一人一人の人生に焦点を 写真家としての使命

2018年07月12日掲載

「一人一人の人生に焦点を当てたい———」
世界の紛争地に足を運んで撮影を続ける写真家の渋谷敦志さんと国境なき医師団(MSF)の菊地寿加看護師によるトークイベント「人道危機の現場で、人々に寄り添うこと」が6月30日に開かれた。
 

トークイベントの様子トークイベントの様子

世界最大級の写真展「世界報道写真展2018」との連携企画。61回目を迎える今年は、125の国と地域から4548人のフォトグラファーが参加し、7万点を超える応募の中から8部門で22カ国42人の受賞が決まった。
渋谷さんと菊地さんが、入賞した写真作品などと共に、難民や紛争問題について語った。
 

世界報道写真展2018入賞作品から

国籍も人権も奪われたロヒンギャ難民

一般ニュースの部組写真2位 ケヴィン・フレイヤー(カナダ)ゲッティイメージズ
ミャンマーから逃れ、身の回りの物を担いで国境ナフ川のバングラデシュ川岸辺を歩くロヒンギャ難民(2017年10月2日)。
世界報道写真展2018の入賞作品。一般ニュースの部組写真2位 ケヴィン・フレイヤー(カナダ)ゲッティイメージズ
ミャンマーから逃れ、身の回りの物を担いで国境ナフ川のバングラデシュ川岸辺を歩くロヒンギャ難民(2017年10月2日)。
世界報道写真展2018の入賞作品。

渋谷:ロヒンギャ難民の問題は非常に複雑だ。大半が国籍を持っていない。難民であることと、市民権などの本来人権として持っているべきものが剥奪された状態が同時に起こっている。そういう人たちを救うことは国際社会の責任だ。
国内避難民のような、人びとが移動を強いられることも課題となっている。移動を強いられた人たちが、国境を越えるかどうかに関わらず、難民として捉えようとする動きも世の中では出てきている。だが実際は、ヨーロッパもアメリカも、そうした人々と壁を作り、国内に入ることを制限したりしている。日本はこうした問題について議論することも遠ざけている。

自爆テロから逃れた少女

人々の部組写真1位 アダム・ファーガソン(オーストラリア)ニューヨーク・タイムズ
ナイジェリアのイスラム過激派「ボコ・ハラム」に誘拐された少女たちの肖像写真。爆発物をひもで身体に縛り付けられて街中で自爆するように命じられたが、命令を実行する前に逃げ出すことができた。世界報道写真展2018の入賞作品。
人々の部組写真1位 アダム・ファーガソン(オーストラリア)ニューヨーク・タイムズ
ナイジェリアのイスラム過激派「ボコ・ハラム」に誘拐された少女たちの肖像写真。爆発物をひもで身体に縛り付けられて街中で自爆するように命じられたが、命令を実行する前に逃げ出すことができた。世界報道写真展2018の入賞作品。

菊地:1年前に、ボコ・ハラムから逃げてきた国内避難民のためのキャンプで活動した。自爆テロでは、女性と子どもが利用されていた。女性はこうして全身を覆っている。中に爆発物があってもわかりにくい。人の警戒心が低くなるので、簡単に人ごみの中に入って爆発させることができる。女性と子どもが犠牲になっていることは衝撃的だった。

渋谷:自爆テロから生き残った彼女の写真を撮ることは、もし彼女の身元が知られた時に、報復されるかもしれないリスクを伴う。それなのに少女はカメラの前に立ってくれている。少女の勇気に対する尊敬と緊張感が同居している写真のように感じる。また真正面から撮っていることで、真正面から少女の覚悟に向き合うという、カメラマンの覚悟も感じられる。

渋谷さんの写真作品から

内戦の地、アンゴラで

栄養失調の子どもの容体を診察するMSFの看護師=2000年、アンゴラ・ウアンボで渋谷敦志撮影栄養失調の子どもの容体を診察するMSFの看護師=2000年、アンゴラ・ウアンボで渋谷敦志撮影

渋谷:内戦中のアンゴラで、2000年にMSFの仕事で派遣されて撮影した。MSFのフランス人看護師が子どもを診ている。僕は当時20代だった。写真家としてMSFの仕事をさせてもらっていたが、写真を撮ることが苦しかった。看護師である菊地さんのように、直接、人々のために何か役に立つことがないか悶々としていた。僕はMSFになりたかった。その後、現場で会うMSFの医師らから影響うけて、写真家として生きていく覚悟ができた。

菊地:小学生のときに知ったルワンダの虐殺がきっかけで、人道支援の活動がしたいと思った。渋谷さんは「ただ写真を撮るだけだ」と話していたが、私は実際に現地に行っても何かを伝えられるほどの気持ちの余裕がない。活動地でもほとんど写真を撮ったことがない。渋谷さんのようなプロの方に写真を撮ってもらい、広い世界に向けて発信してもらうことは大切だ。 

