イエメン:空爆にさらされ続けて......
2015年08月07日「戦争は一度起きてしまえば、大勢の人が苦しみます。争いを終えることは難しく、人が人として生きる当たり前の権利が奪われていきます」。イエメンでの活動経験がある国境なき医師団(MSF)の臨床心理士の言葉です。
国内の対立が2015年3月に内戦へと激化し、都市部が連日のように空襲・砲撃にさらされる事態へと陥っていきました。MSFは以前から各地の病院を支援していましたが、空爆のたびに多数の負傷者が一斉に運ばれてくる事態に直面しています。人口密集の住宅地や医療施設までも攻撃対象とされた現地の過酷な状況を写真でお伝えします。
MSFが活動している紛争地と70年前の日本を対比したフォトギャラリーなどを収録した特集「戦後70年特集:世界の紛争地でMSFは......?」も併せてごらんください。
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© Sebastiano Tomada/Getty Reportage 空爆で荒れ果てた首都サヌアの市街地を見つめる男性。
2015年6月12日、深夜1時。
人口密集地に爆弾が降り注いだ。 -
© Sebastiano Tomada/Getty Reportage 空爆で崩壊した住宅4棟のがれきを掘り起こし、行方不明者を捜索する。
これまでに報告された犠牲者数は6人。
被害の全容はいまだ不明だ。 -
© Sebastiano Tomada/Getty Reportage ひどいけがとその治療で力を使い果たし、昏々と眠る子ども。
ただ静かに抱きかかえるしかない父親。
空爆は連日続いた。 -
© Sebastiano Tomada/Getty Reportage 平和だった町は一変した。
学校は閉鎖され、商店はシャッターを下ろし、水道が止まった。
それでも、避難のあてがなく、空爆におびえて暮らす日々。 -
© Sebastiano Tomada/Getty Reportage 民間人の住宅地や、時には医療施設も攻撃の対象となった。
「どこに避難すればよいのか……」との悲痛な叫び。
MSFはすべての紛争当事者に民間人と医療の安全を守るように訴えた。 -
© Sebastiano Tomada/Getty Reportage MSFは今回の紛争以前から各地の病院を支援していた。
空爆の激化で、病院には連日ように負傷者が運ばれてくるようになった。
院内に収容しきれず、門前にマットレスを引いて対応した病院もあった -
© Sebastiano Tomada/Getty Reportage 見る影もなく荒廃したサダアの市街地。
食糧、燃料、医療、生活に必要なあらゆるものが高騰した。
ある小学校教師の証言「生きていくために麻薬取引に手を染めざるを得ない人もいます」 -
© Sebastiano Tomada/Getty Reportage 砂漠に近いイエメン国境の町、アムラン。
ここに設置された一時避難キャンプに逃れてきた人びと。
都市への空爆からは遠ざかったが、ここでは援助を受ける以外に生活の手段がない。 -
© Sebastiano Tomada/Getty Reportage 一時避難キャンプの過酷な環境下でも、子どもたちは時に笑顔を見せる。
ただ、この紛争の目撃者でもある彼らの心の傷は深い。
夜になると物音におびえ、何を食べてもはいてしまうようになった子どももいるのだ。