生きる意味を失った──モザンビークで絶え間なく続く暴力 心の傷に苦しむ人びとの声
2024年03月18日
アフリカ南東部に位置するモザンビーク。北部のカーボ・デルガード州は、激しい武力紛争が始まってから6年がたった。しかし、いまも人びとは恐怖の中で暮らしている。2024年に入ってからは、武装集団の攻撃により、8万人以上が避難を余儀なくされた。避難した人びとには食料や避難所、救援物資、医療、そして心理的なケアが緊急に必要だ。
国境なき医師団(MSF)は、カーボ・デルガード州で最も被害を受けた地区の一つ、マコミアで活動を行っている。「避難民は多くの場合、暴力によって心に大きな傷を負っています」。MSFの心理士、エスペランサ・チンハンジャはそう話す。
不安やパニック発作、不眠、孤独感などの症状に見舞われたり、同じ思考を繰り返してしまう状態に陥る人もいます。生きる意味を失い、自殺を考える人もいるのです。
エスペランサ・チンハンジャ、MSFの心理士
何が起きているのか
2017年以来、紛争の影響により人びとは何度も避難を強いられている。そのほとんどが、殺人や性暴力、誘拐、恐喝、村の焼き討ちといった悲惨極まりない暴力を目の当たりにしてきた。親類や隣人の殺害や銃殺、首の切断といった場面に遭遇した人も多く、家族を全員失った人もいる。
暴力はやむことがなく、人びとは繰り返し紛争から逃げてきた。2024年1月時点で、マコミアには過去数年間に避難した約7万6000人が住んでいるのだ。2月には、同地区で複数の襲撃が発生し、約3600人が新たに避難民となった。彼らが打ち明ける経験は痛ましいものばかりだ。
空腹と恐怖で眠れない
2022年から避難生活を送るジョアキンさん(42歳)は、現在マコミアにある避難民キャンプで、新たに到着した人びとの登録を担当している。彼はすべての新規到着者の名前を記録し、人びとの体験やニーズ、不満を伝えている。
「夜になると、多くの人が恐怖で眠れなくなります。眠らないでいることで、悪いことが起きていないと確認したがる人もいます」とジョアキンさんは話し、避難した人びとにとって最も緊急に必要なのは食料だと強調した。
農民のアマデさん(60歳)は、2月にパンガンの村を追われた。彼は現在、故郷から45キロほど離れたマコミアのキャンプに滞在している。MSFの診療所を訪れた彼は避難の経緯をこう話す。
「銃声が聞こえ、私たちは走って逃げました。2020年以来、村が攻撃され避難するのはこれで4度目です。食べるものもなく、寛大な人たちからいただくものに頼っています。夜は空腹と、攻撃されたときの記憶に悩まされて眠れません」
助産師のエルネスティーナ・ジェレミアスさん(32歳)も、アマデさんと同じく2月に避難し現在はマコミアの避難所で暮らしている。
「逃げるのはこれで3度目になります。前回の攻撃は最も残酷で、2週間も繰り返し続きました。マコミアに到着してからは、私と同じように攻撃から逃れてきた妊婦をサポートし、MSFの診療所への紹介も行っています。これが私の生きがいです」
攻撃は私たちの生活を含め、すべてを破壊しました。
エルネスティーナさん、助産師/マコミアで暮らす避難民
ナンガにあるMSFの診療所で、2人の子どもに付き添う母親のアティジャさん(28歳)は次のように語った。
「2022年に私たちの村が攻撃されたとき、私は妊娠していました。家族と茂みに逃げ込み、2日間歩き続けました。それ以来、以前の自分には戻れません。パニック発作や不眠に悩まされ、一人になりたいと思うようになりました。いまは子どもたちから生きる力をもらい、食べるもののために畑で働いています」
医療にも深刻な影響
紛争は、医療施設などの公共サービスに重大な影響を与え、人びとが基本的な医療を受けるうえで、深刻な制約をもたらしている。マコミアでは、紛争前に保健省が管理していた7つの診療所のうち、いまも機能しているのは一つだけだ。MSFは、マコミアにある3つの診療所を支援し、避難民に命を守るための支援と医療を提供している。
カーボ・デルガード州の治安情勢は依然として不安定なため、状況が安定し人びとが通常の生活に戻る話をするのは時期尚早だ。2023年12月時点で、54万人以上の人びとが避難生活を続けている。
一方、60万人に上る人びとがそれぞれの出身地域に戻った。しかし故郷に戻ってもなお、人びとは心に傷を抱え、新たな攻撃によって再び避難を余儀なくされるリスクに怯えながら、いまも恐怖の中で暮らしている。
※プライバシー保護のため、仮名を使用
モザンビークでのMSFの活動
2023年、MSFはカーボ・デルガード州で、8万5000人以上の人びとにグループでの心のケアを提供。また、5000件の個人に対する心のケアの相談を行った。