海外派遣スタッフ体験談

活動を通じて世界で必要なことを発見する

岡田 まゆみ

ポジション
救急医
派遣国
イラク
活動地域
ニネワ県カイヤラ
派遣期間
2017年4月~2017年5月

Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?

2016年、赤十字国際委員会(ICRC)で一緒に仕事をしていた外科医がMSFで活動しているのを見て刺激されました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか?

MSFではフランス語を話す機会が多いと思い、フランス語の勉強をしました。それ以外では、国際支援に向けて一般的な国際関係学や公衆衛生学の勉強を続けていました。

Q今までどのような仕事をしてきましたか?また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

医学生の頃から海外留学の機会があれば積極的に参加していました。アメリカだけでなくケニアに留学したのも良い経験になったと思います。アメリカ留学とUSMLE(アメリカの医師免許試験)受験で国際的な医学の共通語を習得てきましたし、ケニアでは途上国の生活や医療への見識を得ることができました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
病院で治療を受ける栄養失調の子どもたち 病院で治療を受ける栄養失調の子どもたち

紛争の渦中にあるモスル近くの町に病院を構え、避難してキャンプに暮らす人や戦闘の負傷者などを治療するために、救急医1人、外科医1人、小児科医1人と看護師3人、麻酔科医1人に加え、現地医師10人、現地看護師10人程度で対応しました。

小児患者が圧倒的に多く、物資の不足による栄養状態の悪化とキャンプでの衛生状態の悪さによる感染症(胃腸炎、細気管支炎など)が数多く見られました。その他は銃撃、爆破などによる銃創、爆傷、熱傷、交通事故や転倒・転落による負傷者を診ていました。それに加え、戦闘で捕虜になった人のけが(拷問などによることが多い)の治療も引き受けていました。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
現地の通訳さんにお花をいただいた 現地の通訳さんにお花をいただいた

朝8時に出勤し、夜8時まで救急救命室(ER)での救急業務。日にもよりますが、だいたい夕方まで患者さんが途切れることなく来院し、最後の患者さんを診ているうちに夜8時くらいになる、という感じでした。これに週1回のミーティングが加わることがありました。おおむね1日中、ERで患者さんを診ている生活でした。

夜、帰宅後は夕食を食べて寝てしまうような状態でしたので、朝5時に起きて、日本で通っている大学院の勉強をつづけました。タフなスケジュールではありますが充実していたと思います。金曜日だけは休日でしたので、読書をしたり、ストレッチなどでリフレッシュしたりしていました。

Q現地での住居環境について教えてください。

一軒家に28人という大勢の外国人派遣スタッフが居住する環境で、シャワーが2つ、トイレが3つしかありませんでした。断水や停電が日常的でしたのでかなり悪い環境だったと思います。加えてハエが大量発生しており、下痢やかぜに悩まされるスタッフが数多く見られました。また部屋も常時3人でシェアする状態でした。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。

日本では小児の診察はほとんどしていなかったのですが、小児科医が非常に親切に教えてくれたおかげで小児診療を学ぶことができ大きな収穫だったと思います。逆に言うと、これだけ小児患者が増えていくなかで、小児診療の経験のない私には困難でもありました。

また、現地では紛争による生活環境の変化や精神的な負担から、母親が赤ちゃんに母乳をあげられない状況があります。紛争が激化するとミルクは手に入らなくなり、多くの乳児が栄養不良になっていました。こうした栄養不良の乳児を見るにつけ、あらためて母乳育児の大切さも実感しました。

Q今後の展望は?

現在、大学院で公衆衛生学を勉強しており、修士を取ってより深くその国の保健・医療に関われるようにしておきたいと思います。日本の中にいては見えないような、世界で何が必要とされているのかを発見するために、より多くの地域や国の活動に参加したいと思っています。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

初の参加で、MSF特有の略語やポジションを理解するのに苦労しました。あらかじめ知識を得ていくことをお勧めします。また、下痢の症状緩和には緑茶、また蚊の対策を持参することをお勧めします。

あとは、現場での交流を図るために日本からの食品を持参することもお勧めです。限られた空間での体力維持対策も必須ですね。

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