海外派遣スタッフ体験談

困難な中でも希望を失わない現地スタッフに支えられて

田中 香子

ポジション
助産師
派遣国
アフガニスタン
活動地域
カブール
派遣期間
2016年4月~2016年10月

Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?

小さい時から海外で働く事に憧れていましたが、その中でもMSFへの参加は私にとって高い目標でした。助産師になり、他のNGOに就職し海外で働く機会もありましたが、MSFにずっと変わらない思いがあったので、今回、思い切って応募しました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

助産技術を維持するために直前まで病院の産婦人科病棟で働いていました。また、縫合の練習や周産期における技術知識のトレーニングで習った事を復習したり、MSFから送られてくる医療プロトコールや資料を読んだりして過ごしました。語学は語学学校やインターネットを使い日常会話だけでなく医療英語や仕事で使用する言い回しを勉強しました。

気分転換用に大人の塗り絵とヨガのDVD、日本食、すし酢(他の国の人は日本イコールすしと思っている人が多いので)イスラム圏のためスカーフを何枚か持っていきました。

Q今までどのような仕事をしてきましたか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

日本で5年間病院と助産院で働いた後、青年海外協力隊に参加しました。協力隊で行ったルワンダでの2年間の経験や他のNGOで働いた経験は異文化の中、色々な国から来た人たちと仕事したり、必要最低限の物の中で生活したりする上で大変役に立ちました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
手術室看護師に母児の早期接触・授乳の必要性を説明する筆者(左から2人目) 手術室看護師に母児の早期接触・授乳の
必要性を説明する筆者(左から2人目)

ダシュ・バルチの産科プロジェクトが開始して1年半後の派遣だったため比較的プロジェクトは安定しており、提供するケアの質の向上や助産師の教育・管理、アフガニスタン人のナショナルスーパーバイザーが独り立ちできるよう支援するのが私の主な業務でした。

チームは助産師のほか、産婦人科医、麻酔科医、小児科医、小児科看護師、アドミニストレーター、ロジスティシャン、プロジェクト・コーディネーター、プロジェクト・メディカル・リファレントなどいつも10人前後でした。

私はアドミッションルームと陣痛・分娩室のスーパーバイザーとして働き、ニュージーランドから派遣されて来た助産師が入院病棟(IPD)を担当していました。総勢助産師約40人、助産師アシスタント約15人は約2か月ごとに部署をローテーションするため、新しい助産師の採用・勤務表作りなどマネジメントの面は彼女と一緒にする事も多かったです。

また、プロジェクト開始当初より地域からの期待や評判も高く分娩件数がどんどん増えて平均毎週約300件の分娩がありました。陣痛・分娩室には各勤務4~5人の助産師がいましたが分娩件数が多いため子宮破裂・臍帯脱出・胎盤早期剥離(はくり)・子癇(しかん)発作もよくありました。

また日本では帝王切開を選択する事が多い骨盤位・双胎・VBAC(※1)なども、現地では経膣分娩を必ず優先させます。そのため、分娩室に行くと手が足りない事が多く、他に業務があっても分娩室から出られなくなる事がよくありました。

トレーニングとしては、パルトグラム(※2)の正確な記入の仕方など基礎的な事から産婦人科医と協力し弛緩(しかん)出血や縫合、子癇発作時の対応などについてベッドサイドコーチングなども行いました。通常の業務が忙しくなかなか時間を取れない事も多かったので、トレーニングをもっと充実させたかったという思いがあります。

  • 帝王切開を経験した人が、次の出産で経膣分娩を試みること
  • 分娩の進行状態を記載した表
Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

毎朝7時15分から仕事を開始し、朝のミーティング後は夜間の分娩状況の確認、分娩・陣痛室にいるハイリスク患者の把握、物品の補充、曜日によって統計の収集、薬品・物品の供給などほぼ午後7時ごろまで働いていました。基本的に24時間、携帯電話を持ち、夜間に助産師からの電話に対応する事もありました。木・金の週末は基本的に自宅で過ごしましたが、物品の補充が心配な時や緊急時は出勤する事もありました。

また、週1回ダリ語のレッスンがあり他のスタッフと一緒に週末に授業を受けたり、買い物へ出かけたり、一緒に料理を作ったりもしました。派遣当初は職場も自宅も同じメンバーで仕事とプライベートの区別がなく気の休まる時がないのではと少し不安な面もありましたが、とても気の合う仲間もでき楽しく過ごせました。

Q現地での住居環境について教えてください。
チームメンバーとリビングルームでの夕食 チームメンバーとリビングルームでの夕食

共同生活ですが個室が与えられプライベートな空間は確保できました。平日の昼食・夕食は現地採用のコックさんが準備してくれていましたが、私は昼食を助産師さん達と食べる事もよくありました。助産師さんたちがアフガン料理を作ってくれる事が多かったですが、日本食を作って振る舞った事もありました。

自宅は外から見られないように高い壁に囲まれており、窓を開けても外が見えない状況でした。ただ、ダシュ・バルチ地区でのプロジェクトは、アフガニスタンでMSFが行っている活動のなかで唯一、徒歩での外出が許されていました。自宅と病院の距離は約200~300m程でしたが、外に出られる事が最大の気分転換となりました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
新生児集中治療室 新生児集中治療室

現地の助産師を採用するために履歴書の評価、筆記テストの作成、テストの立会、面接、採用の決定、新人教育、技術知識のフォローと一連の過程を行った事です。6か月間で9人を採用しましたが、スムーズに職場に溶け込み、問題なく働いてくれる姿を見るとホッとしました。自分が選んだ助産師が採用されその成長を見守るという過程は、日本ではなかなかできない経験なので9人の助産師には特別な愛着がありました。

また、私と一緒に働いていたアフガニスタン人のスーパーバイザーが産休に入ったため彼女の後任も育てる事になりましたが、スタッフが新しい事を覚え成長していく姿を見る事ができ貴重な経験でした。

その反面、約40人いる助産師と約15人の助産師アシスタントが問題を起こした場合、面談し今後の対応策を考え、重大な時には解雇という難しい決断をしなければならない事もあり、助産師としての技術だけでなくチームを管理・統括する能力が求められ大変でした。

アフガニスタンでは男児の誕生が喜ばしいとされています。分娩室で女児を出産したお母さんが号泣したり、胎児機能不全で緊急帝王切開が必要な場合でも胎児が女児だと分かっていると男性家族(父親か夫)から手術の許可が得られなかったりと日本では考えられない状況に出会う事がありました。

月に1200件の分娩件数がある中、現地の助産師が少しでもよいケアを患者さんに提供しようと一生懸命働く姿は、何か自分が落ち込んだ時でも励ましてくれる存在でした。6か月間で助産師全員の個性や特徴など知る事ができたので、帰る頃には家族が出来たような気持にもなりました。

Q今後の展望は?

いくつかMSFでの研修を受ける予定になっているので、それを終えた後また派遣を考えています。今回の派遣で出来なかった事や学んだ事を活かせればと思います。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

MSFに応募する前は私もいろんな人の体験談を読み、説明会に行きモチベーションを上げました。

応募・派遣される前はいろんな不安があると思いますが、一歩踏み出す事で必ず新しく学ぶことや出会いがあります。悩む前に行動してみる事が本当に大切だと思います。

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