海外派遣スタッフ体験談
ナイロビのスラムで結核の治療と抑制
小林さより
- ポジション
- 内科医
- 派遣国
- ケニア
- 活動地域
- ナイロビ
- 派遣期間
- 2011年6月~2012年4月

- Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?
-
中学生のころから海外で医療活動をしたいと考えていたので、MSFは医学生の時から選択肢の1つでした。私にとってMSFの一番の魅力は、医者として医療の現場に実際に立って、自分で診療が出来るということだったので参加しました。
- Q今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?
-
市中病院で研修医として2年間、小児科医として5年間働き、その後1年間、公衆衛生を勉強しました。
- Q今回参加したMSFの援助プログラムの目的と背景は? その中で、具体的にどのような業務をしていたのですか?
-
クリニックの前に広がるスラム
今回のプログラムは小児科とは関係なく、クリニックでのTB (結核)マネジャーというポジションでした。MSFのクリニックはナイロビのスラムに位置し、一般の結核に加え、多剤耐性結核菌の治療に力を入れていました。
業務内容は、もちろん診察・治療がメインですが、その他にクリニック内のinfection control(感染制御)、勉強会でのレクチャー、定期的なミーティング参加、MSFやMOH(保健省)のリサーチの手伝い、スタッフの健康診断などなど、クリニックが上手く運営されるようにクリニックの問題点を洗い出し、改善していくことでした。
患者さんの診察・治療に関しては通訳を交えて自分1人で行うこともあり、またclinical officer(准医師)からのコンサルトを受けて複雑な症例をどうしていくか一緒に相談していきました。
- Q週末や休暇はどのように過ごしましたか?
-
土曜日の半日は多剤耐性結核菌の患者さんが来院するので、クリニックにいることが多かったです。また月に1回、土日にcold chain(低温流通システム)の担当になるのでその週だけMSFのpharmacy(薬局)に行っていました。
それ以外の週末は土曜の午後から日曜にかけては基本的にはオフなので、好きに過ごせました。ナイロビの治安が悪かったため、外を歩くのは禁止されており、常にタクシーを呼んで移動していました。そのため、ジムに通って体を動かしたり、数ヵ月に1回はナイロビから日帰りで行けるナイバシャ湖などにスタッフと行き、息抜きをしたりしていました。ただ、通常の週末は、比較的安全と言われていたショッピングセンターに行ってブラブラすることが多かったです。
休暇は、ケニアもしくは周辺国の観光地でゆっくりしました。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
-
ナイロビは首都ということもあり、住居環境はとても恵まれたものでした。もちろん他のスタッフと共同生活でしたが、1人に1部屋が与えられ、それぞれにトイレ・バスが付いていました。ホットシャワーも数分ならば出ましたし、電気も天気がいい日は問題なく通っていました(雨季で天気が悪い日はたびたび停電になりましたが、それも数時間程度のことが多かったです)。
治安が悪いこともあり、窓には全部鉄格子が付いていて、セキュリティガードがそれぞれの家にいるといった閉塞感はありました。しかし、住居は清潔で、洗濯・掃除もMSFの雇った清掃員が全部やってくれていたので、とても快適でした。
- Q良かったこと・辛かったこと
-
良かったこと:良いスタッフに恵まれたことです。現地スタッフともめることもなく、どんな問題が起きても、よく相談しながら解決していくことができ、本当に感謝しています。
また、クリニックがケニア人の住むスラムとソマリア系住民の住む地区の間に位置していたため、クリニックもキリスト教とイスラム教の2つの文化が混在していました。患者さんを通して両方の文化を知ることができ、とても興味深かったです。
辛かったこと:外を全く歩けなかった上に鉄格子・セキュリティガードだらけの生活で、慣れるまでは檻の中にいるような感じでした。
- Q派遣期間を終えて帰国後は?
-
次のミッションを待ちます。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
-
毎日が新しいことの連続で非常に貴重な経験ができるので、少しでも参加を考えている方にはぜひお勧めします。ただ、やはり英語は日常生活で問題のない程度にしていくことをお勧めします。
また、ミッションに行ってからのことですが、現地の言葉(ケニアならスワヒリ語)を話そうとする姿勢は現地スタッフや患者さんとの距離を縮めるのにとても役に立ちました。
MSF派遣履歴
- 派遣期間:2011年3月
- 派遣国:日本
- プログラム地域:宮城県南三陸町
- ポジション:内科医