海外派遣スタッフ体験談

よりよい援助をめざして

吉田 照美

ポジション
看護師長
派遣国
パキスタン
活動地域
ペシャワール
派遣期間
2013年4月~2013年10月

QMSFの海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

前回(初回)の海外派遣活動では、環境や職場、仕事そのものに慣れることで精一杯だったので、すでに活動終了の前から、次回はもっと効率よく仕事をしたい、どうしたらさらに貢献できるかと考え始めていました。疲労困憊(こんぱい)しながらもこう考えていたことは、私自身にとって小さな驚きであったと同時に、とても自然な流れでした。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか?

前回派遣から帰国後、しばらくは何もする気が起きなかったので、本当に何もしませんでした。しばらくして看護師の派遣会社に登録し、単発のアルバイトを始め、看護師としての臨床スキルの維持を図りました。また、MSFから紹介していただいた英語のE-ラーニングシステムを利用して、英語力向上に努めました。さらに、フィールド・マネジメント・トレーニングという、活動地でのマネジメントに役立つトレーニングを受けさせてもらえたのも大きな収穫でした。空いている時間は、国際協力関係の本を読んだり、それまでに受けたトレーニングの資料を読み返したりして過ごしました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか?どのような経験が役に立ちましたか?
元気に生まれた双子の赤ちゃん 元気に生まれた双子の赤ちゃん

どのようにすればよりよく現地スタッフと協働できるか、マネジメントを進めるためにどのような視点を重視すればよいか、外国人スタッフとどのように連携するか、という点で、前回の経験が非常に役に立ちました。また、前回に比べてMSFのシステムに慣れたことも役に立ちました。

もちろん個々の援助活動の性質がそれぞれ異なるため、すべてが前回と同じ、というわけには行きません。ただ、何かあるたびに前回の活動で経験したことを思い返し、今回にその経験をどう生かせるか、考える習慣ができたように思います。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

パキスタンのペシャワールでMSFが開設した女性の病院(産科病院)で、アフガニスタンからの避難民や貧困に苦しむ人たちを主な対象に、産科医療を提供するプログラムです。産科病棟、手術室、術後病棟、新生児室、産後病棟と分かれており、患者収容数は成人25名、新生児5名です。医師・看護師・薬剤師・臨床検査技師などの医療スタッフが約40名、清掃や守衛、通訳などの非医療スタッフを含めると、病院では総勢70名近くの現地スタッフが勤務しています。

自然分娩をはじめ、早産、多胎妊娠や妊娠高血圧症候群(妊娠中毒症)、若年出産、前置胎盤、早期胎盤剥離、奇形や発達遅延妊娠などのハイリスク出産が多く、帝王切開術の症例もありました。新生児では、呼吸不全や胎便吸引、低体重出生などが主な症例でした。

派遣当初、私は入院病棟と手術室の看護スタッフのマネジャーとしての役割を担っていましたが、途中、産科病棟の監督役である助産師と病院マネジャーが任期を短縮したので、以後はこの2つの役割も兼任することになりました。現地スタッフの監督者と協働しながら、産科病棟の直接的なマネジメントに関わり、活動責任者と病院マネジャーの役割を分担しました。病院全体の監督、それぞれの業務の調整、勤務表の作成と調整、スタッフへの指導、薬剤師と協働しての薬剤・医療品管理、物品調達係との連携、ミーティングの開催、スタッフの評価、トレーニング、統計の補助などを担当しました。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
  • 1日の流れ

    8時 MSFの事務所にてセキュリティ・ミーティングや情報交換を実施
    8時30分 病院へ。それぞれの病棟の巡回、現地スタッフの監督者と打ち合わせをし、情報交換
    9時30分 医師回診に付き添い、問題点の把握、それぞれの病棟にて状況確認
    11時 勤務表や物品、薬剤などの調整、レポートや統計などの準備
    13時~14時 昼食休憩
    14時半 ミーティングや打ち合わせなど、書類の作成、それぞれの病棟の巡回
    17時半頃 勤務終了

