マレーシアに逃れても続く苦悩 行き場を失ったロヒンギャ難民が行き着いた場所
2019年09月26日
イスラム系少数民族「ロヒンギャ」のショル・ムルクさん(50歳)は、2016年にマレーシアに向かって旅を始めた。それは、危険な旅だった。
それまで住んでいたミャンマー・ラカイン州ではロヒンギャへの迫害が続いていた。妻と3人の子どもを残し、ショルさんは人身売買業者にお金を払ってタイへ連れて行ってもらうことにした。それから7日間、人がぎっしり乗ったボートに乗せられた後、タイの山奥にあるキャンプへ連れて行かれた。キャンプに着いたロヒンギャは、親戚から人身売買業者にお金が届くまで殴られた。家族に支払い能力がなかった人は殺され、遺体は夜の闇に紛れて始末された。
お金がなくなり、殺される可能性が出てきたため、ショルさんは逃げ出すことにした。日暮れになるまで待ってからジャングルへ逃げ、どこに向かっているかもよく分らないまま、数週間歩き続けた。
なんとか、ショルさんはマレーシアにたどり着くことができた。さらに幸運なことに、別のロヒンギャの家族に受け入れてもらえた。ショルさんは、建設現場で働いた。だがある日、タイで殴られた時の傷がひどくなり、耐え切れなくなった。「部屋を借りるお金も十分にありません」とショルさん。今は、他の人からの施しに頼る生活で、「寝られる場所で寝ています……。生き延びるだけで精一杯です」と言う。
マレーシアに集まる9万人のロヒンギャ難民
ショル・ムルクさんと同じ身の上でマレーシアにいる人は17万7690人いる。難民登録を済ませた人たちで、大多数はミャンマーから来ている。うち9万7750人がロヒンギャ難民だ。マレーシア最大の難民集団でもある。ロヒンギャは、出生地であるミャンマー・ラカイン州で続いている差別から逃れるため、1990年代からマレーシアに逃れてきた。また、バングラデシュにあるキャンプでは将来の見通しが立たないことから、マレーシアに来るロヒンギャが増えている。マレーシアは都市なので、難民などと正体を明かなくても、その場にとどまりやすい。
だが、いわゆる“セーフティーネット”も少ない。東南アジアの他の国のように、マレーシアも国連の「1951年難民の地位に関する条約」を批准していない。このため、難民らはマレーシア国内法では、実質的に非合法の存在とされている。難民は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)で登録できるが、とりたてていうほどの援助は受けられない上に、合法的な就労はできない。教育、医療、社会福祉も受ける範囲も限られている。
逮捕されて身柄を拘束された挙句、ふるさとに強制送還されてしまう恐れもあるため、難民や移民は隠れて生活せざるを得ない。大半の人は外へ出るのさえためらい、緊急処置が必要な場合でさえ、医療機関の受診は後回しにする。病院職員に入国管理局へ通報されてしまう場合もあるからだ。「生き延びるために、大勢の難民が闇経済の仕事に就き、汚く、危険が伴う難しい仕事をしています。建設業の日雇いや農業などが典型例です」とマレーシアの国境なき医師団(MSF)活動責任者、ビアトリス・ラウは話す。搾取、脅迫、ピンはねのリスクに加え、作業場での事故も多い。
「マレーシアにいる移民は、悪循環から抜け出せないまま、心と体の健康を害しています」
医療援助活動を続けるMSF
こうした現状を受け、MSFは2015年からマレーシアのペナン州で、ロヒンギャをはじめとした難民と移民の医療援助活動を担ってきた。移動診療所の運営に加え、2018年10月には難民らが多く住んでいるペナン州バタワースに、常設の一次医療診療所を開院した。MSFは2018年10月~2019年8月に、常設診療所で6770件、移動診療所で1996件をそれぞれ診療した。心のケアに関する講座を受けたり、心理社会面の支援やカウンセリングを受けたりもできる。また、特に弱い立場にある難民については、UNHCRとも連携し、支援を続けている。