ミャンマーの秘境の村へ医療を届ける 人びとの命をつなぐ移動診療

2019年05月27日掲載

MSFの移動診療を待つナガ族の患者 © Scott Hamilton/MSFMSFの移動診療を待つナガ族の患者 © Scott Hamilton/MSF

伝統的な美しい刺繍が施された布に包まる子ども——ナガ族の人びとが暮らすミャンマーのナガ自治区は、ザガイン地域の北西端の山間地に位置している。ここは国内でも特に、たどり着くのが難しい場所だ。ナガ族は多くの異なる部族で構成され、今なお独自の文化に強い意識を持っている。インド国境をまたいで暮らし、特に村落では多くが農耕と狩猟で家族を養っている。国境なき医師団(MSF)はラヘの町に拠点を置き、必要な医療が届きにくいナガの人びとを訪問し、移動診療を提供している。 

孤立した地域の住民に医療を届ける

何時間もかけ、村落へ移動診療に向かうMSFのチーム © Scott Hamilton/MSF何時間もかけ、村落へ移動診療に向かうMSFのチーム © Scott Hamilton/MSF

MSFチームが拠点を置くラヘはカンティ県の行政の中心で、最寄りの空港があるカンティの町までは未舗装道路を車で4時間進まなければならない。病院は、ラヘとカンティの町に各1ヵ所しかない。雨期になれば移動は4時間を大幅に超えることもあり、土砂崩れや洪水が起きれば、不通になってしまう。

ナガの人びとが暮らす村落は山深い奥地にあるため、住民は基礎的な保健医療も受けられない。雨期には一部の村は何ヵ月も孤立することさえある。ナガ丘陵は海抜およそ1800メートル。冬期の気温は時に零下まで落ち込み、夜間は特に寒い。大部分の人は草ぶき屋根の木造家屋に住み、屋内の炉が、暖房、食用肉の乾燥、調理場の役を果たす。火は絶えず燃えていることが多く、家屋を温かく保ってくれる一方、咳や上気道感染症をまん延させてしまう。 

木造の家屋が並ぶナガ丘陵のヘイ・クン村 © Scott Hamilton/MSF木造の家屋が並ぶナガ丘陵のヘイ・クン村 © Scott Hamilton/MSF

MSFは2016年からナガ自治区で活動している。ラヘ郡区内の15村に一次医療、病院紹介、健康教育を提供するとともに、保健・スポーツ省が管轄する中心街の病院を支援してきた。また、同じ地域で結核検査と集団予防接種の運営も支援している。

MSFチームは、この15村を月にそれぞれ1~2回訪問。担当の移動診療チームには必ず医師と薬剤師が1人ずつ配属される。険しい道を抜けるための頼りは主にバイクで、それでも移動に8時間かかることもある。多くの人びとが病院や保健医療施設にたどり着くのが難しいため、緊急時や重病人が出た際には、MSFの移動診療チームが命綱にもなり得る。
 

MSFの移動診療を受けるナガの親子 © Scott Hamilton/MSFMSFの移動診療を受けるナガの親子 © Scott Hamilton/MSF

2018年、MSFはナガの住民に8400件以上の診療をした。患者の症例としては、気道感染症、骨格筋痛、下痢が特に多い。ナガのへき地で暮らす住民の間では予防接種率の低さも問題で、人びとは予防できるはずの病気の危険にもさらされている。そこでMSFは、過去何年かにわたって保健・スポーツ省の実施する集団予防接種も支援してきた。 

目を患ったまま10年、ようやく治療に

10年も目を患っていたチュンさんは、最近ようやく治療を受け始めた © Scott Hamilton/MSF10年も目を患っていたチュンさんは、最近ようやく治療を受け始めた © Scott Hamilton/MSF

チュンさんはナガ丘陵のヘイ・クン村で暮らし、農業で自給自足の生活をしてきた。10年前から片方の目を患い、現在、MSFの移動診療で治療を受けている。

「私は70歳くらいだと思いますが、定かではありません。ナガもご先祖様の時代とはずいぶん違います。今みたいに服を着込んではいなかったんですよ!伝統的な服装はもっとずっと薄着です。ラヘもカンティも、行くにはすごく時間がかかりますし、バイクがないと行けません。MSFのお医者さんが来てくださると、診察もずっと受けやすくなります。私の若い頃はこうはいきませんでした。誰かが病気になっても、どこにも頼るあてがなかったんです。目がかゆくて腫れぼったくて、もう10年もこんな感じです。最近になって診察に通うようになりました」 

