海外派遣スタッフ体験談

3年半ぶりのMSFで、難民キャンプの病院管理に携わる

大野 充

ポジション
正看護師
派遣国
南スーダン
活動地域
イダ
派遣期間
2015年9月~2016年2月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

前回の派遣から3年半ぶりの参加でしたが、以前と同様に人道援助活動を行いたい、基本的な医療を提供することで死亡者数や患者数の減少に貢献できる、という思いがあり、再び参加を希望しました。前回の派遣の時からまたMSFに参加したいと思っていましたが、やりたいことがあったのでそれを優先させました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

前回の派遣から3年半の間、他組織にて東日本大震災の活動に携わり、その後8年ぶりに日本の臨床現場に戻りました。長いブランクでしたが病院の協力もあり、集中治療室(ICU)で経験を積ませてもらいました。

その後はタイの大学で公衆衛生を学びました。疾患にかからないようにするためには何が必要か、地域社会において疾患をコントロールするためにはどうするのか、医療全体の質の向上を図るために何を計画し実行していくのかなどを学びました。

ウェブも活用して足りない知識を補うようにし、語学はわからない単語が出てきたときにその都度調べました。一部のMSFのガイドラインもウェブから入手できるので語学力の向上につながりました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

過去の派遣では、難民キャンプで内科外来と入院病棟の管理、村に出向いて住民への健康教育、地震災害後の整形外科病棟の管理、紛争による外傷の外科病棟勤務など、さまざまな経験をさせてもらいました。

日本と同じような看護の実務や技術指導も時々ありました。主要な業務はスタッフ管理をする看護師長の役割で、人事、勤務表作成、物品の管理、スタッフの教育を行いました。全般的には日本で看護師長をしたことはありませんが、日々のチームリーダーとして病棟全体の把握をして業務を調整した経験が生かされました。

日本の医療の知識や技術が基となり、公衆衛生を学んだことも役立ちました。今回の派遣で新しく学んだことも多くありました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
外来での定期予防接種 外来での定期予防接種

今回のプロジェクトは、紛争でスーダンから南スーダンに逃れてきた難民と難民を受け入れている地元の人たちへの医療提供です。その地域で医療を提供している組織はMSFのほかに1つしかなく、そのNGOは主に妊産婦のケアにあたっていました。MSFは外来と入院病棟があり、ベッド数は65床でした。

主な疾患はマラリア、下痢、肺炎、栄養失調、新生児敗血症、外傷などでした。骨折、火傷、結核、糖尿病など治療が長期にわたる疾患もありました。出産や手術が必要な場合は転院してもらいました。

私の役割は主に病院全体の管理で、患者への直接的なケアの割合はわずかでした。病院全体で150人ほどの現地スタッフがいました。私が人事管理をしていたのは80数人、そのうち約70人の医療スタッフ(看護師、看護助手、検査技師)とその他に清掃員と調理員がおり、現地の看護師長3人と緊密に協同していました。

病院での管理の内容はスタッフの人事、勤務管理、勤務表作成、時間外労働、雇用、解雇、人事評価、職務内容書の作成、データ収集と分析、物品の管理など多岐にわたりました。ほかの海外派遣スタッフと病院での問題点を共有し改善していくために毎日ミーティングを行いました。

9月から11月までマラリアの大流行があり、最大で1週間に1200人のマラリア患者を治療し、その対応に追われました。マラリアによる合併症で重症になるケースが多々あり、急増する入院患者のために増床しました。合併症であるけいれんや低血糖などに対応するため、私も治療や検査を行いました。また交通事故の外傷で20人弱の患者が同時に来たときはトリアージ(※)を行い患者のケアに当たりました。

そのほかに現地医療スタッフの能力強化として、スタッフの教育を行う専門の海外派遣看護師もいたので、12月以降はその教育にも協力しました。現地の看護師長の管理能力のレベルを上げることも課題のひとつで、目標の設定、目標に到達するための方法とスケジュール管理、問題提起とその解決方法の改善を行いました。課題を明確にしたことで彼らの意欲も上がり管理能力の向上がみられました。

  • 重症度、緊急度などによって治療の優先順位を決めること
Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
医療チームのメンバーと 医療チームのメンバーと

月曜日から土曜日までの日中が通常の勤務で、日曜日は一応休日でした。外来をまわり、毎朝短時間のミーティングで海外派遣スタッフと現地の看護師長たちと問題点や方針の確認をし、スタッフの適正な配置や物品の補充等、病棟と外来の全般的な管理、検査室のサポート、調理員や清掃員との打ち合わせ、事務などを行いました。

朝8時前から仕事が始まり夕方5時に一応終了ですが、その後も事務作業が多々ありました。日中働いたあと夜間のコール番もあり、患者の治療に携わりました。まったく休めない夜もあり、翌日の病院全体の管理がスムーズにいかなくなったため、チーム内で協議の上2ヵ月後にコール番から外してもらいました。

