海外派遣スタッフ体験談

エボラ流行後の社会学的調査で効果的サポートを

上西 里菜子

ポジション
社会科学的調査専門家
派遣国
シエラレオネ
活動地域
ケネマ
派遣期間
2015年6月~2015年9月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

MSFの活動と理念に賛同し、チャンスがあればいつでも参加できるように備えています。今回の派遣は、前回のカンボジアの派遣を終えた後に話をいただきました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

3ヵ月で大きな社会科学的調査を行い、レポートを仕上げるという派遣でしたので、現場でできるだけ早く調査の準備にとりかかれるよう、専門書やプログラムに関する書類を読んで頭の中でシミュレーションをしていました。

それ以外は、前回の派遣終了から1ヵ月後の派遣ということもあり、ゆっくり休みました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

社会科学的調査といっても、学術調査とは求められるものが違い、あくまでもプログラムのねらいに沿ったテーマで調査を行います。レポートはプログラムにとって意義あるものでなければなりませんし、調査の結果をもとに提案もしなければなりません。

プログラムに必要な範囲でテーマを掘り下げていくというプロセスと、調査結果をもとにどのような提案をするべきなのかという視点を持つのに、これまでの派遣経験が活かされたと思います。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
チームの仲間たち(筆者は中列左から6番目) チームの仲間たち(筆者は中列左から6番目)

シエラレオネでは2014年からエボラの大流行が続きました。流行の発生から多くの人命が失われましたが、それとともに国の医療体制も弱体化(スタッフの数の減少、薬の供給の滞りなど)し、医療へのアクセスが制限される事態となりました。また、なかにはエボラの感染を怖がって病院へ行くことを自粛する人も出てきました。

こうした状況を受け、MSFは保健省と協働して、最もエボラの感染者が多かった地域のひとつであるケネマ地域の複数の公共の診療所をサポートするプログラムを立ち上げました。サポートの内容は、スタッフへのトレーニングの実施とコーチング、必須薬剤の配布、よりよい衛生管理をするための診療所の修繕(給水や排水設備など)、地域での住民説明会や健康教育と多岐にわたります。

外国人スタッフは私以外に5人がおり、プロジェクト・コーディネーター、医療チームリーダー、看護師、ロジスティシャン(建築士)、アドミニストレーターでした。現地スタッフと合わせて総勢30人ぐらいでした。

私は社会科学的調査を行うことによって、エボラ流行以降、地域の人びとがどのような健康志向行動をとり(病気になったときにどこでどのような治療をうけているのか)どんな社会的、経済的、文化的要因がその行動を起こさせているのか、医療へのアクセスという点でどのような問題があるのかという点を解明し、より効果的なサポートを地域の診療所に対して行えるような情報提供と提案を行いました。

調査は、主に現地のスタッフ3人とともに行いました。私は、調査計画と実施、また調査報告を中心に、スタッフのトレーニングも含め調査のコーディネーターの役割を努めました。参与観察(※1)、インタビュー、フォーカスグループディスカッション(※2)など複数の手法を織り交ぜて行いました。

  • 調査対象の地域社会、集団に加わり、長期間にわたり生活をともにしながら観察を行い、情報を収集する社会調査法。
  • 特定のテーマについて少人数グループへのインタビューを行い、複数人の議論を通じて情報を収集する定性調査の手法。
Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

派遣期間中の3分の1は、さまざまな村や町へ赴き情報収集(インタビュー、フォーカスグループディスカッション、参与観察など)を行い、それ以外は事務所で現地スタッフとのミーティング、集めた情報の分析やレポート作成を行いました。保健省の協働チームとの会議に出席することもありました。

午前8時始業で午後5時終業でしたが、レポート作成中は夜遅くまで仕事をしていることもありました。長いレポートや論文などを書く人がよく経験することですが、"スイッチ"が入ったときは時間を忘れて書いてしまうものです(逆にそのスイッチが入らないときは、無理をせず翌日改めるに限ります)。

