海外派遣スタッフ体験談

被災地で見た自然の力と人びとの前向きな姿勢

熊澤 ゆり

ポジション
アドミニストレーター
派遣国
フィリピン
活動地域
レイテ島ブラウエン
派遣期間
2013年11月~2013年12月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

今まで何回かMSFの援助活動を経験しましたが、また違う現場でそれまでの経験を生かし、より仕事の質を上げていけるのではないかと思っていたところに来た緊急援助の機会でした。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

主に体調管理と語学の学習をしていました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

自分にとって今回が2回目の緊急援助への参加で、通常のプログラムとの違いがわかっていました。プログラムの運営の透明性確保のため、人事管理なども通常の援助活動と同様に各種の手続きを踏む必要性があるのですが、緊急という状況でこれを行う難しさも、通常・緊急の援助両方の経験があったのでそれほど大きな問題もなく行えました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
ブラウエンの北東の町、タボンタボンでの診療の様子。 ブラウエンの北東の町、タボンタボンでの診療の様子。

台風で深刻な被害を受けたレイテ島のブラウエンおよび周辺の地区で、被災家庭に対するビニールシートや石けん、バケツなどの衛生用品等物品の配布、病院などへの安全な水の給水、被災した病院での診療や医薬品などの援助、被災者のカウンセリングなどの心のケアが主な活動でした。

海外派遣スタッフは最大で25人ほどがブラウエンの現場にいました。現場責任者以下、医療チーム、ロジスティックのチーム、心理ケアのチーム、そして財務・人事チームという4つの職種別のチームに分かれていましたが、緊急援助ということで、皆、短期の派遣でした。

実際に12月中旬には物品の配布は終了しました。現地の医療施設への援助は、被災後機能しなくなった病院を離れた現地医療スタッフに代わっての診療治療が主な活動だったのですが、12月中旬には離れていた人が戻り始め、MSFの活動も縮小しました。

ブラウエンの南東の町、マヨルガの病院は完全に破壊されてしまった。 ブラウエンの南東の町、
マヨルガの病院は完全に破壊されてしまった。

そんなわけで12月の中旬には海外派遣スタッフの数は約半数になり、1月上旬にはここでの援助終了が決まったので、そのための準備をしていました。現地スタッフは、医師、看護師など医療スタッフから事務所や倉庫のガードマン、病院の清掃担当も含め、最大時には60人弱がいました。

私が担当していたのは人事で、海外派遣スタッフの受け入れのための準備、離任の時期のチェックおよび帰国のための航空チケットの要請を出すことやその手続きの確認、現地スタッフの雇用のための手続きや人事管理などが主な活動でした。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

仕事は朝8時からでしたが、環境のせいか、私はいつも6時前には起床していました。事務所・宿舎は同じ建物の中にあり、朝はすぐ目の前のパン屋さんに、スタッフが交代で朝食のパンの買い出しに出かけていました。

私は人事担当でしたから、必要に応じて病院や地区の役所などに出かける以外はほとんど一日中事務所内で仕事をしていました。昼食・夕食は現地のコックさんが作ってくれるのですが、スタッフはそれぞれ仕事で外へ出たりして時間が一定しないので、皆、自分の都合のつく時間に食事・休憩をとっていました。

今回は緊急援助ということで、一応終業時間は夕方5時でしたが、特に最初の頃は夕食後も寝る時間まで仕事をする日も少なくありませんでした。後半はそれなりに状況も落ち着き、夕食後は同僚とおしゃべりをしたりDVDを見たりするなど、リラックスする時間もできました

週末も当初は一日中仕事をしましたが、後半にはマーケットや町を散歩する余裕もできました。

Q現地での住居環境についておしえてください。

ブラウエンの町の中心にある、台風でも大きな被害を受けなかった4階建ての建物の一部を住居・事務所として借りていました。スタッフの寝室として3部屋、最上階の大部屋が事務所でした。

事務所前のベランダが広く、屋根としてビニールシートを張って台所兼食堂兼居間としたほか、テントを張って食品および備品の倉庫にしていました。

またこの事務所から徒歩5分ほどのところにあった小さなホテルの部屋もスタッフの住居用に借りていました。しかしそれでも海外派遣スタッフが多かった時期には寝る場所が足りず、多いときには1部屋に6~7人が寝泊まったほか、事務所の机の間にマットレスを置き蚊帳を張りました。

ベッドやマットレスが足りず、セミダブルベッドに2人で寝たり、パレット(ざら板)の上にマットレスを置いてベッド代わりにしたこともありました。

町ではずっと停電が続いていたので、電気はジェネレーターが回っている間だけ使えたのですが、夜は11時頃消灯、ジェネレーターが故障した時もあり、懐中電灯は必需品でした。トイレとシャワーも共同で朝夕は順番待ちも大変でした。しかし大家さん一家にはとても親切にしてもらい、助かりました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
事務所近くの公園。木はなぎ倒され、教会の屋根も吹き飛んだ。 事務所近くの公園。
木はなぎ倒され、教会の屋根も吹き飛んだ。

初めて被災地に入ったとき、町のあちこちのすさまじい被害に自然の力の前での人間の無力さを痛感しました。しかし、日々お会いした人びとの前向きな姿勢と、少しずつではあっても状況が回復していく様子が何よりの励ましになりました。

ただ本格的な復興にはさらに長い時間と膨大なエネルギーが必要なのは明確で、私たちが緊急援助としていることも限界があるのだと実感しました。

Q今後の展望は?

次の派遣まで語学のレベルアップをがんばります。また体調管理のための方法をいろいろ学びたいと思っています。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

緊急援助の場合、特に毎日の仕事が忙しく、自分たちのことは当然後回しになりますし、思うようにならないことも少なくありません。住居や仕事上の環境が厳しい中ではストレスや疲労の解消、健康の維持も簡単ではありませんが、良い仕事をするために無理をすることにも限度があります。

できる限りのことをやった後には、できないことはそれを受け入れたり、ほかの人に助けを求めたりすることも必要です。自分を環境に適応させていく柔軟性またはある種の図太さも必要かもしれません。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2012年12月~2013年6月
  • 派遣国:エチオピア
  • プログラム地域:アロレッサ
  • ポジション:アドミニストレーター
  • 派遣期間:2012年5月~2012年7月
  • 派遣国:南スーダン
  • プログラム地域:ラジャ
  • ポジション:アドミニストレーター
  • 派遣期間:2011年1月~2011年9月
  • 派遣国:ケニア
  • プログラム地域:イジャラ県
  • ポジション:アドミニストレーター
  • 派遣期間:2009年10月~2010年10月
  • 派遣国:イエメン
  • プログラム地域:サナア
  • ポジション:アドミニストレーター

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