写真家としての使命

飢餓で苦しんでいた23歳の母親と8ヶ月の赤ん坊が郊外の村からトラックで病院に運ばれてきた=2002年、アンゴラ・バイルンドで渋谷敦志撮影飢餓で苦しんでいた23歳の母親と8ヶ月の赤ん坊が郊外の村からトラックで病院に運ばれてきた=2002年、アンゴラ・バイルンドで渋谷敦志撮影

渋谷:アンゴラの内戦が終わった直後に現地に飛んでいった。ここでは飢餓が起こっていた。戦争によって、生きていく術や力を奪われた人たち、名前が記録にも残らない人たちが亡くなった。苦しみの中を生き抜いた人たちが、今度は飢餓で苦しんでいた。
写真は、MSFが栄養失調の子どもに、特別な栄養治療をほどこしていた現場で撮った。写真の女性も子どもも、極度の栄養失調に陥っていた。特に子どもの健康状態は悪く、生後8ヶ月だったが、体重が3・2キロしかなかった。
飢えた子どももあふれているが、その周りには、このお母さんも含めた飢えた大人やお年寄りがたくさんいた。
僕は、苦しんでいる人たちに対して感情移入しすぎて、心のバランスを失った状態になってしまった。その時、MSFの医師に言われた言葉が忘れられない。
「飢餓を無くそうと思ったら戦争を無くすしかない。でもそれはMSFではできない。それは誰の仕事なのかと言うと、政治家やジャーナリストの仕事だ。そう考えると、医療とジャーナリズムは車の両輪みたいなもの。どちらの車輪が欠けても前には進めない。あなたは、その車輪の一部だ」 

非人道的な状況は日本でも

西成区のあいりん地区、通称「釜ケ崎」の三角公園でボランティアの炊き出しに並ぶ人々=1999年、大阪市で渋谷敦志撮影西成区のあいりん地区、通称「釜ケ崎」の三角公園でボランティアの炊き出しに並ぶ人々=1999年、大阪市で渋谷敦志撮影

菊地:パッと見た時に、日本だとは思わなかった。アフリカや中東の難民キャンプで、人びとが水とは食料の供給を待っているような写真だと思った。

渋谷:大阪ではこうした人たちが冬に野宿をしていると、そのまま凍死してしまう。社会のセーフティネットからこぼれ落ちている人が日本にいる。この年は凍死した人が200人くらいいた。いかに非人道的な状況があるか。この頃から、この人たちを苦しめる根源は何なのかを意識するようになった。
 

一人一人の人生に向き合う

難民として生まれ育ったカレン人の少女=2008年、タイ・ミャンマーとの国境にあるウンピアム難民キャンプで渋谷敦志撮影難民として生まれ育ったカレン人の少女=2008年、タイ・ミャンマーとの国境にあるウンピアム難民キャンプで渋谷敦志撮影

渋谷:ミャンマー・カレン州から逃れた、タイの難民キャンプで出会った女の子。当時10歳だった。難民キャンプで生まれ、国籍がない。ミャンマー人でも、タイ人もない。
2017年にタイで再会したが、不法移民として働いていた。もう二十歳になっていた。だが、やりたいことも、行きたい場所も、ほしいものも何も無いと言っていた。表情も無気力で、なんともやりきれなかった。

今は、一人一人の生き方に焦点をあてたい。

難民キャンプをたくさん回るのではなくて、この子の10年後、この子が今どうしているのかを知りたい。
具体的な固有の名前を持った人たちを通して、いろんな問題を見ていきたい。
 

登壇者プロフィール

 渋谷敦志(しぶや・あつし)
1975年大阪府生まれ。1996年、大学を休学して一年間ブラジル・サンパウロの法律事務所で働く。卒業後、野宿者の現状を取材したルポで国境なき医師団主催1999年MSFフォトジャーナリスト賞を受賞。それをきっかけにアフリカへの取材を始める。現在は東京を拠点に、世界中の紛争や災害、貧困の問題を写真で伝えている。

菊地寿加(きくち・すが)
2008年に静岡県立東部看護専門学校卒業後、国立がんセンター中央病院に5年半勤務。2015年からMSFの活動に7回参加しており、南スーダン、エチオピア、フィリピン、ナイジェリア、シリア、ウガンダへ派遣されている。難民や国内避難民のキャンプ内での感染症対策などの現場を経験。
 

世界報道写真展2018

東京・恵比寿ガーデンプレイス内の東京都写真美術館(03・3280・0099)で開幕中。8月5日(日)まで。午前10時~午後6時(一部、閉館時間の延長有り)。月曜休館(7月16日は開館、翌17日は休館)。入場料金は、一般800円、学生600円、中高生・65歳以上400円。小学生以下は無料。世界報道写真展の公式ホームページはこちら(朝日新聞内ページにリンクします)。