セルビア:「紛争のないところで暮らしたい」——アフガニスタンから欧州へ
2015年09月14日
古いレンガ工場のさびた屋根の下に人びとの行列ができつつある。ここはセルビアの町、スボティツァ。ハンガリー国境の近くだ。彼らは国境なき医師団(MSF)の医師と看護師合同チームを待っている。MSFはここで2014年末から、難民と難民申請希望者を対象に移動診療を運営している。
MSFの移動診療の前で列に並んでいるのはハシーブ君(13歳、アフガニスタン・クンドゥーズ州出身)だ。ハシーブ君は腎臓に持病があり、今もお腹が痛いという。友人につきそわれて辛抱強く待っていると、看護師から緑のビニールシートの中へ入るようにと身振りで示された。中には医師と通訳が待っている。
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古いレンガ工場の屋根の下で

古いレンガ工場
廃墟となっていたこのレンガ工場はここ数ヵ月、国境を通過して北へ向かおうとしている人びとの休憩場所となっている。MSFがここで診療した症例は、疥癬(かいせん)、シラミ、皮ふ感染症、胃腸感染症、筋肉痛などが多い。その多くはギリシャからの道中での困難な生活環境に起因している。
よく晴れた早朝。気温はすでに30度近い。工場の敷地の入り口に2つだけある水道からいそがしげな物音が聞こえてくる。
工場内はどこも、あわただしく移動していった人びとの痕跡が残されている。衣服が散らばり、たき火の跡が残っている。クマのぬいぐるみ、プラスチックのナイフ、ベッド代わりのダンボール箱……。残されたテントの一部には、家族が中で休んでいる。
長旅の過労と心労で

ハシーブ君は2ヵ月前、母親のズビダさんと一緒にアフガニスタンを出た。2人は陸路でパキスタン、イラン、トルコを抜け、ボートでギリシャに渡り、再び陸路でマケドニアを通過してセルビアに到着した。ここから国境を越え、ハンガリーに入るつもりだ。アフガニスタンを出てからこれまで、診察を受ける機会は一度もなかった。
ハシーブ君は長旅で脱水状態になっており、過労の兆候がみられた。MSFのターニャ看護師は腹痛用の薬を渡し、水分をたっぷり摂るように勧めた。
脱水状態と過労は多くの患者にみられる。さらに、各部の炎症、骨折、すり傷、足首のねんざも多い。これらの症状が、厳しくストレスに満ちた旅であることを示している。
少年が抱く2つの夢
アフガニスタン・クンドゥーズ州では、ハシーブ君が通っていた学校でも暴力事件が続き、登校を避けるようになっていた。そしてついに、学校にも爆発物がしかけられる事件が起きた。母親のズビダさんは医師だ。父親は警官だったが、4年前、自爆攻撃に巻き込まれて亡くなった。ズビダさんとハシーブ君がクンドゥーズ州を出ると決めた一方、兄は残ることを選んだ。
「僕の夢はアフガニスタンが平和になることです。でも、今はそれが望めません。だから、僕と母は紛争のない場所を目指して国を出たのです。クンドゥーズ州の生活が懐かしいです。残った兄のことも」
診察を終えて出てきたハシーブ君が、右腕の傷あとを見せてくれた。彼は笑顔で説明を始めた。「クンドゥーズ州でサッカーをしていて切ってけがしたんです。けっこう深い傷で『縫わないといけない』と言われ、クンドゥーズ州のMSF病院に連れて行ってもらったんです」
ハシーブ君のもう1つの夢はサッカーのアフガニスタン代表になることだ。「アフガニスタンにはいいチームがないんです。僕はクリスティアーノ・ロナウドみたいになりたいです」
MSFはセルビアのスボティツァでの活動に加え、ベオグラードでも移動診療を運営している。ここもひとびとの通過点となっている。2015年6月には、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国との国境付近にあるプレシェヴォでも開始した。