海外派遣スタッフ体験談

考え、努力して、それを続けること

馬庭 宣隆

ポジション
整形外科医
派遣国
シリア
活動地域
派遣期間
2013年11月~2013年12月

QMSFの海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

25年くらい前から、時々自分でバングラデシュの病院に援助活動で行っていました。ほかのやり方で、ほかの国のスタッフと一緒に援助活動をやってみたいと思い始めましたので、MSFの海外派遣に応募しました。

MSFでの最初の派遣は3年前の2011年で、61歳になっていました。2013年は、10月にアフガニスタンの活動から帰ってすぐに、シリアに行かないかとの話があったので、その流れで、そのまま11月から行きました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

私の場合は、派遣までの間はいつも自分で整形や外科など医学の勉強をしています。今回は熱傷も復習していきました。

あとは、走ったり筋肉トレーニングをして体力を回復させています。ほかには語学の勉強、趣味で絵を描いて、その間に仕事を入れています。次の大会を待つスポーツ選手のようです。でもなかなか待つ間の過ごし方は難しいです。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

何回も任地に行くと、MSFのやり方がだいぶわかります。その点での戸惑いはだんだん少なくなったと思います。たとえば現地への入り方、ほかの海外派遣スタッフとの人間関係、現地スタッフとの関係、現地での生活の仕方、治療手技の現地への適応のさせ方、患者さんへの接し方、危険回避の方法など、細かなテクニックはたくさんあるようです。

でも結局、多くの事柄はその場その場でやりくりする必要がありました。若ければ勢いで突破できることもあるでしょうし、個人個人のキャラクターもありますが。畢竟、日本での病院の問題、人間関係の問題と同じと思います。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

シリアでの外科プログラムです。普通の家を病院に改造して使っていました。ほとんどが重症熱傷の治療でした。患者さんは、多くは、紛争の影響を受けて避難している難民キャンプの女性や子どもで、炊事用のガソリンコンロの爆発で受傷された方が多かったです。

海外派遣スタッフはプログラム責任者、医療コーディネーター、ロジスティシャン、アドミニストレーター、移動診療スタッフ、外科医、麻酔科医、救急医の8人に、時々、ほかの都市からのゲスト訪問がありました。

現地スタッフは、病院内に60~100人ほど、難民キャンプで働く人は60人くらいだと思います。

現地スタッフの数としては大きなものですが、外科は自分と現地採用のスタッフ、現地の麻酔科医と手術室看護師、理学療法士の数人のみの少人数でしたから、朝から晩まで手術室にいる状態でした。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

朝8時半に事務所でミーティングをし、9時から病棟回診、その後ガーゼ交換、手術、適当な時間に昼食1時間、その後ガーゼ交換、手術をして、午後6時頃に夕方の回診をして帰宅です。

夕食後、寒いですから、ほぼベッドで毛布をかぶっていました。食べて、寝て、働く、という毎日です。

休みの日は、朝回診して、午後は宿舎でゆっくり過ごしたり、雑務をしたり、ご飯を作ったりしていました。

病院と宿舎は歩いて1分の距離ですが、安全のため家の出入りにいちいち電話報告するのがルールになっていました。外出できたのは難民キャンプを見学に行った1度だけでした。

難民キャンプは、25年くらい前のバングラデシュのキャンプより、だいぶ整備されていました。でも、家の中で暮らしていても寒くて困っているのに、これから冬になって雪が降ると、テントの中で寒いだろうなと思いました。

Q現地での住居環境についておしえてください。

どんな活動地でも自分の部屋がどんなところかは重大な関心事ですが、ここはみんなが諦めていて我慢し合う環境でした。外は雪が降っているのに最初はストーブもなく、私は手術室からアルミの保温シートを持ってきて毛布の間に挟んで寝ました。動くと音がするのでほぼ身動きできない状況でしたが、寒さはなんとかしのげ、毎日よく眠れました。

朝6時頃には目が開くのですが、その時間帯は、年配スタッフだけが一斉に起きていて、朝のコーヒーを一緒に飲みました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。

現地の若い外科医と相談して、定型的でない治療手段を採用して良い結果を得られたことです。彼と一緒に、チーム全体が毎日気持ちをあげながら手術をしました。チーム・マネジメントとしては成功したと思います。

情勢不安のなか、現地の医師たちはとても困難な中にいるので、本当に心配です。彼に可能性が開かれることを祈っています。

Q今後の展望は?

アフガニスタンにまた行くことになっています。年齢もありますので、1回1回これが最後かなと思って出発しますが、帰るときはもう1度行けるかも、と思って帰ります。

周囲からは「もうやめたら?」と心配する声も高くなっています。でもMSFで参加した最初の活動の時から、手術室の海外派遣スタッフの平均年齢はとても高いのです。退職後に行こうという外科医が日本でもたくさん現れてほしいと思っています。

ただ、若い時のように勢いだけではいけません。自分に問いかけてもなお、行く前には迷いがあります、でも、行ってしまえばそれは消えるのも知っています。目の前に課題を設定して一つひとつクリアしていくだけです。体力、気力、知力の限界をいつ感じるのか、それは遠からず訪れると思うのですが。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

自分がMSFに参加する前は、スーパーマンのような人の集まりかとも思いました。今思うのは、確かにすごい人はいますが、普通の人がいろいろ考えて努力して、それを続けることによって、すごいと思えるようなことを時々しているようです。

国境を越えたこのような援助活動は、この30年間、さまざまに形を変えてきています。世界の国の情勢も変化していきます。どちらにしても、国境の垣根は所詮低くなっていきますし、日本人の平均寿命も伸びていきます。長~い目で、自分が何と対峙しているのか、気長に付き合って行ってもらいたいです。

私は自分のしてきたことを、自分なりになんとなく納得していますが、それでもなお、自分は何のためにやるのかと思ったりして、自分のモチベーションを探したりします。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2013年9月~2013年10月
  • 派遣国:アフガニスタン
  • プログラム地域:クンドゥーズ
  • ポジション:整形外科医
  • 派遣期間:2012年4月~2012年5月
  • 派遣国:パキスタン
  • プログラム地域:ハング—
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2011年12月~2012年1月
  • 派遣国:ナイジェリア
  • プログラム地域:ポートハーコート
  • ポジション:整形外科医
  • 派遣期間:2011年10月~2011年11月
  • 派遣国:ナイジェリア
  • プログラム地域:ポートハーコート
  • ポジション:整形外科医
  • 派遣期間:2011年6月~2011年8月
  • 派遣国:リビア
  • プログラム地域:—
  • ポジション:整形外科医

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