海外派遣スタッフ体験談
MSFの活動参加で原点から再出発
石田龍吉
- ポジション
- 整形外科医
- 派遣国
- ヨルダン
- 活動地域
- アンマン
- 派遣期間
- 2007年8月~2007年9月

- QなぜMSFの海外派遣に参加したのですか?
手術を終えてイラク人の医師、看護師と一休み
昔、医学生時代に小田実さんの「何でも見てやろう」式の旅行で、アラブの国々でもヒッチハイクさせてもらったり家に泊めてもらったり、大変お世話になりました。また、その後の人生に役立つ勉強もさせて頂きました。今回、その恩返しをしたいという気持ちもあって参加しました。
また、私も団塊世代の一員なのですが、還暦を迎え「第二の人生」を始めるにあたって、この青春時代の「原点」から再出発してみたいという気持ちもありました。
- Q今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?
-
勤務医(整形外科)をしています。
整形外科の各分野の経験が役に立ちました。
また、最近他団体のネパールでの医療援助に参加した経験も役立ちました。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
-
MSFの医師、看護師などのスタッフミーティング
イラクでは長期化する米軍の占領や内戦によって多くの外傷患者が発生していますが、戦争前3万人いた医師のうち6千人近くが殺害され、他の多くの医師は海外に脱出したため、イラク国内に踏みとどまっている医師は約5千人といわれており、十分な治療は困難となっています。MSFは3年前まではイラク国内で医療支援活動を展開してきたのですが、非常に危険な状態になったため隣国のヨルダンに医療拠点を移し、2006年からアンマンの赤新月社病院の一部を借りて医療支援を行っています。イラク国内では治療が困難な重症の患者さんが、国境を越えて運ばれてきます。
私の業務は、銃弾や爆発物により負傷し、応急手術は受けたものの骨折が癒合しないまま感染が続いている患者さん、神経損傷による麻痺や、腱損傷による機能障害が続いている患者さんの手術やリハビリが主でした。
- Q週末や休暇はどのように過ごしましたか?
-
これまで5~6回の手術を受けてきた複雑な経過の患者さんも多く、病歴の記載も十分でなかったため、患者さんの状態を把握して適切な治療方針を立てるためには大変な努力が必要でした。そのため、休日もたいていは病院でカルテの整理などに取り組みました。しかしたまには気分転換も必要なので、他のスタッフに誘われてペトラ遺跡を見学したり、死海での塩水浴に行ったりしました。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
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病院は町の中心部にあってアラブの国らしい雰囲気があるのですが、医師住宅は病院から遠く離れた高級住宅街の高級マンションのようなところで、むしろ贅沢過ぎるように感じました。
- Q良かったこと・辛かったこと
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たくさんのイラクの患者さんと親しくなれたこと、イラク人やフランス人の医師などのスタッフ、パレスチナ出身者が9割を占める看護スタッフなどと協力して仕事が出来たことは本当に幸せでした。
しかし、私はアラビア語はもちろん英会話も今ひとつで、やはりコミュニケーションには苦労しました。
- Q派遣期間を終えて帰国後は?
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病棟にて、看護師さん達と送別会。看護スタッフの9割はパレスチナ人
留守中にたまっている仕事に追われて大変です。
また、次のネパールでの医療援助も出発が迫っており、その準備にも追われています。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
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このアンマン行きの前には、職場の方や家族から危険だからやめたほうがよいと忠告されましたが、実際に行ってみると、危険を感じるような場面は全くありませんでした。
現地の整形外科医の体制の不足は深刻なので、上記のような難治性の病態を治療した経験のある年配の先生方もぜひ参加して手伝ってください。