民族楽器ルバーブの演奏も 民族楽器ルバーブの演奏も

土日も半日程度病院で過ごしました。治安上の事情で外出制限されていたこともありましたが、自分の自由時間を充実させることもとても大事なので、映画を観たり本を読んだり、家族と電話したり、友人とインターネットでやり取りして過ごしました。住居にランニング・マシーンがあったので、運動不足も解消できました。ラッキーなことに乾麺やのりが手に入り、のり巻や焼きそばを作って、外国人スタッフと楽しみました。時々、市街へ出てシャルワーズ・カミーズ(現地女性の民族衣装)の買い物をし、レストランで普段とは違う料理を楽しむこともできました。現地スタッフの家へ招かれたり、お茶や夕食を共にしたり、職場ではできない交流をすることができ、楽しい時間を過ごせました。また、ラマダン(断食月)やイード(Eid:断食明けの祝日)などイスラム教の文化と風習に触れることができたのは、とても貴重な経験でした。

Q現地での住居環境についておしえてください。
清潔で設備も整った個室 清潔で設備も整った個室

今回の住居環境はMSFのなかでも5つ星でした。住居自体が閑静な住宅街にあり、キッチン、リビング、ダイニング、テレビ、庭や駐車スペースも完備され、とても立派でした。バスルーム付き(ホットシャワーあり!)の広く清潔な個室が与えられ、エアコンやWi-Fi(いつも問題なく使えるというわけではありませんでしたが)までありました。エアコンに関しては、停電がたびたび起こり、岩盤浴のようなマットレスで熱帯夜を眠れないまま過ごしたこともありましたが、それでも相当ぜいたくな環境でした。

食事はパキスタン人のコックさんが準備してくれたのでまったく問題はなく、食料も順調に、しかも豊富に調達でき、そのうえ洗濯までしてくれたので、とても快適でした。清掃員の方が住居の清掃を担当してくださり、これもとても快適でした。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
活動の苦労が報われる瞬間 活動の苦労が報われる瞬間

今回は初めてのイスラム圏での活動だったので、イスラム教の文化や考え方に触れる貴重な経験ができた反面、慣れるのに時間を要しました。また、治安が不安定で行動制限があったり、近所で自爆テロが起きたりしたことは心身ともにストレスとなりました。しかし、現地ペシャワールの人びとが外来者に温かく、明るく、フレンドリーで、彼ら自身にとっても非常に危険で不安定な土地で脅威におびえながらも生き抜く力強さと尊さを肌で感じることができ、何にも代えられない経験ができたと思っています。

そして、患者である彼らが病院での医療を喜び、感謝の言葉と共に退院していく姿には、こちらが感謝の言葉を贈りたい気持ちになりました。

現地スタッフの看護職員は、多くが基本的に看護師として自立し、立派な技術を提供できるスタッフでした。日々、望ましくないことが起こったとしても、その原因と解決方法を自分たちの力で考えだし、助け合い、実行に移すことができる潜在能力を持つ人たちなので、その日が近く訪れるのではないかと私は信じています。その時にはすでにMSFの存在は必要がなくなっているのでしょう。

また、今回は外国人スタッフとの協働でも苦労がありました。活動中は狭い環境で常に一緒に仕事をしなければならないので、ひとつのことにとらわれていると仕事自体が滞り、いい結果を生み出せません。かなり難しいことですが、いかに自分の考え方を切り替え、良い方向に進めるかを考える必要があると学習できました。

Q今後の展望は?(次回の派遣を考えている方は、それまでにしたいこと、新たな挑戦など)

ぜひ次の海外派遣活動に参加したいと考えています。今回の経験で、自分の課題がまた明確になりました。緊急援助プログラムにも参加してみたいですね。

もっと上手にコミュニケーションをとれるように英語の勉強も継続していこうと思っています。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

MSFに参加する人たちは、志や奉仕の精神が特別にずば抜けて強いというわけではなく、世界のどこかで自分にできることがあるのなら、勇気を出してやってみようという人たちが大半だと思います。わたしもその1人です。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2012年6月~2013年1月
  • 派遣国:南スーダン
  • プログラム地域:ヤンビオ
  • ポジション:正看護師

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