海外派遣スタッフ体験談
施設でただ1人の整形外科医、仲間にも支えられ
堀越泰三
- ポジション
- 整形外科医
- 派遣国
- ナイジェリア
- 活動地域
- ポートハーコート
- 派遣期間
- 2009年5月

- QなぜMSFの海外派遣に参加したのですか?
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「医療援助といえば、国境なき医師団」と知らぬ間に刷り込まれたのか、学生時代から漠然と何らかの貢献をしたいと考えていました。扶養家族は片手一杯、もはや自分探しの歳でもないのですが、能書き垂れるより体で払わんかという強迫観念めいた何物かに背中を押されて。いつもより多めに献血する感覚とでも申しましょうか。幸運にも健康に育ち、好き勝手に人生を歩んできた自分に課された補習授業ですね。
- Q今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?
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整形外科医としての臨床業務のほか、骨関節疾患の原因解明や治療薬関連の基礎研究で生計を立てていたこともありました。もちろん臨床での経験は派遣先での実地医療に活かせますし、小難しい基礎科学の知識も、宇宙や生命を遠い眼で語るときには大いに役立ちます。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
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ナイジェリア人の非常勤整形外科医と。現地スタッフは
陽気な人が多く、おしゃべりを楽しんだ。ナイジェリアの南西部、ニジェール川デルタの中心地ポートハーコート市にある、テメ病院外傷センターでの整形外科プログラムです。具体的な業務内容は、ベッド数100床を超える二次~三次救急病院で、整形外科の一人医長を務めるが如しと言えば、同業者には直感的に理解できると思います。二人のナイジェリア人非常勤整形外科医が交代で外来や手術をこなしてくれていましたが、基本的には施設内にただ一人の整形外科医という状況が多かったです。最先端の施設や充実した体制の整った、先進国でいう外傷センターの概念は通用しません。
1日のスケジュール —ER確認~ICUと一般・感染病棟の回診~手術、手術、手術!—
朝7時半に護送車で宿舎から病院に移動し、まずはER(緊急救命室)に顔を出して入院状況を確認します。多い日には一晩で10人くらい緊急入院しており、ERのホワイトボードに開放骨折の文字を見ない日はほとんどありません。銃撃、暴行による外傷のほか、最も多いのは交通事故の被害者です。何しろ、街中を疾駆するのは廃車寸前の整備不良車ばかり、慢性的ガソリン不足のため、ガソリンスタンド周辺は車間距離30cmの大渋滞、無法暴走車の間を昼夜なく練り歩く無数の売り子という戦慄の交通事情なので、事故が起きない方が不思議です。
ポートハーコート市のテメ病院外傷センターの
手術室で執刀中。8時からICU(集中治療室)~一般病棟~感染病棟の順に回診を進めていきます。総回診は原則として週に1回、他の日は新入院と術前術後の患者を中心に回診しました。緊急入院した患者に関してあらかじめ得られている情報が少ないため、初見のレントゲン写真に腰を抜かすこともしばしばでしたが、数日で慣れました。整形外科の患者がべらぼうに多く入院患者の7~8割を占めるため、回診には平均して2時間はかかっていました。緊急手術を要する患者を発見すれば、その場で手術の術式、手術日程、さらには入室順まで決めなければなりません。麻酔科医、手術室看護師、病棟看護師などから矢継ぎ早に質問、苦情が集中するため、緊急手術が多い日には朝からアドレナリン分泌は全開となります。
回診が終了すると、午前の手術が開始されます。手術室は2つあり、1つは感染手術用、もう1つは準クリーンルーム扱いとされ、ほとんどの新鮮外傷の骨接合術は必ずその手術室を使わねばなりませんでした。こちらとしては連日多数の手術数をこなすために2室並列でどしどし準備を進めたかったのですが、規則なので仕方ありません。センター全体としての手術は1日10件を越えることが何度もありました。そのうち、一般外科や現地の整形外科医の執刀による手術助手に入ったものを除くと、自分で執刀した手術は1日平均3件弱(最高6件・最低1件)でした。たった1度の平和な日曜日を除き、帰国当日の朝まで毎日手術をしていました。
フレンドリーな現地スタッフと、積極的に協力してくれた同僚医
緊急処置室で一般外科医のスティーブと。朝一番、
ホワイトボードに記された緊急入院患者をすばやく把握する。
開放骨折、銃創、刺創など重傷患者が目白押し、メモを取る表情も
真剣そのもの。病院を支えてくれている看護師や一般内科医をはじめとする多くの現地スタッフは、たいてい陽気でフレンドリーです。忙しい仕事の合間には楽しいおしゃべりや歌で元気をくれたものです。中には変わった人もいますが、私もかなり変なので勝負はいつも引き分け、お互いの健闘を称え合って終わります。
私の任期と同時期に、テメ病院にはアメリカ人の一般外科医、スティーブも派遣されていました。彼の真骨頂である胸部・腹部外傷の患者が少なかったため、外傷後骨髄炎のデブリドマン(感染を起こした傷や壊死した組織の切除)や植皮、四肢切断など、整形外科関連の仕事を積極的に手伝ってくれました。アクティブな一般外科医にとってはあまり興味深い仕事ではなかったかもしれず、少し申し訳ない感じもしました。率直に言えば、彼ら一般外科医の協力なくしてはとても手が回らなかったというのが、テメ外傷センター整形外科の実状でした。
帰国前のブリーフィングで、このまま一整形外科医の孤軍奮闘に頼り続けるのは危険であり、可能であれば早めに増員した方がよいという意見を伝えたのですが、その後2名に増員されたと聞きました。なかなかどうして、MSFは柔軟で迅速だと感心しました。
- Q週末や休暇はどのように過ごしましたか?
