シリア:戦争の重荷を背負って(4)——アテネに集団移動するシリア人難民

2013年08月07日

シリア内戦を逃れてトルコへと移動した人びとの中には、密入国業者の手配でヨーロッパを目指す人も少なくない。特に、エーゲ海に出航してトルコ対岸のギリシャを目指す人が増えている。その船旅は危険と隣り合わせで、転覆事故も起きている。現在、ギリシャでは、シリア人であることを証明できれば拘束されることはないという。ただ、滞在許可には有効期限があり、腰を落ち着けていられるわけではない。それでもヨーロッパを目指す人びとに話を聞いた。

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内戦から逃れて密航、4回目でギリシャへ到着

「朝5時。姉が美味しい朝食を作ってくれた。食べ終わるとすぐに車に飛び乗り、トルコとの国境へ向かった」——ラワンド・ディークさんは、ラッカ県出身の21歳。シリアからの流浪の日々を日記に綴っている。

それも今では相当なページ数になっている。 幼い頃はカナダ留学を夢見ていたが、ビザの申請が受理されず、ダマスカスの大学で英語を学ぶことにした。しかし、内戦が勃発すると激しい戦闘が頻発するようになり、ラッカ県からの避難を余儀なくされた。シリアを出国するのに時間はかからなかった。国境付近の難民キャンプ行きを避けるために、北西を目指した。

「トルコ国境を超えてからいくつもの町を通り過ぎ、ようやくイスタンブールに到着しました」と振り返る。密入国業者に接触し、ヨーロッパへ運んでもらうことになった。他のシリア人24人と共にトルコ西岸の都市イズミルへ移動し、そこで小さな船に乗せられ、エーゲ海を渡ってギリシャのレスボス島へと向かった。「4回目にようやく成功したのです。一緒の船には子どもも2人いました。航海は夜に行われましたし、船も小さかったので少し怖い思いをしました。とても危険だったと思います」と話す。

ディークさんたちの場合は、船を発見したギリシャ沿岸警備隊が岸まで誘導してくれた。しかし、毎回このように順調に事が運ぶとは限らない。2012年3月には、レスボス島上陸を試みた船が転覆し、シリア人7人が命を落としている。

シリア人の不法入国が急増

アテネに向けて出航するシリア人の一団

現在、エーゲ海諸島に到着する移民の中で最も多いのがシリア人だ。ここは、ギリシャを始めとするEU諸国への玄関口。国境なき医師団(MSF)の移民専門家であるイオナ・コッツィオーニは「2004年以降、この地域に到着する移民のほとんどはアフガニスタン人でした。しかし、現在は、シリア人が他の国からの移民を初めて上回りました」と指摘する。

ギリシャ警察の報告によると、2012年に同国に不法入国したシリア人は約8000人。今年に入ってからは、最初の4ヵ月間で1709人が不法入国した。かつては、移民・難民のほとんどが、トルコ北部から陸路でギリシャ国境を超え、エブロスへ入る方法をとっていた。しかし、2012年夏、ギリシャ当局が不法入国を阻止すべく壁を建設し、2000人の治安部隊を配備した。その結果、エーゲ海の新ルートが開拓されたという経緯がある。

MSFは2012年、エブロスとエーゲ海諸島の両地域で、移民に対する援助活動を展開した。中には、数ヵ月にわたり拘留されていた人びともいた。MSFの援助対象者の中で、1500人がシリア人だった。

ギリシャの法律上、証明書類を持たない移民は最長18ヵ月まで拘留される。しかし、2013年3月以降、シリア人であることを証明できれば入国時に身柄を拘束されることはなくなった。ディークさんは同船した人びとと共に、レスボス港で沿岸警備隊に1日、翌日は警察署で1日拘束されただけで、警察から6ヵ月の滞在許可証を発行してもらえた。しかし、有効期間が過ぎれば、再発行を申請するか出国するかを決断しなければならない。

生活費なく、人種差別に遭うことも

書類を受け取ったディークさんは、アテネ行きのフェリーの乗船券を購入した。「今の気持ちを言葉で表すことは出来ません。シリア出国がかない、自由で幸せな気持ちです」。と喜ぶディークさん。フェリーは夜明けとともにアテネ近郊のピレウスに入港した。興奮気味にギリシャ本土に降り立った彼は、左右から両腕をつかまれた。警察だ。

欧州対外国境管理庁(Frontex)に数時間拘束され、尋問を受けた。「彼らは、私が英語を話せることがわかっていました。知っていることを全て話すと、解放されました」

シリアからギリシャに入国する移民が直面する障害は、これだけではない。MSFのコッツィオーニによると「持参金の全額を密入国業者に支払っている場合が多いのです。ギリシャ到着後も、ギリシャ政府からは何の援助も受けられません」という。

移民の多くは、アフガニスタン、イラク、シリアなどの紛争国出身だ。彼らのように最近ヨーロッパ来た移民は、あたたかく迎えられるどころか、人種差別の被害に遭うことが多い。

多くの移民にとって、アテネは通過地点に過ぎない。これまでシリアを出たことがなかったディークさんは、「アテネがこのような場所だとは思わなかった。ドイツやイギリスのような、ヨーロッパの都市を想像していたのです。」と言い、初日からすでに疲労感をにじませている。今後はどうするのか。学業のためにカナダか英国へ渡るか、アテネで職を探すか、まだ決めていない。

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