海外派遣スタッフ体験談
医療で世界は変えられない──それでも目の前の命のために アフガニスタン、小児医療の現場から
2023年08月14日浦部 優子
- 職種
- 小児科医
- 活動地
- アフガニスタン
- 活動期間
- 2022年10月~2023年5月
子どもの頃に暮らしたスウェーデンで、紛争から逃れてきたクラスメイトがいたことが国際協力に関心を持つきっかけに。2021年に国境なき医師団(MSF)に参加しイエメンに派遣される。2カ国目となったアフガニスタンでは、ヘラートの地域病院で活動。(写真・本人左から2番目)
小さな命が失われる日々
2カ国目となる派遣先は、アフガニスタン西部の町ヘラートの地域病院。大きな病院の一角で小児医療を担当し、患者の多くは高度医療が必要な重症の子どもたちでした。経済的な理由などから病院への到着が遅れ、たどり着いた時には手遅れということも少なくありませんでした。
ただ、悲しんでばかりもいられません。救えなかった命を前に、「医療で世界は変えられない」と絶望的な気持ちになりながらも、「自分にできることをやるしかない。目の前の救える命を救う。それしかないんだ」と自分を奮い立たせ、活動に取り組みました。
多くのサポートで難病の男の子が退院
栄養失調で入院している患者の中には、慢性疾患や合併症を持つ子も多く、病室のベッドは常に満床。子どもたちが抱えている疾病もさまざまで、生まれつきの心臓病や周産期の合併症による脳性麻痺など、日本でも管理が難しいような重症患者も多く見られました。
印象的だったのは、1型糖尿病という難病を抱えた10歳の男の子です。彼は肺結核にもかかっており、右脚は動脈閉塞で切断の可能性もありました。専門家にオンラインで相談するテレメディシンも活用し、MSFの医療スタッフや保健省の医師たちと何度も話し合いを重ね、治療法を探りました。その結果、なんとか右脚の切断は免れ、最後は自分の足で歩いて退院することができました。
家族のサポートも大きな力になりました。本人とお母さんは字が読めませんでしたが、一生懸命に病気を理解しようと努め、字の読めるお父さんは家庭でのケアについて真剣に勉強してくれました。医療の面だけでなく、アフガニスタンの教育や人びとの生活環境についても考えさせられる貴重な経験になりました。
「戦争の中で生きる」
現地スタッフは向上心が高く、前向きに仕事に取り組む姿勢から、私も多くのことを学びました。ただ、政治的、経済的な理由からアフガニスタンで提供できる医療には限界があることも痛感し、現地の医師や看護師とは悲しい思い、悔しい思いを何度も共有しました。
いつも一緒に仕事をしていた現地の小児科医たちから「こんなにも救えない子どもがたくさんいて、小児科医でいる意味はあるのだろうか。僕たちが医学を学び続ける意味は何なのだろう……」という言葉を聞いた時は、胸が痛みました。
「僕たちは戦争の中で生まれ、戦争と共に成長し、戦争と共に死んでいくと思う。でも僕らの子どもたちの世代は、平和な時代を生きてほしい」。父親でもある彼らがそう語っていたのも忘れられません。きっと彼らの父親の世代も同じことを思っていたのでしょう。変わらないアフガニスタンの姿にやりきれない気持ちになりました。
無駄なことは何もない
MSFに参加する前は、離島での医療活動や東日本大震災の復興支援にも携わっていました。物も人も足りない中での医療活動や自然に抗わない姿勢など、離島での経験はMSFの現場で役に立ちました。
そのようなキャリアを計画していたわけではありませんでしたが、振り返ると多くの経験がMSFの活動につながったと感じます。本当はもっと早く参加したかったのですが、医師として働くうちに体調を崩した期間もあり、紆余曲折を経て、2021年にようやく応募することができました。
MSFへの参加を考えている方には、「回り道しても大丈夫」「無駄なことなんて何もない」と伝えたいです。日本に暮らしていると、寄り道してはいけないと思いがちですが、人生は長いです。たとえ時間がかかっても、遠回りしても、自分なりの準備が整ったらいつでも挑戦できます。ぜひ思いきって一歩を踏み出してほしいと思います。
英語が上達したという実感はありませんでしたが、2年ぶりに会った友人に「MSFで2カ国活動すると別人みたいになるね!」とほめられました。現地の言葉は、病院でよく使う言葉や数字などを中心に覚え、現地スタッフに喜ばれました。