スーダンの幼い難民──親が殺され、妹を抱っこし隣国チャドへ 小児病棟からの報告

2023年07月11日
子どもを抱えて病院に向かう、スーダンからの難民たち © MSF/Mohammad Ghannam
子どもを抱えて病院に向かう、スーダンからの難民たち © MSF/Mohammad Ghannam

スーダン国内で続く紛争。特に、西ダルフール州での戦闘は激化の一途をたどっている。そこから逃れるべく、多くの人びとが難民となって隣国チャドに殺到している。その中には、乳幼児、子ども、10代の若者などもいる。
 
チャド東部の町アドレ。スーダンとの国境が間近にある。国境なき医師団(MSF)は、このアドレにある病院を支援しているが、小児病棟は常に満床で、6月15日からのわずか1週間で約60人の子どもが外科病棟で治療を受けた。

戦いの犠牲になる子どもたち

身寄りのない子どもがチャドに到着するケースも多数報告されている。5歳のムハンマドくんは、生後6カ月の妹を連れて、スーダンからチャドにたどり着いた。彼らについて、救急処置室の責任者であるフセイン・アフマド・モハメド医師が説明する。
 
「この二人はスーダンの西ダルフール州の州都ジェネイナに住んでいましたが、ある日、母親が家の中で殺された。それで、ムハンマドくんは妹を抱っこして、避難民の人びとについていき、このアドレの病院までやって来たのです。現在、MSFは二人を保護し、医療はもちろん、食べ物を含めた生活上のサポートをしています。もう一人同じ境遇の子どもがいます。かなり幼い子ですが、あの混乱の中で両親とはぐれてしまった。迷子になったまま、避難民の人びとにまぎれて、この病院までたどり着いたのです」
 
重いけがを負っている若者も多い。15歳のアフマドさんは、深刻なやけどを負って、MSFのテントにて外科治療を受けている。アフマドさんも、もともとはジェネイナの住民である。しかし、2週間前に自宅周辺が戦闘の対象となった。自宅に撃ち込まれた銃弾は、彼の寝室のすぐそばにあるガソリン発電機に命中した。
 
アフマドさんがその時のことをこう語る。「発電機が爆発して、僕の身体に火が燃え移ったんです。悲鳴をあげて貯水タンクに飛び込みました。その後、家族が診療所に連れて行ってくれましたが、ジェネイナでは必要な治療ができないという結論になった。それで、母が車を借りてきて、2日前にこのアドレの病院に来たのです」

やけどの治療を受けるアフマドさんとその母親 © MSF/Mohammad Ghannam
やけどの治療を受けるアフマドさんとその母親 © MSF/Mohammad Ghannam

ベッドが足りない

現在、アドレ病院の小児科と栄養科で、約180人の子どもが治療を受けている。さらに西ダルフール州のジェネイナから、難民の子どもたちが何千と到着した。もともと、西ダルフール州では、ハンガーギャップ(前年の収穫で蓄えた食糧がなくなり、栄養失調に陥る人数や重症度がピークに達する時期)と雨期の影響で、子どもの栄養失調とマラリアが極めて高い水準に達している。その意味でも、小児科の拡張が急務だ。
 
この点について、アドレにてプロジェクト・コーディネーターを務めるラファエル・カナンガは「小児病棟では、1つのベッドに少なくとも2人の子どもが寝ている状況です。私たちとしては、一刻も早く、テントのベッドを50床ほど増設していく計画です」と語る。

病院の前では多くの難民が診察を待っている © MSF/Mohammad Ghannam
病院の前では多くの難民が診察を待っている © MSF/Mohammad Ghannam

「チャドに行くか、それとも死ぬか」

この病院にやってくる幼い子どもたちは、発熱、急性呼吸器感染症、下痢、栄養失調、マラリアなどの症状に陥っている。

ナスラさんとオウラちゃん <br> © MSF/Mohammad Ghannam
ナスラさんとオウラちゃん
© MSF/Mohammad Ghannam
「この子はオウラといいます。生まれて7カ月。下痢をしていて、食欲もなく、泣きどおしです」と語るのは、母親のナスラさんだ。そのナスラさん自身も病を抱えている。二人ともスーダンからチャドに逃れてきた。ナスラさんによれば、もともとスーダンを出国するつもりはなく、住み慣れたジェネイナから離れたくもなかった。

しかし、4月中旬、この街で戦闘が起こる。衝突が激しくなると、ナスラさんは、家族とともに故郷の街から避難するしかなくなった。設置された避難所に40日間ほど滞在したが、そこにも民兵たちが襲ってきた。ナスラさんたちに迫られた選択肢は2つのみ──チャドに向かうか、それとも死ぬかである。
 
ナスラさんがその時のことを語ってくれた。「私たち皆、そこから逃げました。道路にはたくさんの遺体が転がっていました。ある母親が2人の子どもと折り重なるように亡くなっていた光景が忘れられません」
 
ナスラさんたちは国境を超えてチャドに入り、アドレの町にたどり着いた。しかし、その際、民兵たちに捕まり、暴行と屈辱を受けている。ナスラさんは、アドレの病院に入って、ようやく安全を確保した。娘のオウラちゃんにも、やっと治療を受けさせることができた。医師によれば、オウラちゃんは1週間以内に回復するはずだという。

35キロを歩き通して

現在、このアドレの町には、約1万5000人の難民が居住している。マルジャン高校の周辺で暮らしている難民の多くが子どもや10代の若者である。この点について、MSFの現地活動責任者助手を務めるアブデラフマン・イベトが説明する。

「この学校周辺で暮らす難民は、その多くがジェネイナ一帯からやってきた人びとです。このアドレまで35キロもの距離を歩いてきたため、身体的に衰弱しています。現在の生活環境についても、健康面および人道面で問題がありすぎる。若い人たちの中には、はしかにかかっているケースも報告されています」
 
こうした状況の下、MSFチームは、マルジャン高校周辺に住む子どもたちを対象にして、はしかの集団予防接種、ビタミンA補給、寄生虫駆除などの計画を推し進めている。

マルジャン高校周辺で避難している子どもたち  © MSF/Mohammad Ghannam
マルジャン高校周辺で避難している子どもたち  © MSF/Mohammad Ghannam

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