輸血のコール番は引き続きほぼ私が1人で担当していたので、派遣中の平日時間外と休日はいつでも呼び出される体制でした。

休日の呼び出し以外は、近くのマーケットに出かけビールを少々飲むような機会もありました。患者以外の地元の人や難民の人たちとも交流があり、彼らの生活の一部を知ることができました。海外派遣スタッフとはトランプやバレーボールをして楽しみました。

Q現地での住居環境についておしえてください。

海外派遣スタッフの住居は病院のすぐ隣で、部屋は1人ひとつのテントでした。日中の気温は40度を超え、夜間は15度くらいまで下がったので、気温差が激しく体調を崩す人もいました。

食事は米飯、パン、パスタ、豆、野菜、鶏肉などの料理を作ってもらい毎日おいしくいただきました。週末は自分たちで料理をすることもありました。

シャワーは水で、お湯はありませんでした。MSFが難民へ水も供給していて、水不足になることはありませんでした。電気はMSFによる自家発電で十分まかなえていたので、コンピューターや夜間の電気に困ることはありませんでした。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
輸血のためのスクリーニングを行う筆者 輸血のためのスクリーニングを行う筆者

今回、新しく学んだことは輸血に関することです。日本の臨床では輸血が必要なときに検査室で保管されている血液を受け取り患者へ輸血していましたが、難民キャンプでは血液バンクがなく輸血のドナーを探すところから始まりました。

患者の家族や親せき、知り合いにドナーとして協力してもらい、血液型や感染症を調べて患者の血液と適合すれば血液を採取し、その後に患者へ輸血しました。平日の日中は検査技師がそれを行っていましたが、夜間や休日は私自身でそのすべてを行いました。血液型の検査を間違えば命にかかわるので、検査中や輸血中はかなり緊張しました。

また、血を採られると死んでしまうという誤解が広まっており、説明しても簡単には納得してもらえずドナー探しは毎回難しさを伴いました。特に希少な血液型の患者のドナー探しには長い時間を費やしました。希少な血液型の妊婦が出血多量で輸血が必要な状態になった時は、母子ともに危険な状態にさらされました。MSFの病院では出産を取り扱っていなかったので、他院へ転院しそこで無事帝王切開をしました。出産後も輸血が必要だったため、MSFの病院に戻ってきてから何日も費やしてドナーを探した結果、適合する血液が見つかり無事に退院していきました。

難しい対応を迫られたのは、精神的に不安定な行動が見られる患者でした。その患者には3人の子どもがおり、夫である父親はいなく、自分と子どもの1人が結核でした。子どもが全員幼かったので家族4人とも一緒に入院という形をとりましたが、母親が朝に病院を抜けだして夜まで戻ってこないということもありました。4歳の子が1歳の弟の面倒をみるという状況で、看護師から調理員までみんなで見守っていました。現地スタッフはそのような患者にも協力的で、彼らの優しさを感じました。

2人の治療が落ち着いてきたところで、MSFがその患者の住む地域のリーダーと協議して、その患者の面倒を見てもらうようにお願いしました。現地には、彼女のような人を受け入れる施設が存在しないので、地域の人びとの協力が必要になります。結果、快く受け入れてもらえ安心しました。

Q今後の展望は?

次回は、もともと関心のある小児の栄養失調プログラムや緊急援助に参加したいです。またほかの組織で活動することによっても、さまざまな事を学べるので、仕事内容によっていろいろなことに挑戦したいと思っています。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

派遣にあたり必要となるものは、仕事の経験、語学力、意欲、協調性だと思います。そのうえで現地の人や文化と海外派遣スタッフを尊重し、日本の基準を当てはめるのではなく現地に合ったやり方を見つければうまく活動できるでしょう。

だれでも初めての時があります。日本で診たことのない疾患もありますが、その都度学んでいけます。日本では家族や職場、周りの人の理解も必要です。MSFの参加に反対されることもあるかもしれません。日本とは比較にならないほど厳しい状況に置かれている人たちがいるという現実を知ってもらうことが、周囲の理解を得る1つの方法かと思います。

また、帰国後に何をしたいのか、何を目指すのかを考えておくと自分自身も周囲の人も理解が深まるかもしれません。帰国後には再度MSFに参加する、元の職場に戻る、新しい職場をみつける、進学する、ほかの援助組織で働くなどの選択肢があります。仕事内容、収入、家族の意向などバランスを考えて参加していただければと思います。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2011年12月~2012年2月
  • 派遣国:エチオピア
  • 活動地域:リベン
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2011年10月~2011年11月
  • 派遣国:リビア
  • 活動地域:ミスラタ
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2006年5月~2006年6月
  • 派遣国:インドネシア
  • 活動地域:ジョグジャカルタ
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2005年5月~2006年3月
  • 派遣国:日本
  • 活動地域:大阪
  • ポジション:活動責任者
  • 派遣期間:2005年1月~2005年4月
  • 派遣国:ウガンダ
  • 活動地域:ソロティ
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2004年4月~2004年7月
  • 派遣国:スーダン
  • 活動地域:ダルフール
  • ポジション:看護師

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