海外派遣スタッフ体験談

安全・清潔な分娩で母子の命を守る

伊藤まりこ

ポジション
産婦人科医
派遣国
パキスタン
活動地域
ティムルガラ
派遣期間
2010年9月~2011年1月

Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?

今回で9回目の派遣になります。医師として「自分のもっている知識や技術を役立てたい」、「中にはどんなに頑張っても救えない患者もいるけれども、私たちが協力することで、生存のチャンスを提供することができる」と信じてフィールドに行っています。

Q今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

2003年から活動に参加しています。それまでは一般病院で勤務していました。その後は派遣と派遣の間は非常勤やアルバイトをしていました。理解のある病院では、数ヵ月間の休暇をもらって参加しました。

海外では日本で見ることのない症例が多く、日本ほどの検査もないまま、治療方針を自分一人で決断しなければならないことがあります。特に患者が死亡したときは、その決断が正しかったのか、何をすればよかったのか……とずっと悩むことがあります。そのような思いを二度としないため、柔軟かつ迅速に対応するようにしています。私にとって、海外での症例の積み重ねは財産だと思っています。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
イタリア人外科医のリッカルドと帝王切開手術に臨む。

パキスタン保健省の病院で、産科病棟のサポートをするプログラムです。分娩はひと月に約300件あるのですが、陣痛室・分娩室は看護師も医療器具も不足していました。そのために、掃除婦が注射を行う、分娩を介助する、消毒されていない器具で分娩が行われるということも起きていました。また、薬品はすべて患者自身が病院の外の薬局で購入しなければなりません。電気の供給も不安定で、掃除も行き届かず、不衛生な状態でした。妊産婦・新生児の死亡率が高いという調査結果を受けて、MSFがサポートすることにより、安全な分娩を提供して母子の命を守ることがプログラムの目的でした。

私の到着後、MSFは分娩室の壁を塗り替え、電気工事を行い、エアコンを取りつけました。トイレの修理、新しいベッドや器具、薬品を注文して設備を改善したほか、人材についてはMSFの看護師、掃除婦などを雇い、トレーニングを開始しました。保健省職員の看護師にもMSFの治療手順に従うように頼み、一緒に分娩を行いました。

帝王切開後の回診。

現地の患者は陣痛促進剤を使用すると早く産まれると信じているため、陣痛が始まると薬局で買って*自宅や近くのクリニックで点滴を受ける人が大勢います。しかし一方で、分娩が進行せず病院に来るまでに胎児が死亡していたり、胎児の手やへその緒が出ていたり、運が悪いと妊婦が子宮破裂を起こしているケースもあります。また、妊娠高血圧症候群の妊婦も多く、けいれん発作を起こして意識不明で病院に送られてくる患者もいました。流産・死産の患者も多くいました。

*日本では陣痛促進剤は病院でしか使用できない。

私の担当は、このような妊娠中の出血、腹痛などの症状のある患者を管理して、帝王切開や流産手術などを行う産科救急でした。平日の昼間の救急は、すべて引き受けました。夜間のオンコール(待機)は現地の医師と分担しました。

現地医師は3~4人いて、午前中は外来を行い、午後は自分たちのクリニックに戻ります。ただ、夜間のオンコール担当時でも、妊娠高血圧症候群の患者を受け入れることはなく、車で4時間かかるペシャワールへの搬送を指示するのが彼らの選択でした。

Q週末や休暇はどのように過ごしましたか?

ティムルガラでは病院、オフィス、宿舎の移動はすべて自動車で、外を歩くことは禁止されていました。週末は朝に病棟の回診をして、その後は宿舎で読書、インターネット(速度が遅く、つながらないことが多い)、DVDで映画を観たりして過ごしました。4週間に1回首都のイスラマバードに行くことができます。そのときは買い物、レストランなどに行きました。3ヵ月後にはタイでの休暇を8日間過ごしました。

Q現地での住居環境についておしえてください。

大きな家にチームメンバー、現地スタッフと一緒に住んでいました。個室が与えられ、トイレ、シャワーも各部屋にありました。冬にはお湯が出て、始めの5分間くらいはよいのですが、すぐにぬるくなってしまいました。家はコンクリートの建物で、冬はとても冷えました。電気ストーブ、ガスストーブ、薪ストーブなどを使い、寒さに耐えていました。日本から持ってきた湯たんぽが一番役立ちました。食事はコックが3食作ってくれて、お米中心の食事に日本人の私は満足していました。パキスタンはムスリムの国なので、お酒は禁止されていました。

Qよかったこと・辛かったこと
産科の看護師スーパーバイザーと。

MSFの分娩室での活動を始める前に注文した器具、薬品などがなかなか届かず、また女性の看護師を募集しても集まらず、人手も器具も不足した状態で分娩室での活動を始めました。立ち上げの仕事は慣れていなかったため、10月末に助産婦が来るまでは、ずいぶんストレスがたまりました。仕事が軌道に乗り始めてからも、保健省職員の医師たちと連携して仕事をしなければならず、彼女たちの指示がMSFの治療手順から外れていたり、現地医師が手術をする場合には患者自身が薬品などを買わなければならなかったりと、MSFの基準で医療を提供することができないジレンマがありました。また、パキスタン女性の地位は低く、自分1人では決断できず、身内の男性の意見が必要となります。自分の身体のことなのに決断する自由が与えられていないために、受診が遅れて、死亡していった患者さんもいました。

辛いときには、いつもチームメンバーが支えてくれました。ストレスや問題点を取り除くためにできる限りのことをしてくれました。今回はクリスマスと新年を現地で迎えました。クリスマスにはパーティーをしてプレゼントを贈りあい、大晦日にはたき火の前にみんなで集まり、おしゃべりをしながら新年を迎えました。除夜の鐘もお雑煮もありませんでしたが、世界各地からやってきた人たちと新年を迎えるのは、楽しいものでした。

Q派遣期間を終えて帰国後は?

日本の病院に勤務します。しばらくは通常の生活に戻ります。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

清潔な分娩室で安全にお産ができるのは、世界的に見て、とても恵まれているということがわかります。母体死亡はつらい経験ですが、医療の提供で減らすことが確かにできます。母子ともに元気に退院していく幸せを感じてください。海外での経験は、きっと日本の医療現場でも生きてくると思います。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2003年1月~2003年5月
  • 派遣国:スリランカ ポイント・ペドロ
  • ポジション:産婦人科医師
  • 派遣期間:2003年8月~2003年12月
  • 派遣国:スーダン・アクエム
  • ポジション:産婦人科医師
  • 派遣期間:2004年4月~2004年6月
  • 派遣国:パキスタン・チャマン
  • ポジション:産婦人科医師
  • 派遣期間:2004年8月~2004年12月
  • 派遣国:ウガンダ・パデール
  • ポジション:産婦人科医師
  • 派遣期間:2005年4月~2005年6月
  • 派遣国:リベリア・モンロビア
  • ポジション:産婦人科医師
  • 派遣期間:2007年11月~2007年12月
  • 派遣国:スリランカ・ポイント・ペドロ
  • ポジション:産婦人科医師
  • 派遣期間:2009年1月~2009年3月
  • 派遣国:リベリア・モンロビア
  • ポジション:産婦人科医師

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