土曜日と日曜日は休みでした。まったく仕事をしないという週末はありませんでしたが、これまでの派遣と比べてリラックスする時間がたくさんとれました。休みの日は町の市場へ出かけたり、同僚と料理をしたりしました。今回は料理上手な同僚に恵まれ、毎週末おいしい食事をみんなでいただきました。

また、同僚の中にヨガの熟練者がおり、彼女を中心にチームのメンバーでヨガをしました。

Q現地での住居環境についておしえてください。

事務所を兼ねた一軒家での暮らしでした。1人1部屋が割り当てられ、部屋にはトイレとシャワーがついていました。事務所と住居スペースにはまったく隔たりがなく、1歩部屋から出ると事務所でした。プライバシーを気にする同僚もいましたが、朝ぎりぎりまで寝ていられるので、私はその環境をけっこう気に入っていました。

発電機があり24時間電気を供給する環境は整っていましたが、技術的な問題で毎日のように停電がありました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
車では通行不可能な道を、目的の村まで1時間かけて歩く調査チーム 車では通行不可能な道を、
目的の村まで1時間かけて歩く調査チーム

調査のため地域内のさまざまな場所を訪れましたが、どの地域も非常に辺ぴで交通網が発達していません。場所によっては道なき道を行くという状況で、さらにひどいところでは交通手段が徒歩のみ、ということもありました。これは単に移動が大変だったという経験だけではなく、エボラの流行があろうがなかろうが、いかに人びとの医療へのアクセスが限られたものであるということを示唆することでした。

一次医療を提供する診療所は、まずまずの数があるものの、二次医療を提供する病院は地域内に2つしかありません。最悪な環境のところでは、まずは徒歩で病人をかついで近くの大きな村へ向かい、そこからバイクタクシーなどで病院へ連れて行くことになります。

言うにたやすいですが、病人をかついで1時間歩くのは大変なことです。病院につくまでには3~4時間かかるかもしれませんし、バイクタクシーの運賃も現金収入のない多くの人びとには大変な出費です。費用を工面できない人は、そもそも病院へ行くことをあきらめることもあるそうです。

村によっては、診療所まで、いかだと徒歩で移動しなければならない。 村によっては、診療所まで、
いかだと徒歩で移動しなければならない。

こうした場所では、病気にかかってからいかに早く一次医療へアクセスするかということが重要となります。特にシエラレオネでは、多くの人が治療の可能な病気(マラリア、気管支炎、下痢)で死亡します。こうした病気は、早い段階で治療を受ければ、多くの場合簡単な治療で治すことができるのです。エボラの流行以降、多くの人の一次医療へのアクセスが一段と制限されました。それによって、病気が重症化したり多くの人命が失われたりしたことも想像に難くありません。

健康教育も重要です。エボラの流行中、多くの人びとは伝統的な薬草を使った民間療法やライセンスのない薬局などを頼りにしていたようです。こうした行動はときに病気を悪化させたり、適切な治療を受けるまでの時間を遅らせてしまったりします。タイムリーに適切な治療を受けることの重要性はもっと認知されていくべきだと感じました。

Q今後の展望は?

ゆっくり休んで次の派遣にそなえます。また、必要に応じて自宅学習もするつもりです。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

学生時代、社会科学を勉強していたことをはじめて本格的に活かせた派遣でした。人道援助活動において、近年、社会科学的知見と調査スキルのニーズは高まっています。社会科学を勉強した皆さんで、MSFの活動に興味のある方、がんばってください。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2014年8月~2015年5月
  • 派遣国:カンボジア
  • 活動地域:プレアヴィヒア
  • ポジション:ヘルスプロモーター
  • 派遣期間:2013年10月~2014年6月
  • 派遣国:南スーダン
  • 活動地域:マバン
  • ポジション:ヘルスプロモーター
  • 派遣期間:2012年11月~2013年8月
  • 派遣国:パキスタン
  • 活動地域:カラチ、ティムルガラ
  • ポジション:ヘルスプロモーター

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