セルビア:酷寒の地で先の見えない生活が続く——難民となった若者たち
2017年01月16日
1つとなっている倉庫の廃屋
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旅の途中で父とはぐれ……/パルウェズさん(15歳)

アフガニスタンのナンガハール州から来ました。今はいとこと2人きりで移動しています。僕は15歳、いとこは16歳。父も一緒だったのですが、途中ではぐれてしまいました。イラン・トルコ国境の森で警察に発砲されてから、父の居場所はわかりません。その後、2人でブルガリアを通過し、セルビアまで来たんです。
父はいつも言っていました。「おまえもしっかりするんだ。道のりはとても大変だからな。でもな、命の危険があるアフガニスタンからは離れるしかないんだよ」
ベオグラードに着いたのは12日前。古い駅舎で寝泊まりしています。居心地がいいとはとても言えず、すすだらけです。飲める水もありません。午後1時になると、ボランティアの人たちが来て食事を配ってくれます。時々ですが、卵が出ることもあります。
「アフガニスタンに平和はない」

「私だって人間だ」のメッセージ
父は政府職員でした。出国前にこう言っていました。「アフガニスタンに平和はない。戦争ばかりだ。だから出ていくほかない」。父は仕事でフランスを訪れたことがあるので、僕たちはフランスに行くのだろう、フランスには戦争はないのだろうなどと考えていました。
今はそんな希望も持てません。役場の人に「セルビア国内の難民キャンプに行きたい」と伝えると、「外出禁止のキャンプであれば滞在できる」と説明されました。でも、そんな生活は嫌です。出入りの自由なキャンプを希望しています。
ここでの待遇は本当に悲しくなります。政治家は好きではありません。僕たちがここで足止めされているのも政治家のせいです。
家族と一緒にいられないなんて

スマートフォンは移民・難民の必需品だ
通過してきたブルガリアもいい場所ではありませんでした。警察に殴られたんです。セルビアではいろいろな団体が援助してくださっています。ただ、とにかく寒いです。
ほかの家族はアフガニスタンに残っていて、時々電話をしています。母と一緒でないことがさびしいです。家族といられないのでは、いい人生とは言えません。毎晩、寝る時に涙がこぼれます。そして、いとこに言うんです。「母さんや父さんや家族に会いたい」
「人間の暮らしはもっと貴いはず……」/アジュ・マルさん(16歳)

将来はそれなりの人間になりたいんです。知識を身に付け、人を助けたい。勉強をして、エンジニアか医師になりたい。できる限り人の助けとなり、平穏で思いやりにあふれたいい人生を送りたいんです。
アフガニスタンでは、午後5時、6時ごろになると誰かがやって来て、物を奪っていきました。そして「俺たちと来いよ。仲間になれ。一緒に殺して奪おう。勉強なんか役に立たないぞ」と言ってくるのです。
ベオグラードに来て1日半が経ちました。半年くらいかけてたどり着いたんです。とてもつらい道のりでした。山を越え、森を抜け、何度も大変な目に遭いました。強盗に襲われ、何もかも取られてしまいました。
屋内で火をたいても寒い

イランからトルコ、そしてトルコからブルガリア、ブルガリアからセルビアと旅をしてきましたが、ここで行き詰まってしまいました。国境が閉鎖されていて、セルビアを出られません。大雪でとても寒く、でも暖房設備がありません。
寝泊まりしている場所は本当にひどくて、みんな屋内のあちこちで火をたいていますが身体は温まりません。そのせいで、たくさんの人が胸の病気を訴えたり、具合が悪くなったりしています。
「国境の開放がすべての人の助けに」

立ったままやその場でしゃがんで食べる人も
滞在環境は過酷です。人間の居場所とは言えません。人間の暮らしというのは、もっと貴いものだと思います。でも、僕たちはごみまみれで、ダニやネズミ、いろいろな虫と一緒に寝ているのです。僕たちは人間です。学び、生きる権利があります。それがここでは望めません。
国境の開放はすべての滞在者にとって大きな助けとなるでしょう。そうなれば、皆、この国を出て行くはずです。でも、国境が開かないので、ここにいるんです。成り行きを見守りましょう。僕はまだあきらめていません。神様のお導きがあれば、それなりの人間になれるはずですから。