ヨルダン:母国を離れたシリア難民の切実な問いに、答えは?
2017年11月24日
一家は自宅を爆撃され、祖国を離れた

一家は自宅を爆撃され、祖国を離れた冬が迫る中、一家はお茶を飲んでいた。MSFの2人を招き入れた女性、バトゥールさんが「時間ぴったりね」と言うと、子どもたちがカップを取りに行く。部屋の奥で横になっていたカイリヤさん(77歳)は、2人を見て微笑んだ。悲しみを秘めた微笑みだ。カイリヤさんはシリアで3人の子どもを亡くした。糖尿病を15年間患っていて、視界はぼやけている。声は遠くに聞こえ、以前のように立ち上がることができない。
サミール看護師がカイリヤさんの血圧を測る間、ジャミール医師が両脚を診て反射神経を調べる。義理の娘バトゥールさんはミントのお茶を出して、話し始めた。「シリアを離れたのは2012年です。家が爆撃を受けたのです。近所の家も壊れ、隣人は逃げられるうちに避難しました。おばの不安定な容体や紛争のことを考えると、シリアでいい治療を受けるのは難しいため、ヨルダンに来ました」
バトゥールさんはカイリヤさんを、親しみをこめて「おば」と呼び、具合が悪くなってからずっと世話をしている。バトゥールさんが家を空けても大丈夫なように、サミール看護師はよく一家を訪れる隣人に対して、ペン型の糖尿病検査の使い方を教えているところだ。
家族に必要な薬をまかなえず

ヨルダンに着いた当初、カイリヤさん一家は、シリアで近所に住んでいた人たちと一緒に暮らしていた。その後、ようやく自分たちの住む場所が手に入ったが、日々の治療にお金を払うことができず、少しでも楽になればと、1年後にイルビド県に移住した。
バトゥールさんは家族の顔を順番に見ながら「うちは4人が糖尿病です。おば、おばの夫、私の夫と9歳の息子も。4人全員がちゃんとした治療を続けるにはどうしたらいいだろうと、いつも考えていました。薬を飲み忘れるようなことがないように——そればかり考えていました」と語る。
「シリア人の知り合いからMSFのことを聞きました。診療所を訪れ、家族の健康状態を説明しました。それから毎月、診療所で予約を入れており、お医者さんがうちに来ておばを診てくれます。テキスト・メッセージで次回の予約も教えてくれます」
MSFの治療を受ける前は、長い間、一家は薬を手に入れられなかった。MSFの医療チームはすぐに薬による治療を始め、定期検診も受けられるようにした。
答えのない問い
みんなが話を止めた。カイリヤさんが、起き上がりたいと大声を上げたのだ。ジャミール医師とサミール看護師が手を貸すと、3人は思わず笑い出した。そんな姿を見ながら、バトゥールさんは一家の将来を案じて言った。
「私たちには今、帰る場所もありません。ここは安全で、快適で平和です。今シリアへ帰国しなければならなくなったら、家族の薬は手に入れられないでしょう。先のことを考えるときは、いつも家族のことを考えます。シリアへ帰ったら、そこで治療を続けられるでしょうか。病院や診療所で、糖尿病の治療を受けられなくなっていたら、どうすればいいのでしょう?」
みんな黙っている。ジャミール医師とサミール看護師は荷物をまとめ、一家のもてなしにお礼を言って外へ出る。靴を履いて帰る準備をする間も、この問いが頭の中をまわっている。この問いには、誰も答えることができない。
2014年12月、MSFは非感染性慢性疾患(NCD)プロジェクトをイルビド県で開始。2ヵ所の診療所で、シリア人難民と、弱い立場にあるヨルダンの人びとを治療している。症例は糖尿病、高血圧、喘息、循環系の病気、慢性閉塞性肺疾患(COPD)など多岐にわたる。2015年8月、訪問診療プログラムを開始。健康教育と心理・社会面の支援もしている。
2017年11月現在、NCDプロジェクトで3374人の患者が治療をうけており、このうち6割は糖尿病1型と2型の両方の治療を受けている。プロジェクト開始以降、MSFは訪問診療も含めて5万8181件の診療を実施した。