海外派遣スタッフ体験談
活動を通じて自分の価値観を見直す
早水 真理子
- ポジション
- 麻酔科医
- 派遣国
- 南スーダン
- 活動地域
- ベンティウ
- 派遣期間
- 2014年5月~2014年6月

- Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?
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戦争、紛争で多くの人が不条理に亡くなった歴史、そしてその状況が世界中で今も続いているという報道に興味を持っていました。日本では取り上げられないことが多々あるとも感じます。そして、現地以外で得られる情報は限定的で、偏っている部分もあると思ったため、実際にその国へ行き、現地の人びとに寄り添い、この目で事実を見たい、知りたいという思いが次第に強くなっていました。
大学の頃からMSFで働きたいという夢は持っていましたが、仕事面、その他の面でもタイミングがよい時期を得て、派遣登録しました。
- Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?
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外傷や救急医療の経験が少なかったため、日本でJATEC(※1)やPALS(※2)のコースを受けておきました。
- Japan Advanced Trauma Evaluation and CareTMの略。日本救急医学会および日本外傷学会が策定したガイドラインと、それに基づく外傷診療研修課程。
- Pediatric Advanced Life Supportの略。アメリカ心臓協会(AHA)が策定したガイドラインに基づき、小児の2次救命処置を学ぶ研修課程。
- Q今までどのような仕事をしてきましたか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?
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主に麻酔科医として勤務していました。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
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紛争負傷者のケアに当たる筆者(中央)
2013年末からの内戦により、南スーダン各地で多くの人が家を追われ、国連のIDP(国内避難民)キャンプやブッシュに避難していました。MSFはベンティウのIDPキャンプの避難民を対象として緊急プログラムを立ち上げ、内科、栄養管理、外科と、幅広く活動を行っていました。
キャンプの環境は劣悪で、死亡率も非常に高く、早急な改善に向けてメンバー全員が忙しく働いていました。海外派遣スタッフのチーム構成は、プログラム責任者、医療チームリーダー、ロジスティシャン、水・衛生担当、内科医、救急医、看護師、助産師、外科医、麻酔科医、と、全部で30人前後でした。
キャンプのMSF病院敷地内に掲げられた旗
しかも、首都やMSFのほかのプログラムから常に人の出入りがあり、とてもにぎやかでした。チームメイトの入れ替わりも頻繁だったため、名前を覚えるのに苦労しました。
ちょうど私が派遣される直前に、ベンティウで多数の負傷者が出る戦闘があり、MSFの病院に200人近くが一度に運ばれました。そのため、私が到着してからの主な手術はその患者さんたちの銃創に対する包帯交換、遅延1次縫合(DPC:Delayed primary closure)や整形外科手術でした。加えて交通事故や銃創の患者さんが運ばれることもあり、緊急手術もしばしば行いました。
- Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
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毎朝8時からメンバー全員でのミーティングがあり、その後は手術の麻酔に入っていました。病棟業務なども行い、毎日、大体夜8時頃には終わっていました。たまに夜に緊急手術が入る事もありました。日曜日は予定手術を入れないようにしていましたが、毎週何かと急患や病棟業務がありました。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
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立ち上げられたばかりの緊急援助活動だったため、典型的なプログラムとは違い、国連の施設内にテントを張って生活していました。海外派遣スタッフ4〜8人で1つのテントをシェアしていました。
トイレやシャワーはほかのNGOや国連スタッフと共同でした。お湯のシャワーが使えたのはとても有り難かったです。食事も3食、共同のカフェテリアで食べていました。毎日ほとんど同じようなメニューでしたがおいしくいただいていました。
事前に聞いていた通り、虫がとても多く、ヘビも何度か出ました。行く前から虫はかなり苦手だったのですが、そのうち慣れてしまいました。こればかりは自分の適応力に感謝しました。でも帰国してみると…やっぱりだめでした(笑)。
- Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
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筆者の活動終了日、全チームメンバーと
嬉しいことにチームメンバーには本当に恵まれました。直接関わる手術室のスタッフだけでなく、あらゆる職種のメンバーが互いに励まし合いながら生活し、一体感がありました。メンバーそれぞれに思い出があり、今でも忘れられません。
英語でのコミュニケーションは心配していましたが、おおむね支障なく仕事ができました。ただ、仕事以外での会話では、ネイティブ同士の冗談がわからなかったり、もっと細かいニュアンスを伝えられたら、と感じたりすることも多々あり、残念な思いもしました。
そして、難民キャンプという場所柄当然ではありますが、今まで日本で当たり前だと思っていたすべてのものが、なかなか手に入らず苦労しました。自分の生活においても職場においても、です。自分の価値観を大きく見直しました。
雨期の始まりで、大雨の後は道が泥で非常に歩きづらくなり困りました。ただ、帰国した後はさらに雨が多くなり、難民キャンプは冠水し、危機的状況になっているとも聞いているため、現地の避難民の人びと、スタッフが心配です。
- Q今後の展望は?
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仕事などの調整がつき次第、次の派遣を考えています。できるだけ英語力を向上させておきたいと思います。時間があればアラビア語も勉強したいです。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
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安全面、語学面等で不安がなかったわけではありませんが、迷った時は勇気がいる方を選んだ方が、後悔がないと思い参加しました。真に必要とされているところで貢献できるのは、医療者としてこの上ない幸せです。MSFに参加しなければ決して出会う事のできなかった人びとと出会い、多くを学ばせてもらう素晴らしい機会になると思います。
派遣に対する家族、職場の理解を得るのは簡単ではないですが、一度しかない自分の人生ですので全力でぶつかってみるのもよいのではないでしょうか。周囲の人への感謝の気持ちは忘れずに、今後もMSFの活動に参加し続けるつもりです。