミュニケーションを取っては、タスク管理をたびたび行う必要がありました。
プログラムに参加する前に、周辺の治安状況が悪化したため、若干の不安もありました。外で銃声がバンバン鳴り響いたり、戦闘機が爆音とともに上空を通過して行ったりすることもありましたが、途中からはだいぶ慣れてきました。
ただ、ペシャワールの学校が襲撃された事件は、さすがに衝撃でした。現地スタッフのショックも非常に大きかったです
- Q今後の展望は?
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今回は少し長めに休暇を取って、今後どうしようか考えようと思っています。1度別の仕事をして、また戻ってくる可能性も考えています。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
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前回も感じましたが、MSFでのやりがいはやはり現場に近いことだと思います。パキスタンには多くのNGOが来ていますが、首都から遠隔でプログラムをモニターしたりマネジメントしたりするところは少なくありません。
実際に自ら現場に立ち、知見を深めたいと思っている方であれば、MSFは良い選択肢になるのではないかと思います。
MSF派遣履歴
- 派遣期間:2014年2月~2014年5月
- 派遣国:ウガンダ
- プログラム地域:アジュマニ
- ポジション:ロジスティシャン