地中海で沈みゆくボートを救え──生存者アミナさんが語る 「人生は私が決める」

2023年07月07日
地中海を見つめるアミナさん © Sonsoles Galindo/MSF
地中海を見つめるアミナさん © Sonsoles Galindo/MSF

国境なき医師団(MSF)のスタッフがアミナさんと初めて出会ったのは、MSFの捜索救助船「ジオ・バレンツ号」の船上だ。彼女は、地中海の真っ只中で、沈没したボートから救助された。

アミナさんは自分の生年月日を知らない。読み書きもできない。学校に行く機会がなかったからだ。「ジオ・バレンツ号」の中で、アミナさんは手書きの手本を使ってようやく自分の名前が書けるようになった。 

「自分の人生は自分で決める」

アミナさんの母国コートジボワールは、西アフリカにある。アミナさんは10代の頃、両親によって強制結婚させられそうになった。その相手の男性についてアミナさんに聞くと「年をとっていました。白髪まであったのです!」と、しかめっつらになった。

「自分の人生をどうするか、自分で決めたかった。だから、父に言ったのです。『夜、あのおじいさんと2人きりになるのは父さんじゃないでしょ』って」。アミナさんは、当時のことをそう語った。

アミナさんの友人たちも、その多くが強制結婚を受け入れて人生を送っている。それは年長者がなによりも尊重される文化のせいだとアミナさんは言う。友人たちは、強制結婚させられた男性とのあいだに、子どもを何人も産んでいった。それはアミナさんが望む人生とはかけ離れたものだった。だから、彼女は逃げ出した。結婚式の5日前のことだ。彼女は北に向かって砂漠を歩き続け、マリに行き、リビアに行き、そして地中海にたどり着いた。 

自分の名前を書く練習をするアミナさん © Sonsoles Galindo/MSF
自分の名前を書く練習をするアミナさん © Sonsoles Galindo/MSF

「贅沢な食べ物」は私に合わない

アミナさんは社交的で表情豊かだ。「ジオ・バレンツ号」の船尾にもたれて、水平線に日が沈むのを眺めながらおしゃべりを楽しんでいる。踊るのも大好きで、音楽が聴こえてくると、複雑なステップで足を踏みだす。それよりもっと目が輝くのは、米と調理用バナナを材料にしたお気に入りの料理について語るときだ。アミナさんは、いくつものレシピを思い出しては、ヨーロッパではどのような料理に出会えるかを尋ねてくる。特に、米、雑穀、キャッサバなどの食材がお気に入りのようだ。 
 
「ジオ・バレンツ号」には、76人の生存者が乗船している。毎朝配られる非常食のなかには、ビスケットや板チョコがあるが、アミナさんは好きではないという。「ビスケットを食べすぎると吐いてしまって。だから、お腹が空いていても食べたくない。あまり贅沢な食べ物に慣れていないんです」 
 
リビアにいた頃、アミナさんは、ほぼ毎食ロールパンを口にするだけだった。家事使用人として酷使され、食べるお金さえもらえなかった。アミナさんはこの「ジオ・バレンツ号」で、ようやく平穏な日常を感じている。「ここはすごく好き。みんな怒鳴ったりしないし、優しく話しかけてくれる。リビアでは、犬よりもひどい扱いだったから」 
アミナさんの髪の毛を手入れする同じ生存者の女性<br> © Sonsoles Galindo/MSF
アミナさんの髪の毛を手入れする同じ生存者の女性
© Sonsoles Galindo/MSF

ボートの上で電話をかけ続けて

さらなる逃避行のため、リビアから出航することになった夜、アミナさんは、携帯食の入ったバッグを捨てられてしまった。乗り込むことになったペラペラのゴムボートを見た瞬間、アミナさんは逃げ出したくなった。「ゾッとしました。だって、最初に説明を受けていた頑丈で安全な船とは似ても似つかぬ代物だったから。でも、逃げようとしたら撃たれていたと思う。とにかく乗るしかなかったんです」

沖に出てから数時間後、ボートが浸水し始めた。乗っていた76人のあいだに絶望が広がる。ほぼ全員がアラビア語しか話せなかったが、アミナさんは幸いにもフランス語を話すことができた。そこで、誰かが持っていた携帯電話を使って助けを求めた。何度も電話をかけ続けると、地中海で海上遭難時の緊急連絡に応答するNGO「アラーム・フォーン」と連絡がとれたのだ。

欧州諸国は、難民救助に消極的である。「アラーム・フォーン」は、そうした各国政府に代わって、地中海での緊急ホットラインを展開している団体だ。彼女からの連絡を受けた「アラーム・フォーン」は、すぐさま捜索救助メッセージを発信。その夜のうちにMSFの「ジオ・バレンツ号」が出動した。 

上陸後のことについて説明を受ける76人の生存者 © Sonsoles Galindo/MSF
上陸後のことについて説明を受ける76人の生存者 © Sonsoles Galindo/MSF

手作りの料理に自信満々

救助された76人はマルタかイタリアで船を降りることになる。両国が安全に下船できる港を知らせてくれるのを待ち続ける状況だ。そのような中、「ジオ・バレンツ号」では、米を使った本格的な料理が初めて振る舞われることになった。非常食ばかりを口にする日々が続いた後で、誰もがその日を心待ちにし、船上には熱気が漂っている。

何カ月も前からこの計画を立てていたのは、医療コーディネーターのジャーマン・シュテファニーだ。米という食材は、まだ海上に置かれている人びとにとって「心をほっとさせてくれる食べ物」であり、あたかも我が家に帰ったかのような気持ちになれるだろうとシュテファニーは考えた。幸いにも、アミナさんはシェフでもある。シュテファニーと協力しながら、アミナさんは料理を担当することになった。

この夕食会には、MSFスタッフも総出で参加。ある人はご飯をボウルに分け、ある人は配膳し、ある人はスパイスを用意するといった具合だ。生存者たちも給仕を手伝う。アミナさんは笑顔が止まらない。料理の出来栄えに自信満々の様子だ。 

船内で料理を作るアミナさん © Sonsoles Galindo/MSF
船内で料理を作るアミナさん © Sonsoles Galindo/MSF

過去の記憶、将来への夢

砂漠の横断やリビアで受けた虐待──もはや過去のことにすぎないが、アミナさんはそれでも毎晩のように悪夢にうなされる。船を降りた後に何が待っているか分からないからだ。ただ、彼女にとって、過去の経験に比べれば、将来への不安はそれほどのものではない。

ヨーロッパに到着してからの夢について、アミナさんに聞いた。彼女は、少しばかり間を置いて「勉強ですね。これから住む国の言葉を学びたい。そして、働きたいです」と答えた。勉強と仕事──しかし、その前に、彼女が求めているのは、ご飯をボウル一杯食べること、そして、なによりも安心と安全を感じることのはずだ。

ヨーロッパでの勉強と仕事を夢見るアミナさん © Sonsoles Galindo/MSF
ヨーロッパでの勉強と仕事を夢見るアミナさん © Sonsoles Galindo/MSF

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