海外派遣スタッフ体験談
20年以上紛争が続く地域で、チームの責任者を担う
辻坂 文子
- ポジション
- プログラム責任者
- 派遣国
- コンゴ民主共和国
- 活動地域
- 北キブ州
- 派遣期間
- 2013年12月~2014年7月、2014年8月~2014年12月

- Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?
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MSFの現場でアドミニストレーターとして働いていた頃から、いつかは、各プログラムのチームをまとめるプログラム責任者として働いてみたいと思っていました。派遣の1~2ヵ月くらい前に話が具体化したと思います。
- Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?
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2013年9月に、前回の南スーダンでの活動を終えた後、10月は個人的な予定で忙しく過ごしたので、コンゴ民主共和国(以下、コンゴ)に関する本やレポートを読むほかはただゆっくり休養していました。コンゴでの活動は1度帰国をはさみ、通算して1年という長期になったので、派遣前に日本で家族とゆっくり過ごす時間をとれたことは、とても良かったと思っています。
- Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?
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アドミニストレーター、人事コーディネーターとしての活動を経て、今回初めてプログラム責任者として活動したので、悩むことも多くありました。特に、プログラム責任者という立場においては、多様な場面で迅速に的確な判断をする必要があることを痛感しました。
安全の確保、移動の許可、他団体との折衝、物資や機材の購入承認、人事、チームのマネジメントなど、決定を下すべきことが毎日たくさん生じます。そうした状況で、過去の経験からMSFにおける意思決定のメカニズム、予算や人事の承認プロセスを知っていたことは、少なくともそうした場面での決定を速やかに下すことに役立ったと思います。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
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ムグンガ第3避難民キャンプの診療所
2013年12月から担当したプログラムでは、北キブ州の州都であるゴマ近くの国内避難民キャンプで基礎医療を提供していました。北キブ州では20年以上前から、国内外の勢力の利害が絡み合った複雑な紛争が続き、多くの住民が避難を強いられる状況が常態化しています。
最近では2012年末に新たな反政府勢力がゴマまで侵攻し、周辺の避難民キャンプに数十万人の住民が逃げ込むという事態に至りました。
私が赴任した2013年末の時点では、危機の発生から1年以上が過ぎていたものの、政府と反政府勢力の間で和平合意が結ばれたばかりで、多くの避難民は先行きを案じてキャンプに留まっていました。MSFは、およそ1万5000人が生活していたムグンガ第3避難民キャンプに診療所を設置して、1日平均100件の診療をするとともに、診療所では治療できない患者をゴマの病院に搬送していました。
避難民キャンプでのプログラムを閉じた日、
スタッフとともにゴマはおよそ1500mの高地にあるので気温が低く、多くの子どもが呼吸器疾患に苦しんでいました。またコンゴ東部では、紛争に伴って性暴力が蔓延しており、被害者の多くはケアを受けられないまま、場合によっては再び性暴力の被害に遭うという状況が続いています。
避難民キャンプの診療所では、月平均30人の患者に包括的な医療・心理ケアを提供するとともに啓発活動を行い、できるだけ多くの被害者に医療を提供できるよう努めました。
その数ヵ月後、情勢が安定してきたことを受けて、避難民キャンプの住民の健康状態と生活状況についての調査を実施しました。MSFが活動を続ける必要性が低くなったと判断し、2014年7月にこのプログラムを閉じました。このプログラムは小規模で、海外派遣スタッフは私1人で、およそ30人のコンゴ人スタッフとともに働きました。
移動診療に赴く道中
避難民キャンプでのプログラムを閉じた後、8月からはワリカレという地域に赴任しました。ワリカレはゴマから150キロ離れた内陸、標高600メートルほどの低地にあり、マラリアが蔓延(まんえん)しています。紛争の影響を受けて避難民もまだまだ多く、現地の保健医療機関が十分な医療を提供できない状況が続いており、MSFは遠隔地域にて3ヵ所の保健所の支援と移動診療を行うとともに、ワリカレ中心部にある基幹病院の小児科と救急患者への対応を支援していました。
ワリカレでは、医療チームはほぼ毎日、遠隔地域に赴いて移動診療や保健所の支援をしていたため、移動するチームの安全を確保することが日々の最優先事項でした。