妊娠検査に来たチャキンさん © Scott Hamilton/MSF妊娠検査に来たチャキンさん © Scott Hamilton/MSF

チュンさんの娘のチャキンさんも、子どもを連れて移動診療を訪れていた。妊娠検査のためだ。チャキンさんには子どもが3人おり、皆、自宅で出産した。

「家族を食べさせるため、ずっと忙しく働いています。豚と鶏も飼っていますが、食べ物はだいたい作物。夫は風邪を引いていて、発疹や関節痛があるのに、まだ畑で働いています。私が一番大切に思っているのは、子どもたちに教育を受けさせること。私と同じような人生を送らせるのは忍びないんです。食べ物を得るために嫌でも毎日土いじりをするのは、とても疲れます。特に大変なのは犂を引く牛の相手で、何もかも手作業でやらなければいけません」 

病気の治療は祈祷師を頼りに

顔に伝統的な入れ墨を施しているカモルさん © Scott Hamilton/MSF顔に伝統的な入れ墨を施しているカモルさん © Scott Hamilton/MSF

「MSFがいなかったら、今頃命はなかったでしょう」。そう語るのは、カモルさんだ。具合が悪く、寝床を離れられないなか、MSFの医師が自宅を訪問して治療できた。

「薬をもらうまで、ひどい具合でした。今は調子も良く、元気を取り戻しています。治療前は全身が痛くて、特に胸が痛みました。自分の歳は正確に知りませんが、80歳は超えていると思います。これまでの人生でいろいろな物事を見てきました。若いころには、さまざまな部族が争い合っていたのを覚えています。それから、ラヘ郡区ができた時のことも……。以前は、病人が出た時の頼りは祈祷師でした。動物をいけにえにするように言われたこともあります。私はずっと農業をやってきましたが、もう働けません。家族から食べ物をもらい、家で料理をしています」 

地元の人びとの助けになりたい

プロジェクト・コーディネーター補佐のジョン・ソウ・ライン © Scott Hamilton/MSFプロジェクト・コーディネーター補佐のジョン・ソウ・ライン © Scott Hamilton/MSF

ナガで活動するMSFスタッフの多くが地元の出身で、MSFのような団体で働くことが仲間を助けることになる、と言っている。プロジェクト・コーディネーター補佐のジョン・ソウ・ラインはその1人だ。

「私はMSFがナガでプロジェクトを立ち上げた当初から働いています。最初は健康教育担当スタッフとして、専門的な研修を受けて働き始めました。その後はロジスティクスの監督、そして現職です。私はMSFで働くのが好きです。私たちナガの人間にはまだまだ保健医療が足りないので、重要な仕事なんです。MSFの健康教育は役立っていると思います。人びとが保健医療に向ける目が変わって来ていますから。効果的な薬を提供していることも、状況を改善しています」 

財務と人事の補佐を担当するジョシュア・パコウ・ライン・ブー  © Scott Hamilton/MSF財務と人事の補佐を担当するジョシュア・パコウ・ライン・ブー  © Scott Hamilton/MSF

ジョシュア・パコウ・ライン・ブーは2017年10月に通訳としてMSFに加わり、現在は財務と人事の補佐をしている。それまでは英語の教師だった。

「生まれも育ちもナガですが、私が子どもの頃、この地域はかなり開発が遅れていました。ここ数年で本格的に状況が変わりつつあり、道路や橋が新設されています。MSFで働きたいと思ったのは、特に保健医療で地元の人たちの助けになりたかったから。特に健康教育は、私たちに必要なものです。友人に勤務先を訊かれた時は、MSFがさまざまな医療に精通した人道援助団体であることを説明します。将来は、村落出身の学生たちがラヘの町で学ぶのに、滞在場所をちゃんと確保できるよう、小規模なホステルを経営したい。私が目指すのは、今やっているような保健医療か、または教育を通じて、ナガの若者の発展に貢献することです」
 

看護師のマ・メイ・サンディ・アウン  © Scott Hamilton/MSF看護師のマ・メイ・サンディ・アウン  © Scott Hamilton/MSF

看護師のマ・メイ・サンディ・アウンも、地域の患者に寄り添い、医療を届けたいという気持ちからMSFのプロジェクトで働き始めた。「なかなかたどり着けない地域の人たちにも医療を受けてほしい」と語る。

「私の母は助産師で、ワ自治管区で働いていました。その母がきっかけで、子どもの頃から看護師になりたいと思っていました。MSFの仕事が好きなのは、本当に必要な人に保健医療を届けている実感があるからです。家族には、MSFが困っている人にどう医療を提供しているか、そうしなければその人たちがどれほど大変になるか、そして、チームワークがどれほど素晴らしいかを何回語って聞かせたか……家族はしょっちゅう仕事の話を聞かされて、きっとうんざりしていますよ!」