「ここで生きるより死なせてほしい」──反難民感情が高まるレバノンで、シリア難民が直面する恐怖

2024年07月19日
レバノンにおけるシリア難民の健康が危ぶまれている。心理面での影響も深刻だ © Carmen Yahchouchi/MSF
レバノンにおけるシリア難民の健康が危ぶまれている。心理面での影響も深刻だ © Carmen Yahchouchi/MSF

「もう死んでしまいたいです。誰もが不安と恐怖の中で生きています。ここで生きながらえるより、死なせてほしい」

そう話すのは、レバノン北東部に暮らすシリア難民のウンム・ハッターブさんだ。シリアとの国境沿いにあるキャンプの、薄いテントで暮らして数年になる。

彼女の言葉は、レバノンのヘルメル、カーア、アルサルにいる何万人もの難民が直面している厳しい現実を表している。防水シートや廃材で作られたその場しのぎの仮住まいでは、厳しい気候からほとんど身を守れない。さらに彼らは、レバノンで高まる反難民感情の中で安全が脅かされている。恐怖にさらされながら生活する難民の人びとの声を伝える。

診療所へ行くまでの検問所で捕えられたら……

高血圧と糖尿病を患う36歳の父親であるワエルさんは、次のように話す。

外に出ると怖いので、一家10人皆で、丸一日テントの中で身を寄せ合って暮らしています。

「シリア人には夜間の外出禁止令が出ているので、夕方6時以降はテントから出ません。子どもたちは外へ遊びに行くこともなく、地元の子どもたちにいじめられています」

厳しい環境での生活が子どもたちの心に影響を与えている © Carmen Yahchouchi/MSF
厳しい環境での生活が子どもたちの心に影響を与えている © Carmen Yahchouchi/MSF

ワエルさんは数年前からヘルメルにある国境なき医師団(MSF)の診療所に通院し、慢性疾患の治療に欠かせない投薬を受けている。だが、最近の行政措置で、この命をつなぐ治療すら受けづらくなっている。

4月以降、レバノンは滞在許可証を持っていない個人を問題視し、家宅捜索と治安対策の強化に踏み切った。それにより、シリア難民の患者がバールベック・ヘルメル県にあるMSFの診療所へ医療を受けるには恐怖と移動規制が立ちはだかる。ワエルさんはヘルメルにあるMSFの診療所に行くために検問所を越えなければならない。

「MSFの診療所に予約がある時は、いつも不安になります。検問所が怖いんです。5月20日に予約していた時は、近辺で治安取り締まりが行われていたので、外出するのが怖くなり、行くのを断念しました。不安が増すと血糖値が上がります。でも、それを下げる手段がなくなることでまた不安になるのです」
 
治安取り締まりの間、期限切れの滞在許可を持ったシリア人の多くは検問所で捕えられ、家族と連絡を取る機会もないままシリアに強制送還される。

薬がもうなくなったと話すシリア難民の男性。高血圧を患っている © Carmen Yahchouchi/MSF
薬がもうなくなったと話すシリア難民の男性。高血圧を患っている © Carmen Yahchouchi/MSF

MSFは2010年から同国北東部のバールベック・ヘルメル県で活動。十余年にわたって、質の高い無償の診療を行ってきた。内容は小児科、リプロダクティブ・ヘルスケア(性と生殖に関する医療)、非感染性疾患治療、予防可能な病気の予防接種、難民や地元住民の心のケアなど多岐にわたる。
 
現在、MSFはアルサルとヘルメルで診療所を運営しているほか、提携している病院を通じて二次医療を受けやすくしている。しかし、このような支援のわずかな光の中でさえ、恐怖が難民らを支配しているため、予約時間に患者が来られない事態が急増している。

「1分たりともここにいたくない」

シリア難民は当初、地元の人びとに温かく歓迎されていた。しかしレバノンが経済破綻したことを受け、状況は変わった。
 
21歳のマヤさんは、シリアよりもレバノンで過ごした時間の方が長くなった。レバノンに来た時を振り返ってこう話す。

「アルサルに来た当初は、地元の自治体が助けてくれました。腰掛や日用品もくれたのです。その後、学校に通うこともできました。当時、地元の人たちは私たちを歓迎してくれて、よそ者のようには感じることもありませんでした」

しかし、5年目となる深刻な経済危機の中で、レバノンは排他的な動向を強めている。生活苦に移動の恐怖が重なり、難民は安全と健康のどちらをとるかという選択を迫られている。現在、難民の人びとが抱える課題の中で、優先順位がさらに低いのが心の健康だ。
 
マヤさんは、児童婚をさせられ、その後娘たちを火事で亡くし、心に深い傷を負って生きてきた。彼女は今、地域の人びとの心のケアに取り組もうとしている。しかし、それもこの状況下では難しい。

子どもの頃、砲撃が続くシリアからレバノンへ逃れてきたマヤさん © Carmen Yahchouchi/MSF
子どもの頃、砲撃が続くシリアからレバノンへ逃れてきたマヤさん © Carmen Yahchouchi/MSF

心的外傷を抱えたウンム・ハッターブさんはこう言う。
 
「誰もがイライラしています。誰かが大声で話したり、大きな音を聞いたりすると、治安部隊の摘発が始まったと思いこんで、パニックに陥ってしまうのです。
 
もしシリアの自宅が安全だったら、私は1分たりともここにとどまったりはしないでしょう。それが本当の気持ちです。シリアには何も残っていません。あそこで暮らすのは不可能です。ここで生きながらえるより、死なせてほしいと願っているのです」
 
2011年に始まったシリアでの紛争により、数百万人がレバノン、トルコ、ヨルダン、イラクなどの近隣諸国に避難した。シリアは今も安全とはほど遠く、人びとが戻る状況には至っていない。
 
避難先のレバノン北東部では、恐怖と移動制限に妨げられてシリア難民は医療を受けられないでいる。身の安全を選ぶか、医療を選ぶか──。そのような選択を、弱い立場に置かれた人びとに強いることがあってはならない。

経済危機が長引くレバノンで、シリア難民を取り巻く状況は悪化した © Carmen Yahchouchi/MSF
経済危機が長引くレバノンで、シリア難民を取り巻く状況は悪化した © Carmen Yahchouchi/MSF

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