海外派遣スタッフ体験談
3つの活動地で管理業務に従事
熊澤ゆり
- ポジション
- アドミニストレーター
- 派遣国
- エチオピア
- 活動地域
- アロレッサ
- 派遣期間
- 2012年12月~2013年6月

- Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?
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前回(イエメン派遣時)の「派遣者の声」をご覧ください。
- Q今までどのような仕事をしていたのですか?どのような経験が海外派遣で活かせましたか?
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前回(イエメン派遣時)の「派遣者の声」をご覧ください。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?どのような業務をしていたのですか?
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細い山道を行く病院間の移動、
雨季には道がぬかるんで足止めも。プログラムは、エチオピア南部シダマ地方のアロレッサとチレという2つの地区の病院で地元保健省と協力し、母子保健(家族計画を含む産前産後の検診、産科への支援)、5歳以下の子どもの診療および入院患者(特に栄養失調の症例)への支援がおもな活動でしたが、より高度な医療が必要な患者さんのため、設備が整った病院への転院支援も行っていました。
また、アロレッサでは病院の近くに、病院から離れた地域に住む、出産時期が近づいた妊婦が出産までの間生活できる施設(Maternity Waiting House: MWH)を運営していました。私の着任当初、チレではまだこの施設の建物の改修を行っている段階で、諸事情あり私の任期中にはオープンできませんでしたが、帰国前には完成し開所を待つばかりの状態でした。スタッフの中には健康教育担当者もおり、入院中あるいはMWHに入所中のお母さんたちや家族への保健教育だけではなく、病院から離れた村へ出かけ、住民に対し、病院で行っている母子保健サービスの利用や予防接種の必要性など、基礎的な保健や栄養の知識の普及や啓発活動も行っていました。
これらの活動の中で私の役割は、プログラムの財務・会計管理、人事管理、各種契約書の管理といったものでした。実際にプログラムを行っていたアロレッサとチレのほかに、シダマの首都アワサに連絡事務所があり、ここもプログラムの管轄下にあり、合計3ヵ所の管理業務をしていました。
- Q週末や休暇はどのように過ごしましたか?
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このプログラムではかなり忙しかったので週末もなかなか休めませんでしたが、休みが取れた日は近所を散歩したり、マーケットをのぞいたり、家でのんびり昼寝をしたり、日本から持ってきた本を読んだりしていました。アロレッサもチレも緑が多く、とても風景の美しい所で、散歩しながら写真を撮るのは楽しみでした。
また村には、メニューは限られているとはいえレストランやマキアートが飲めるカフェもあり、同僚たちと昼食を食べに出かけたりもしました。エチオピアはかつて、一時イタリアの占領下にあったためか、舗装した道路もないような田舎町でもマキアートが飲めるカフェがあるのは驚きでした。
休暇は6ヵ月の間、取りそびれていましたので、帰国前にエチオピア北部の観光地を回りました。疲れがたまっていたのか、そのうち2日ほどはホテルでごろごろしていました。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
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前述のように、このプログラムではアロレッサとチレという2つの活動地とアワサの連絡事務所の3ヵ所に拠点があり、これらを行き来する生活をしていました。
おもな生活の基盤があったアロレッサでは、事務所、宿舎、倉庫等MSFの施設が町の中心にあり、特に活動していた病院からは歩いて数分の距離にありました。スタッフ用の宿舎ではそれぞれのスタッフが個室を持っていましたが、シャワーとトイレは共同でした。着任当初はボイラーがなく、シャワーは鍋で沸かしたお湯を使っていました。間もなくボイラーが設置され楽になりました。
チレではほかの地方から来ているエチオピア人スタッフと私たち外国人スタッフの宿舎が同じ建物の中にありました。共同の食堂だけでなく事務所、倉庫も同じ敷地内にあります。ここに住んでいるスタッフの大部分はエチオピア人なので、食事は毎食エチオピア料理で、スタッフの中には口に合わず苦労した人もいたようですが、私はおいしくいただいていました。
アワサの連絡事務所は普通の民家を借りたもので、スタッフ用の個室もその中にありました。ここは一時滞在用の施設だったので、台所もお茶を沸かす程度の設備しかなく、食事は外食、忙しいときにはスーパーで買ってきたパンやチーズなどで済ませることもありました。ただ、都会なのでレストランもスーパーもたくさんあり、選択肢も多く楽しみでもありました。また、自分の部屋を出ると事務室…という環境に疲れたときは、近くのホテルに泊まったこともあります。
- Q良かったこと・辛かったこと
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信頼できるスタッフに恵まれたこと、治安が良いところだったので通常は自由に出歩けたことはよかったです。
個人として特に辛い思いをしたことはありませんが、日本から派遣され私と同時期に派遣前の研修を受けた同僚が健康上の問題でナイロビの病院へ緊急搬送され、離任することになったときは大変でした。ほかの同僚たちとともに心配することぐらいしかできないもどかしさとともに、1人のスタッフが急に活動できなくなったことでいろいろな問題も派生し、その対応には残ったメンバー全員で試行錯誤しました。
- Q派遣期間を終えて帰国後は?
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活動中にできなかったこと、友人たちに会ったりコンサートや展覧会へ出かけたり…充電します。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
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何はともあれ、異なる環境の中で自分の心身の健康を保っていくための努力は必要です。特に、異なる文化や価値観を持つ人たちの中で相手の価値観を尊重する柔軟性は、周りの人との協調というだけでなく、自分を客観的に見直すことで、活動にせよ日々の生活にせよ精神的に楽になるはずです。派遣される場所によって状況はさまざまなので、それぞれの場にあった自分なりの工夫をしていく必要があると思います。もちろん場合によっては、自分で抱え込まないで周りに助けを求める勇気も必要です。