コートジボワール:「まだ、戻れない」——(2)隣国リベリアに逃げた難民の証言
2011年06月07日大統領選後の混乱の中で村を襲われ、コートジボワール西部から国境を越えてリベリアに逃げた人びとに、国境なき医師団(MSF)は援助の提供を続けている。彼らが語った襲撃の経験、そしていまも家に帰れない理由とは——。難民2人の証言を紹介する。
証言1. 「妻はまだひどく動揺している」
コートジボワール西部出身の男性(2011年5月、リベリア・ニンバ州の避難先にて)

(4月11日撮影)
トゥレプルーが襲撃に遭ったとき、私たちは皆一緒に母の家の近くの"キャンプ"に逃げました。しかし、“キャンプ”にも彼らがやってきて私たちに向けて発砲しはじめたので、長くはいられませんでした。また逃げて、隠れました。私たちは、兵士たちが移動したと聞くたびに転々と逃げながら、森の中に2ヵ月隠れていました。そして、何度も襲撃されました。
あるときの襲撃では、数人の子どもたちが撃たれました。兵士たちは私の母と父を殺し、妻の目の前でその遺体を焼きました。それから、妻を連れ去ったのです。
森の中では薬がないので、私たちは子どもたちの銃創を伝統的な薬で手当てするしかありませんでした。しかし、数週間後にはなんとかリベリアにたどりつくことができ、MSFのスタッフが子どもたちを病院へ連れて行ってくれました。
妻はほぼ2ヵ月間行方不明でしたが、ここリベリアで再会することができました。彼女は誘拐されている間に、兵士たちにレイプされました。いまもなお、ひどく不安がって動揺しており、ほとんど食べられません。彼女は、不安で動悸(どうき)がすると言っています。また、自分の身に起きたことや、義父母が目の前でどうやって焼かれたかを思い出し、夜中に飛び起きたりもします。
上司にトゥレプルーに戻らないかと尋ねられましたが、安全ではないので断りました。家々は焼き払われてしまったし、畑に出ることもできません。戻るには危険すぎるのです。
証言2. 「国で何が起きているのか理解できない」
コートジボワール西部出身の高齢男性(2011年5月、リベリア・ニンバ州バーン難民キャンプにて)

難民キャンプ。(3月16日撮影)
2月に、ダナネの方向から砲撃音と人びとの叫び声が聞こえはじめました。私たちは散り散りに逃げるしかありませんでした。私は家族の数人と一緒に森の中のキャンプに逃げたので、まだ村の近くにいることができました。
すべてが異常でした。あまりに辛い状況でした。バナナ以外に食べ物は見つけられませんでした。子どもたちのために何をすべきかもわからず、夜になると、年長の子どもがほかの子どもたちを守ったものでした。大人たちはまともに眠ることができませんでした。いまもなお、コートジボワールでは多くの人びとが森の中に隠れています。
その後、さらに多くの武装した男たちがやってきて、村の家々を焼き払いました。煙が立ち昇るのがキャンプからも見えました。私たちは国境を越えてリベリアへ逃げる方法を見つけなければなりませんでした。なかには、猟師たちの助けを借りて川を泳いで渡った人もいます。
リベリアでは、人びとが食料をくれると約束して、私たちの名前をリストに載せました。しかし、結局何ももらえませんでした。一度、近隣の村で食料の配給があったので助けを求めに行きましたが、やはり何も食べ物をもらえませんでした。人びとは私たちに耕作の道具を貸してくれたので、畑で働くことができましたが、食べ物がなく、働く力はほとんどありませんでした。
私の息子と娘は別の村にいたのですが、やはりそこから逃げざるをえませんでした。兵士たちにすべて奪われてしまったので、彼らは何も持たずにリベリアへたどりつきました。彼らはトゥレプルーを通ることができなかったので、遠回りをしてこなければなりませんでした。トゥレプルーには検問所があり、武装した男たちが、先の大統領選で誰に投票したかを問うからです。なんと答えようと、彼らは身分証明書を確認し、どこの出身であるかによって誰に投票したかを決め付けます。この検問所で姿を消し、二度と現れない人もいました。私にも、まだ見つからない家族がいるのです。
私はこのバーンの難民キャンプにやってきました。ここでは、国境近くの村にはなかった医療などのサービスが受けられるからです。難民が落ち着く場所は、どこが一番安心できるかによります。なかには、リベリアで作付けしたばかりの畑を見守るために国境近くの村々に留まりたいという人びともいます。あるいは、家がどうなっているか、何か所持品を取り戻せないか、もう安全かどうかを確認するため、再び国境を越えてコートジボワールへ戻る人もいます。
襲撃が止んで、コートジボワールにいる人びとは、大統領がもう就任したし、家に戻る必要があると言って、リベリアへ避難した家族を呼んでいます。しかし、私にはコートジボワールで何が起きているのか理解できません。帰る人もいますが、私は違います。持ち物いっさいが焼かれてしまったのに、村に戻ってどうしろというのでしょう?