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宿舎近くにある稀少なレストラン「トビー・ジュグ
(Toby Jug)」で他の海外派遣スタッフと食事を楽しむ。足掛け4週間足らずの短期派遣であったため、特に休暇が用意されているわけではなく、要求もしませんでした。基本的には土曜の午後と日曜日は休みでしたが、一般外科医、麻酔科医、麻酔科看護師、整形外科医の4人からなる自称外科チームだけは毎日ひたすら病院通いを続けました。土曜日は建前上は半日営業とはいえ、予定手術を少なめに組むようにしても毎週何件かの緊急手術が加わり、すべて終わるともう夕暮れでした。日曜日にも当然のように緊急手術が組まれましたが、帰国直前に1日だけ手術のない日曜日もありました。その日は午前中で病棟回診を切り上げ、仲間と連れ立って宿舎近くのお金持ち用ホテルで食事をし、ジムでバイクを漕ぎ、レストランで地ビールを飲んで昼寝しました。
安全上の問題から我々が行ける場所はかなり制限されていますが、わずかな暇を見つけて、お面マニアの外科医、スティーブに誘われ、皆で市内の民芸店に行ってみました。彼は面妖な木彫りのマスクを買い集め、私は医者と看護婦のペア人形を買い、忙中閑ありを実感する楽しい時を過ごせました。ペア人形は家内安全病魔退散の守り神として、今日も我が家で睨みを利かせています。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
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頑丈な塀と鉄条網に囲まれた敷地内に2棟の家があり、各人に個室が用意されていました。当然ながら、熱帯デルタの街らしい暑い日が続きます。部屋の天井では巨大なシーリングファンがうなりをあげて回っているため、暑がりの私でもエアコンなしで何とか過ごせました。それでも寝苦しい夜には水シャワーを一晩で3回浴びたこともあります。闇を切り裂く雷神様とともに夜ごと訪れる強烈なスコールは、心地よい天然のクーラーでした。
部屋は私には十分清潔で快適でした。窓から蚊や虫が入ってくることもありますが、ベッド備え付けの蚊帳と日本から持参した蚊取り線香の活躍で、ほとんど心配せずに済みました。ただし、油断していると小さなトカゲが愛嬌たっぷりに部屋の壁を這い回っていたりするので、爬虫類が苦手な人は覚悟した方がよいでしょう。
日曜日を除き、昼食と夕食は現地のコックが用意してくれます。全員の分が大皿にまとめて盛られているので、外科チームが遅れて食卓を囲む前にほとんど食べ尽くされていたという悲劇も何度か経験しました。ごく一部を除き、ナイジェリアの料理は私には合っていたようです。ソヤ(SOYA)という辛い干肉は、特にお気に入りでした。
- Q良かったこと・辛かったこと
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よかったこと
陽気で仕事熱心なよい仲間とチームが組めたこと。日本ではまず遭遇しない疾患や外傷の治療を経験できたこと。期せずして減量に成功したこと。つつがなく帰国できたこと。
辛かったこと
馴染みの薄い手術器械や固定材料の扱いに慣れるまでに時間を要したこと。レントゲン所見や傷の状態の記録写真を残すにあたって、一部スタッフの理解を得るのに苦労したこと。町を自由に歩き回れなかったこと。まる2日間、下痢止めを飲みながら手術したこと。
- Q派遣期間を終えて帰国後は?
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帰国翌日には職場に戻りました。時差ぼけとの長く苦しい戦いは1週間以上続きました。そういう条件でミッション参加にこぎつけたので仕方ないとはいえ、やはり、余裕のある日程でゆるりと休んだ方がよいに決まっています。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
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整形外科の患者がとても多く、
入院患者の7~8割を占める。資源に恵まれた国なのに貧しい人が多い。なぜ貧しいのだろう。暴動やDV(家庭内暴力)による怪我人が多い。なぜ仲よく暮らせないのだろう。乱暴な運転による悲惨な交通事故が多い。なぜルールを守れないのだろう。何十年も援助し続けているのに変わらない。なぜ変われないのだろう。翻って、日本を始めとする先進国は豊かである。なぜ豊かなのだろう。たぶん理由はある。物が豊かになると心が貧しくなるというのは本当か。たぶん嘘だ。決して美しいばかりでない現実に触れるたびに考えさせられるはずです。一方的に与えるだけではなかなか崩せない大きな壁、政治、宗教、教育、あるいは国民性の問題が確かに存在することを理解した上で、我々はただ医療支援に専念すべきなのでしょう。
日本人はお人よし、内弁慶、曖昧、自己主張が弱いなどと自嘲気味に語られますが、それらは狭い島国で平和に助け合って暮らすために培われた先人の知恵なのかもしれません。MSFに参加するからといって無理に自分を欧米化しようとする必要もなく、コテコテのジャパニーズ・イングリッシュを話す、コテコテの日本人のままでもよいのだと思います。自国の文化を胸を張って語れない人には、他国の文化を真に尊重し理解することはできないでしょう。各国のお国自慢合戦を楽しみつつ、世界選抜チームの代表メンバーとして、日本人らしく、堂々と、大活躍してきてください。以上、わずか2回のミッション経験しかない若輩としてのアドバイスでした。
最後に、私の出発をサポートしてくれた日本事務局の皆さんに深く感謝します。いつかまた、お世話になります。
MSF派遣履歴
- 派遣期間:2006年3月~2006年4月
- 派遣国:パキスタン マンセーラ
- ポジション:整形外科医