海外派遣スタッフ体験談

自分ができること、やりたいこと、すべきこと 現場では、バランス感覚が必要だと思います

2019年05月30日

村上 裕子

職種
整形外科医
活動地
イエメン、アフガニスタン、パレスチナなど
活動期間
2009年~

年間2000件以上の外傷手術を扱う総合病院の整形外科医であり、2人の子どもの母親。さらに、国境なき医師団(MSF)に参加し各国を飛び回る。村上裕子には、そんな三つの顔がある。MSFに参加を決めたのは、スキルを生かした国際貢献がしたかったから。「整形外科医のスキルを一番必要としてくれたのは、MSFだった。だったら、ここに飛び込んでみようと思った」と笑う。

参加のきっかけ 整形外科医を求めているのはMSFだった

子どもが産まれてから、家庭を中心に医師の仕事を両立していました。仕事に力をいれようと考え始めたとき、以前から関心のあった国際協力や人道援助活動をやろうと決心しました。ボランティア活動とか、途上国に学校を建てるとか、いろいろな取り組みがあると思いますが、自分が得意なのは、医者の仕事。整形外科医として、貢献したいと思いました。整形外科医を一番必要としてくれたのはMSFでした。ここで活動しよう、と決めました。

活動のやりがい 忘れられない「ありがとう」

パレスチナ・カザの病院で手術する村上裕子医師(右)
パレスチナ・カザの病院で手術する村上裕子医師(右)
整形外科医なので、外傷患者の多い活動地に派遣されることが多いです。4度目の派遣で活動したイエメンでのこと。紛争地で空爆もあり、次々と外傷患者が運ばれてきました。毎日15件くらい手術をしていたと思います。手や足を大きく損傷した患者が多く、敵も味方も関係なく、必死に治療にあたりました。
 
ある時、現地スタッフの1人から「ありがとう」とお礼を言われました。私が腕の手術をした患者さんが、大切な友人だというのです。お礼を言われたときに、「こういう瞬間があるから、この仕事は辞められない」と、素直に嬉しかったです。
 
現地では、機材も設備も限られているので、日本でやっているような治療をするのは難しいことが多いです。折れた骨を金属で止めて固定するといっても、機材が全くない場合もあります。見た目で判断しながら、ギブスを巻くことくらいしかできません。日本では治療の通過点でしかない、創外固定ができたら良いほうです。日本とMSFの現場では、治療方法にギャップがあることを、活動前に知っておくと良いかなと思います。

迫られる難しい選択 患者さんの希望に応じた治療を

アフガニスタンの外傷センターで活動する村上裕子医師(左、2013年撮影)
アフガニスタンの外傷センターで活動する村上裕子医師(左、2013年撮影)
自分ができること、自分がやりたいこと、自分がすべきことは違う。MSFに参加して思いました。
 
例えば、手を大きく負傷した患者さんがいたとします。日本であれば迷いなく、切れた血管などを縫合する手術をします。でも紛争地の病院で、手術室が一つしか使えないようなケースではどうでしょうか。
 
アフガニスタンでは爆撃のため、一刻を争うような腹部外傷患者が次々と運ばれてきました。もし日本にいる時と同じような手術をすれば、一つしかない手術室を何時間も使い続けることになります。その間も、患者さんはやってきます。たくさんの命を助けたいと思った時に、「どの選択が最善か」と難しい判断に迫られることもあります。
 
また、MSFの病院では無償で手厚い治療を受けられますが、退院後はそうはいきません。リハビリなどに、時間も費用も掛けられない人もいます。医師ができる治療を全てするのではなく、患者さんの希望に応じた治療を考えることが最善なのだと感じます。

求められているもの 総合的に判断できるバランス感覚

パレスチナ・ガザの活動で出会ったMSFの同僚たちと
パレスチナ・ガザの活動で出会ったMSFの同僚たちと
患者さんが置かれている立場を理解することも必要です。2019年1月から2ヵ月間、パレスチナのガザで活動しました。デモ中にイスラエル軍に撃たれ、負傷したパレスチナの人びとの治療に取り組みました。負傷した足の再建手術などに携わったのですが、患者さんは傷がよくなると、再びデモに参加するというのです。「なぜ危ないところに行くのか」と悲しくなりました。でも彼らの状況も考えると、自分の置かれている環境に対する怒りをぶつける場がないのだな、ということにも気づかされました。
 
他の紛争地でも、似たようなことがありました。治療した患者さんが「治ったら、また戦場にいく」と話すのを聞いて、複雑な気持ちになりました。そうしたことは、現地の状況や、社会的背景まで知らないと、なかなか理解できないことだと思います。
 
MSFでは何が最善であるかを、環境や状況、患者さんの意向など、いろいろなことを総合的に判断できる、バランス感覚を持った人が求められていると感じます。

周囲からのサポート 家族や同僚に支えられて

笑顔を見せながらインタビューに応じる村上裕子医師。
笑顔を見せながらインタビューに応じる村上裕子医師。
参加を決めた時、2人の子どもはまだ小学生と中学生でした。参加が決まると、「なぜそんな所に行くの」と、周囲から驚かれたのも事実です。でも、夫も子どもも多くを語らず、いつも黙って送り出してくれます。それが逆に良いと思っています。活動地では、家族とメールなどでやり取りをしています。たわいもない会話が、意外にホッとできる時間だったりして。家族には本当に感謝しています。
 
外傷センターの副センター長として常勤で働きながら、1年半~2年に1度のペースでMSFに参加しています。有給休暇などを活用していますが、同僚に迷惑を掛けないかと申し訳ない気持ちもあります。参加の1年くらい前から、「この時期に活動に参加したい」と伝えるなど、職場になるべく負担がかからないよう努めています。同僚はいつも黙って背中を押してくれ、感謝しています。

キャリアパス

1989年
札幌医科大学卒
1989~1993年
札幌・函館市内の大学病院などで勤務
1993~1996年
カロライナメディカルセンター(米国留学)
1996~2008年
米国から帰国し、再び札幌市内の総合病院などで勤務
2009年
MSF ナイジェリアで初めての活動
2011年
MSF ナイジェリアで2度目の活動
2013年
神奈川県内の総合病院外傷センター副センター長に就任
MSF アフガニスタンの外科病院で6週間活動
2015年
MSF イエメンで6週間活動
2017年
MSF 再びイエメンで約1ヵ月活動
2019年
MSF パレスチナ・ガザで約2ヵ月活動

この記事のタグ

関連記事

職種から体験談を探す

医療の職種

非医療の職種

プロジェクト管理の職種

活動地から体験談を探す

国・地域