戦争のことは誰も話さない……「イスラム国」との戦いで破壊されたモスル 復興は遠く

2021年12月03日
イラク・モスルの助産師。ISとの戦いで荒廃した都市の復興は続く © Peter Bräunig
イラク・モスルの助産師。ISとの戦いで荒廃した都市の復興は続く © Peter Bräunig

「近くに戦線があって、負傷者が毎日病院に運び込まれてきました」

イラク北部の都市モスルで、国境なき医師団(MSF)のプロジェクト運営に携わるアブドゥルラフマン・ザンヌーン・カリール(29歳)は、町が戦火に包まれた4年前を思い返す。MSFでの勤務を始めたばかりで、「(援助活動での)中立と公平の意味を理解した瞬間もよく覚えています」

モスルが過激派組織「イスラム国」(IS)に占領されたのは2014年。この都市でずっと暮らしてきたカリールは、その頃のことをうまく言い表せない。「体の内側から拷問を受けたような……。未来も何もなくなりました」。戦争は終わり、以前よりも安全な町に戻ったが、人びとの目にはいまも大きな怒りと痛みが浮かんでいるという。「戦争の体験が重荷になっているのに、誰もそのことは話さないんです」

モスルでMSFプロジェクト・コーディネーター補佐を務めるカリール © Peter Bräunig
モスルでMSFプロジェクト・コーディネーター補佐を務めるカリール © Peter Bräunig

戦線のはざまで

2016年から2017年にかけて、米軍主導の有志連合が支援するイラク治安部隊は、ISからモスルを奪還するため、軍事攻撃を開始。その当時、こんなことがあった。ある少年が、父親をISの構成員と疑われ、尋問されていた。たった6歳で、けがを負っていた。「私たちは間に入って男の子を保護し、病院に受け入れました。まず大事なのは、けがの治療ですから」とカリール。

その後、少年も両親も民間人だったと判明した。家族で町から逃れようとしていたが、戦闘に巻き込まれ足止めされたのだった。「町が解放されるまで、路地と古い家屋が迷路のように入り組んだ旧市街に閉じ込められていた。その混乱のさなかで、少年は両親と離れ離れになってしまったのです」

あれから4年以上が経ったが、モスルとその周辺地域ではいまも戦争の傷跡が強く残る。「皆、前を向こうとしています。でも、本当にたくさんの悲劇を目にしましたし、避難生活を続けている人も大勢います。多くの人は心の傷を負っていて、治療も受けられずにいる。破壊された医療施設の機能も完全には復旧していません」とカリールは語る。

医療復旧までは程遠い

戦争が終結すれば、必然的に元どおりになると思われがちだ。だが復興は実際には何年、あるいは何十年とかかる。イラクでMSF活動責任者を務めるエステル・ファン・デル・ブルトは「インフラの多くが戦闘で破壊され、再建や修復がまだまだ必要です。モスルの医療施設はニーズに応えるのに苦労していて、医療を受ける家計の余裕がない人びともいます。MSFによる無償の医療援助が欠かせない状況です」と説明する。

モスルでは刻々と状況が変化している。昨年は新型コロナウイルスの感染拡大も発生。MSFは状況に合わせて活動を適応させ、医療倫理と中立・公平の原則を道しるべに、人びとの医療ニーズに応えるため全力を尽くしている。

モスル西部ナブルス地区にあるMSF病院で生まれた赤ちゃんを抱く小児科医 © Peter Bräunig
モスル西部ナブルス地区にあるMSF病院で生まれた赤ちゃんを抱く小児科医 © Peter Bräunig

MSFは深刻な戦争被害を受けたモスル市民に医療を提供するため、チグリス川西岸のナブルス地区では新生児科・産科・小児科を備えた病院を運営。また特に貧しい東寄りのアル・ナフラワン地区でも同様のプロジェクトを実施している。この2カ所での出産や治療の件数は月平均1000件に及ぶ。モスル東部では、アル・ワフダ整形外科病院で再建外科と包括的な術後ケアを提供。事故や暴力によるけがの治療のほか、心のケアや健康相談も受けられる。

MSFはまたモスル市の医療体制の復旧や新たな緊急事態への対応に必要となるサポートを提供。2019年は住民の医療機会を向上するため、東部地区で感染症の専門病院を再建した。

また新型コロナウイルス対策としては、2020年3月から12月までの間、62床の術後ケア施設を新型コロナ治療施設として転用し、975人を治療。2020年11月から2021年4月の期間は重症患者向けの集中治療施設を運営し、患者14人の処置に携わった。

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