また外来、入院ともにマラリア患者の数が増加し続け、医薬品、スタッフ、ベッド数の不足が続く中、それに対する実質的な対応をするとともに、プログラムの効率性を見直すべく、プログラムのスタッフやコーディネーション・チームと繰り返し話し合い、次年度の年間計画を立てることにも力を入れました。海外派遣スタッフは私を含めて5人、コンゴ人スタッフが70人で運営していました。
- Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
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勤務時間は朝7時半から夕方の5時半でしたが、チームの移動のある日には朝6時から働いていました。また慣れないうちや、レポートや予算の締め切りが近いときは遅くまで仕事をすることもしばしばありました。
しかしながら、チームの責任者が夜遅くまで仕事をすることはチームライフに悪影響を及ぼすということにも気が付き、後半はなるべく早く仕事を切り上げて、メンバーとスポーツやボードゲームをしたり、映画をみたりして、一緒に時間を過ごすことを心がけました。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
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ゴマ・ワリカレ間には舗装路がない。
MSFは週1回の定期便を運航し、スタッフや物資の運搬、
重症患者のゴマへの搬送を行う。前半は州都ゴマでの生活だったので、個室にトイレとお湯のシャワーのあるとても快適な暮らしでした。住居から歩いて5分のところにオフィスがあり、避難民キャンプにはそこから車で40分程度かけて通っていました。
後半のワリカレでは、住居とオフィスが同じ敷地、病院は歩いて10分程度のところにありました。給湯器やWiFiがあり、MSFの現場としてはとても快適な環境でした。一定のルール(エリアや時間)を守れば、町を歩くこともできたので、町の市場に行ったり、ジョギングをしたりすることができました。
- Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
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移動診療の様子
毎日が学びであったといっても過言ではないほど、多くの人びとから多くのことを学びました。避難民キャンプでは、人びとの置かれた環境の過酷さ、この状態が20年以上も続いていることにやりきれない思いを感じるとともに、避難民の人びとがそれぞれに困難な状況を必死で生き延びていることに強く心を動かされました。
コンゴ東部における平和の回復が言い立てられ、キャンプから人びとを故郷に帰還させるための圧力が強まるなか、患者さんの1人が「平和なんてない」とつぶやいたことが強く印象に残っています。
ワリカレでは、チームのスタッフの覇気が印象的で、彼らと一緒に働けることをとてもうれしく思いました。コンゴ東部の田舎で遠隔地域に赴くには、大変な悪路を走破する必要があり、ドライバーにとっても医療チームにとっても重労働です。そんな悪路をものともせず、朝早くから移動し、一日中診療を続けるスタッフの姿に心を打たれました。
苦労したのは、紛争が常態化して国のサービスが疲弊した(もしくは存在しない)地域で、国民に保健医療を提供する責任を持つ保健省に成り代わるのではなく、かつMSFが必要だと考える水準の医療を提供するにはどのような援助をするべきか、という問いに直面したことです。すぐに答えの出る問題ではないですが、活動を通して考えていきたいと思います。
- Q今後の展望は?
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今後もMSFの現場での活動に参加したいと思っています。現在は、好きな素材で料理を作る、思う存分スポーツをする、友人に会うなど、活動中にはできないことを楽しんでいます。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
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MSFの仕事は苦労も多いですが、とてもやりがいのある仕事です。世界に存在する不平等、理不尽な苦しみの大きさに圧倒されそうになりますが、それに対して行動したいと考える人が、自分の理念に基づいて活躍できる場だと考えています。
MSF派遣履歴
- 派遣期間:2013年6月~2013年9月
- 派遣国:南スーダン
- 活動地域:ジュバ
- ポジション:人事コーディネーター
- 派遣期間:2012年5月~2012年11月
- 派遣国:南スーダン
- 活動地域:アウェイル
- ポジション:アドミニストレーター
- 派遣期間:2011年7月~2011年11月
- 派遣国:中央アフリカ共和国
- 活動地域:バンギ
- ポジション:アドミニストレーター
- 派遣期間:2011年5月~2011年7月
- 派遣国:日本
- 活動地域:宮城県
- ポジション:アドミニストレーター
- 派遣期間:2010年12月~2011年3月
- 派遣国:ハイチ
- 活動地域:ポルトープランス
- ポジション:アドミニストレーター