海外派遣スタッフ体験談

プログラムを支える「人と資金」を管理

木村陽子

ポジション
アドミニストレーター
派遣国
スーダン
活動地域
ハルツーム
派遣期間
2005年8月~2006年8月

QなぜMSFの海外派遣に参加したのですか?
悩み事相談室と化するアドミニストレーションチームの部屋いつも笑顔で
(ハルツーム)

NGOというと、ボランティア=無償奉仕というイメージが根強いのですが、私はMSFの派遣をひとつのワークスタイル、ライフスタイルだと思っています。無償奉仕のボランティアとしてではなく、職業として捉え、働き、学び、楽しんでいます。大きな家族のように、MSFをキーワードに世界中にネットワークができます。私は医療従事者ではありませんが、MSFではアドミニストレーター(財務・人事担当者)として医療活動を支えることができます。

Q今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

派遣スタッフとして活動に参加する前は、民間の医療サービス企業に勤務していました。短期間ですが、MSFの事務所でも働いていました。学生時代は海外での留学やインターン、遠隔地への旅行をよくしていました。言葉や異文化などMSFの派遣でベースとなる要素をこれらの経験を通して学んでいたと思います。専門的な知識やスキルも大切ですが、何より、コミュニケーション(語学力ではなく、お互いを理解し合うこと)やユーモアが現地での活動を楽しむ鍵だと思います。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
良き友であり右腕二人三脚のアドミニストレーション・チーム
(ハルツーム)

北ダルフール州と紅海地方の2つの地域における医療プログラムでした。
北ダルフール州では、紛争で村を追われた国内避難民への一次医療や集団予防接種、性差に基づく暴力への対応です。医療にアクセスできない人びと向けの移動医療や、遠隔地での調査などもあります。

紅海地方のポートスーダンでは、スラム地域で野放し状態になっていた保健省管轄病院の再建、現地スタッフのマネジメントやトレーニング、近隣地域の調査などがありました。

その中で私は、首都ハルツームにおける調整担当のアドミニストレーターとしてプログラムを支えていました。ダルフール地方などを抱える北スーダンはMSFの中でもプログラムの規模が大きく、海外派遣スタッフや現地スタッフを合わせて500人程が活動しています。仕事の幅も量も多く、いつも夜遅くまでオフィスに残っていました…。要領が悪かったのだと思います。緊急援助活動でもない限り、きちんと休みを取らないと途中で燃え尽きてしまうので、派遣時期の後半はオフの時間をより多く取るようになりました。

私の仕事は人事と業務管理でした。具体的には予算編成やスーダン政府との連絡調整、現地の労働法やMSFの方針に基づいた就業規則、給与体系、社会保障、医療保障、評価、トレーニングなどの政策の構築とフォローアップです。現地スタッフの解雇と雇用、給与の支払い。問題が起きた際には、弁護士やコーディネーションメンバーと相談しながら対処していきます。また、他のNGOと定期的にミーティングを行い情報交換していました。

海外派遣スタッフのケアも大切な仕事の一つです。派遣活動中に大きなケガや病気をした際には、医療コーディネーターと相談して適切な手配をします。ハード面とソフト面の両方で、チームがそれぞれの業務をこなせるように気配りをする必要があるため、プライベートの時間を持つのが難しいときもあります。

毎朝のスタッフミーティング
(ダルフール地方)

どの企業にも存在する地味な仕事のように見えますが、医療活動を行う上で「人とお金」を扱う、重要かつ繊細な仕事です。

Q週末や休暇はどのように過ごしましたか?
星空の下で語り合う(ダルフール地方)

ハルツームは、エチオピアから流れてくる青ナイル川とビクトリア湖を水源とする白ナイル川が合流する都市です。川沿いにはレストランやカフェ(と呼んでいいのでしょうか?)があります。週末にはマーケットやイスラム教のスーフィーダンスを見に行っていました。

ハルツームはNGOのメッカで、多くの国際NGOや国連職員などが滞在しています。週末は必ずどこかでパーティーがあり交流の場でした。私は1年間滞在していたため、援助関係者以外にも考古学者やアーティスト、民間企業で働く人びととも交流を深めていました。近くの競馬場でジョギングやフリスビーなどもしました。

スーダンはまだ観光化が進んでいないため、ピラミッドや遺跡が生々しい状態で残っています。ハルツームから車で数時間かけてピラミッドへ行き、満天の星空の下、砂漠で寝ました。朝はラクダに囲まれて目が覚めました。

3ヵ月に一度の休暇では何度かエジプトへ行きました。両親とカイロで合流し、砂漠でのサファリを楽しみました。他にも周辺のケニアやタンザニア、ヨルダンやエチオピアなどで休暇を過ごす同僚もいました。 日ごろの仕事が心身ともに消耗するので、オンとオフの切り替えは必須です!

Q現地での住居環境についておしえてください。

日中の気温は約50度の高温低湿。暑さには強いので、夏でもエアコンなしで寝ていました。
派遣スタッフの数が多く、本部や活動地からの中継地点になっていたので、ハルツームには宿舎が3つあり、共同のシャワーとトイレ、広い庭がありました。MSFのコック(エチオピア人)は料理がとても上手でした。

一方、ダルフールの生活はシンプルです。砂っぽい土壁の建物や、Tukulというわらぶき屋根のような小屋で生活します。夜間はソーラー電気が欠かせません。冬の間は気温がぐっと下がり、白い息が出ます。大きな鍋でお湯を沸かし、シャワーとして浴びていました。ダルフールの治安が不安定なため、外出禁止時刻になった後は、宿舎で過ごしました。水タバコを囲んで夜まで語ったり、卓球トーナメントなどをしたり…。

Q良かったこと・辛かったこと
ロバは住民の足(ダルフール地方)

良かったことはたくさんあります。地球の裏側に一生涯の友人ができたこと。イスラム教の考え方や習慣に親近感を持てるようになったことなどです。アラビア語も日常会話程度ですが、覚えました。英語や日本語では表せない表現があるので、思わずアラビア語でつぶやいたり、石焼き芋屋さんがモスクのアザーン(モスクから聞こえてくる礼拝の呼びかけ)に聞こえてしまったり…。惜しみなくホスピタリティーを注いでくれるイスラム文化は、新たな価値観を教えてくれました。

辛かったというより大変だったことは、ダルフールの治安が悪化し、プログラムの縮小、停止を余儀なくされたことです。住民にアクセスしたくても治安が悪くてアクセスできない。もどかしい思いでいっぱいでしたが、緊迫した時期が長期間続き、心身ともにチームは疲労困憊でした。MSFの活動を行う上で治安の確保は最重要課題なのです。

Q派遣期間を終えて帰国後は?
お別れパーティでスーダン流ギニュー特戦隊(ハルツーム)

派遣期間終了後は3ヵ月間ほどヨーロッパとアフリカを旅行して、ハードなミッションの疲れを癒すべく、思い切り羽を伸ばしました。帰国後はMSF日本事務局で働いています。もうすぐ次のミッションに行きます。フィールドでどんなに忙しくても、また戻りたくなるんですよね。
(このアンケートの後、木村アドミニストレーターは2007年2月から再度ダルフール地方に派遣されました)

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

あまり意気込まずに、まずは一歩前へ進んでみては?背伸びしたり、肩に力を入れすぎてしまうと途中で息切れしてしまいます。ありのままの自分でいいと思います。誰にでも最初の一歩はあります。

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