海外派遣スタッフ体験談

アルメニアで薬剤耐性結核治療を支援

舛本 祥一(内科医)

ポジション
内科医
派遣国
アルメニア
活動地域
北部地域
派遣期間
2013年5月~2013年12月

Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?

高校卒業後にMSFの特集番組を見て、医師を志すようになりました。内科医としてトレーニングを受けた後に、公衆衛生大学院で学び、海外で働いてみたいという気持ちが増しました。大学院卒業後、目標を実現したいと思い、MSFに応募しました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

結核治療プログラムへの参加でしたが、自分は結核の専門家ではなかったので、派遣前に結核に関するガイドラインや文献を読みあさりました。語学対策としては、通勤時に英語ニュースを聞いていました。

Q今までどのような仕事をしてきましたか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

大学卒業後5年間、内科医として病院に勤務しました。その後2年間、公衆衛生大学院にて学び、国際保健に関わりました。大学院のカリキュラムで7ヵ月間、フィリピンで結核に関するインターンシップ、研究活動をしたのが、MSFに応募する上で大きな経験になりました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
現地医師による治療、診断を支援 現地医師による治療、診断を支援

アルメニアを含む旧ソ連邦国家では、薬剤耐性結核(DR-TB)が流行しており、大きな問題となっています。MSFはアルメニアで2005年から、特にDR-TBに重点を置いて活動を続けています。

アルメニアの結核プログラムは、首都エレバンと北部地方の2ヵ所を拠点に行われており、私が参加したプログラムは北部地方(4地域をカバー)で治療を受けている結核患者さんの治療を支援するものでした。北部地方のプログラムには、自分も含め3人の海外派遣スタッフがおり、20人程度の現地スタッフと一緒に働いていました。ここでは、MSFは直接患者を治療しているわけではなく、アルメニアの保健省に所属し診療所で働いている医師を支援しています。医師、現地看護師、運転手などがチームを組み、各病院や診療所、自宅を訪問して患者さんの状態を把握します。

薬剤感受性のある結核患者さんも診療していますが、特に耐性結核の患者さんに重点を置いて活動しています。耐性結核の中には、多剤耐性結核(MDR-TB)、超多剤耐性結核(XDR-TB)の患者さんも含まれます。

障害やさまざまな事情で診療所に来ることができない患者さんには、診療所のスタッフと協力して、在宅治療も提供しています。

私の役職は医師マネジャーで、もちろん患者さんの診療や診断の支援もするのですが、現地スタッフの医師をマネジメントするのも大きな役割でした。現地スタッフの医師、看護師、通訳とともに診療所を巡回し、患者さんの診療、治療上の助言などを行いました。現地の医師の能力向上を目的として、ワークショップを企画したりもしました。また、治療を提供するにあたり困難な状況があった場合などは、解決策を話し合うために、現地の保健省担当者などとミーティングも行いました。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
車で移動中もミーティング 車で移動中もミーティング

勤務日は月曜から金曜日で、9時から17時半でした。北部の4地域をカバーしているので、大体、曜日ごとに訪問する地域を決めていました。

午前中に事務所から車で移動し、それぞれの診療所に移動して患者さんを診療したり、診療所のスタッフと治療経過を話し合ったりします。午後は事務所に戻って現地スタッフとミーティングをしたり、オフィスワークをこなしたりしました。移動は片道2時間程度かかる場所もあり、結果的に多くの時間を車の中で過ごさざるを得ませんでした。

土曜、日曜はお休みなので、個人的な業務をしたり、外に出かけたりしました。時差はありましたが、スカイプで家族と話すことも多かったです。私がいたヴァナゾールはアルメニア第3の都市と言われていますが、人口10 万人※ほどの小さな町でした。特に遊ぶ場所もありませんでしたが、自然が好きなので裏山を散歩したり、ジョギングをしたりしました。牛や羊、豚が行きかうようなのどかな雰囲気です。時には同僚と一緒にハイキング、ピクニックに行ったり、レストランに行ったりもしました。勤務地では安全面は特に大きな問題はありませんでした。

また、3ヵ月ごとに休暇をもらえるので、休暇を使って東欧やグルジアを旅行しました。

  • 2001年の人口調査による
Q現地での住居環境についておしえてください。
スタッフと一緒にバーベキュー スタッフと一緒にバーベキュー

私の役職はとにかく移動が多かったです。北部の勤務地では、賃貸の一軒家に海外派遣スタッフ3人で住んでいました。個人の部屋もありました。家自体の日当たりが悪く、寒かったですが、それ以外は快適に過ごせました。

1~2週間に1度、エレバンで行われるDR-TBの治療内容を決定する会議に出席するため、週末にエレバンに滞在することも多かったです。その際はエレバンのプログラムのスタッフが住んでいるアパートの一室を使用しました。ここの住居環境に関しても、特に大きな問題はありませんでした。

停電や断水はたまにありましたが、それほどの頻度ではありませんでした。清掃、洗濯などは家政婦さんがやってくれました。事務所にいる時は、昼食はコックさんが作ってくれ、外出時はケバブなどを食べました。夕食はほかのスタッフと一緒に作るか、自分で料理もしました。

幸い、私の活動期間は本格的な冬(1~3月) にかかりませんでしたが、それでも12月はとても寒かったです。マイナス10~20度くらいの時もありました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
薬剤耐性結核の治療についてワークショップも開催 薬剤耐性結核の治療についてワークショップも開催

DR-TBの治療は、非常に多くの薬剤を飲まなくてはならず、治療期間が2年間もしくはそれ以上に及ぶことも多くあります。薬剤の副作用も多く、その困難さから治療の継続が難しくなる患者さんもいます。さらに、多くの患者さんが経済的に貧しい状況にあるため、周辺国に出稼ぎに行ったりして、治療を中断してしまう現実があります。

アルメニアの活動では、MSFは社会的弱者を中心に多くの支援をしているのですが、治療の中断を防ぐのが非常に難しかったです。そうした状況下で、私の活動期間中に、超薬剤耐性結核(XDR-TB)に対する新規薬剤の使用を開始したのですが、さまざまな意味で、私にとって大きな仕事でした。今後、この分野での薬剤開発・研究が進み、治療計画の短縮・簡素化が実現されることにより、DR-TBの治療も大きく進歩するのではないかと期待しています。

アルメニアのプログラムは、MSFが展開している災害時の緊急援助や紛争地の難民援助といったプログラムとは若干性格を異にしており、長期的視点に立ち、持続可能性も考慮に入れながらの活動でした。何か新しい事をする時に、自分たちですべて行ってしまうのは簡単なことですが、それではMSFが活動を終了した後に長続きしないことは明白です。患者さんを目の前にして「どこまで自分たちがやるべきか」という命題が、国際協力を考えるうえで非常に難しく、自分の中では悩んだ点でした。

さまざまなミーティングに参加する機会も多かったのですが、欧米人やアルメニア人の積極的な態度に気おされ、自分の意見を伝えられないこともありました。活動中に自分のコミュニケーション能力が向上したと感じていますが、会議における英語力・積極性は苦労した事の1つでした。

Q今後の展望は?

しばらくは国内で医師としてさらなる研鑽(けんさん)を積みたいと思っています。

語学力も含め、医師としての自分の能力を高めた上で、次は緊急援助の現場で働く機会があれば、参加したいと思っています。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

迷っているなら行動するのが、後悔しないと思います。

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