「もう何も起きてほしくない」 少女と姉の身体に無数の傷が残る

2018年07月19日掲載

一家を襲った悲しい出来事は姉妹の心にも傷を残している一家を襲った悲しい出来事は姉妹の心にも傷を残している

 「今、学校には行ってないの。学校には行ったことない。治ったら行くつもり。勉強もしたいし、お友達もほしい。読んだり書いたりできるようになりたい」

そう語るのは、8歳のブシュラちゃんだ。過激派組織「イスラム国」とイラク軍の戦闘でがれきと化したイラク北部の町、モスル。ブシュラちゃんは市の東部にある国境なき医師団(MSF)の外科・術後ケアセンターで治療を受けている。姉のアノウドさんは18歳。2017年のある日、イラク中部ハウィジャの自宅に爆弾が命中した。モスルの戦闘が終わって1年。アノウドさんは顔にできた傷と、苦しみに耐え続けてきた。「話すのは好き。心と魂が楽になるから」と、アノウドさんは語り始めた。

妹弟を失い、身体には爆弾の破片が残る

膝の治療をうけるブシュラちゃん膝の治療をうけるブシュラちゃん

ラマダンの断食を始めて5日目でした。私たちは一家でハウィジャの自宅の庭に座っていました。その時、隣の家にロケット弾が撃たれたんです。走って見に行き、隣人を全員、うちに連れてきました。その瞬間、私たちの家も爆撃を受けました。

あの攻撃で妹と弟を亡くしました。ほかのみんなもけがをしました。母は脚を失い、私は左眼と手脚に破片が刺さって、脚は折れていました。 一番下の妹も眼に重傷を負い、両手はめちゃくちゃでした。

ブシュラは膝に破片が刺さりました。けががひどく、膝のお皿はなくなりました。頭にも破片が残ったままです。少しでも動かすと命に関わるので、取れずにいます。破片はブシュラの胸と手、それから眼にも残っていて、右眼だけでは真っ直ぐに見えず、顔を左に傾けなければちゃんと見えません。
 

治療できる場所を探し、家族は離れ離れに

モスル市東部にあるMSFの外科・術後ケアセンターモスル市東部にあるMSFの外科・術後ケアセンター

ハウィジャの病院では私たちの治療はできませんでした。それで、シャルカットに送られましたが、そこでもブシュラと小さい妹の治療はできませんでした。私と母はシャルカットに残り、2人はティクリートに送り出されましたが、そこでも治療できず…。キルクークの病院であるNGOに助けてもらい、北東部のスレイマニアで6ヵ月間治療を受けました。この間私たちは離れ離れでした。

別のNGOがMSFの施設に紹介してくれました。ここに来て8日、すごくよくしてもらえます。ブシュラはもうここで2回ひざの手術を受けました。私は脚がまだすごく痛むので、歩けません。昨日の朝、脚のレントゲンと、手に残った破片のレントゲンを撮ってもらいました。

今、末の妹は母と一緒にレバノンにいて、治療を受けています。もう2ヵ月になります。昨晩2人と話したところ、妹の片方の目はもうだめだそうです。でも、両手は手術してよくなりました。もしイラクに留まっていたら切断するしかなかったでしょう。あと8日もすれば、2人はイラクに帰ってきます。
 

MSFでは手術と術後処置のほか、リハビリや心理ケアも行っているMSFでは手術と術後処置のほか、リハビリや心理ケアも行っている

あの時の記憶は薄れています。事件後6ヵ月間は半分眠ったような状態で過ごしていました。いつもの私ではなく、白昼夢をみているような…。父だけが、何が起きたのか覚えていて私に教えてくれます。その父も、脳卒中の発作を起こしました。高齢で、もうずいぶん長い間、キャンプで1人きりで過ごしています。

ブシュラはずっと、お母さんを連れてきて、とせがんでいます。スレイマニアから帰ってからずっと元気で遊んでいたけれど、脚を真っ直ぐにしたり、脚で何かしたりできず、傷は感染してしまいました。
 

聞いてくれる人には誰にでも、医師や援助団体のスタッフにもこの話をしているというアノウドさん。悲しくてストレスを感じるときは、話すようにしている。

ブシュラちゃんは言う。「前は楽しかった。お兄ちゃん、お姉ちゃんがみんないて、一緒に遊んだの。 お姉ちゃん大好き。構ってくれるから。けがが治って、みんな一緒に暮らせますように」

姉妹の願いは同じ。また家族と一緒になりたい、もう他に何も起きて欲しくない——。
 

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