海外派遣スタッフ体験談

月500件を超える圧倒的な分娩数 チームワークで母子の命を守る

2022年12月28日

山下 創

職種
産婦人科医
活動地
南スーダン
活動期間
2022年7月~10月

国連を目指し国際関係を学んでいた大学時代、ウガンダで半年にわたり難民支援のボランティアに参加。「いつかまたアフリカに帰りたい。そのために必要な専門性は何か」と考え、医師になることを決意。医学部へ入り直して勉強し、産婦人科医になった。

数日歩いて病院までたどり着いたが……

アウェイル病院の構内。雨期は水溜りを避けて進む © MSF
アウェイル病院の構内。雨期は水溜りを避けて進む © MSF
南スーダン北部にあるアウェイル病院の母子保健プロジェクトに参加しました。この病院の唯一の産婦人科医として、さまざまな病気で入院している妊婦さんの日々の診療に加えて、帝王切開や子宮外妊娠の手術、また、逆子や双子といった難度の高い出産に対応することが私の役割です。
 
何より驚いたのは、月500件から700件に上る圧倒的な分娩の数です。その中には深刻なケースも多々ありました。南スーダンでは医療機関が少なく交通手段も限られているため、体調が悪化してもなかなか病院に来られない妊婦さんも多く、ようやく受診した時にはもう手遅れというケースも少なくないのです。今回の活動の中で、残念ながら救えなかった命もあった一方で、奇跡的に助かった命もありました。

その一人が、遠方から緊急搬送されてきた10代の女性です。アウェイル病院から東に400kmほど離れたオールド・ファンガクという地域に、国境なき医師団(MSF)の病院があります。数日歩き続けてその病院にたどり着いた彼女は、分娩停止に陥っていて、帝王切開をしないと母親も胎児も危ない状態でした。

チャーター機で400キロの緊急搬送

現地スタッフと協力して行う手術 © MSF
現地スタッフと協力して行う手術 © MSF
オールド・ファンガクの病院では通常のお産は扱うものの帝王切開には対応していないため、「MSFのチャーター機を使用してアウェイル病院へ搬送する」という決断が下されました。

オールド・ファンガクは湿地帯で移動が困難な場所のため、飛行場までのボート、そして飛行機、車と乗り継いで、4時間もの移動です。彼女にとってどれほど壮絶な道のりだったのか、想像することもできません。

アウェイル病院に到着した彼女をすぐに診察すると、子宮は破裂寸前の状態でした。緊急手術に取りかかかり、赤ちゃんを取り出しましたが、残念ながら自分の力で呼吸をすることができませんでした。若いお母さんはそのことが分かっていたかのように、赤ちゃんの死を静かに受け入れていたのが忘れられません。

彼女は、地域の公用語であるアラビア語も現地の言葉も話せなかったため、見知らぬ土地の病院で不安も大きかったはずです。しかし徐々に笑顔を取り戻し、私たちスタッフや周りの患者さんとも身振り手振りでコミュニケーションを取れるようになりました。心配していた術後の感染などの合併症もなく、入院からおよそ2週間後に飛行機で地元に帰れることが決まった日には、本当に嬉しく心からほっとしました。

チームワークで難局を乗り切った

共に働いた同僚たち © MSF
共に働いた同僚たち © MSF
3カ月の活動が終盤に差しかかった頃、ある妊婦さんに、胎盤が剥がれる常位胎盤早期剥離の可能性が疑われました。急がないと、お母さんも赤ちゃんも危ない──。私は緊急手術をすることを決めました。すると、助産師も手術室のスタッフも麻酔科医も、少しでも早く赤ちゃんを取り出せるようにと、誰に指示されるでもなく動き始めました。
 
手術直前に赤ちゃんの心拍があることを確認し、お腹を開けると想像もしていなかった光景を目にしました。子宮が大きく裂け、赤ちゃんが胎盤ごと子宮の外に出てしまっていたのです。急いで赤ちゃんを取り出し、助産師へ引き渡しました。

救えなかったか──と諦めかけた時、「ぉぎゃ」と赤ちゃんのか細い泣き声が聞こえたのです。必死の蘇生を行い、赤ちゃんは無事に息を吹き返しました。

子宮破裂後、奇跡の生還を果たした赤ちゃんと  © MSF
子宮破裂後、奇跡の生還を果たした赤ちゃんと © MSF
一方でお母さんも、大きく裂けた子宮を摘出する大手術を乗り切りました。そして1週間後、親子で元気に退院することができたのです。一歩間違えれば母子ともに命を失っていた緊急事態を乗り越えられたのは、皆の情熱とチームワークで迅速な対応ができたからこそと思います。
 
今回初めてMSFの活動に参加し、たくさんの素敵な出会いに感謝しています。厳しい環境の中でもたくましく生きる患者さんや、笑顔とユーモアを忘れずに熱心に働く現地のスタッフにはいつも励まされました。

今後の道筋を考える機会に

トレーニングの後に助産師たちと © MSF
トレーニングの後に助産師たちと © MSF
アフリカは、私が医師を志した原点です。国連を目指し国際関係を学んでいた大学時代、ウガンダで半年にわたり難民支援のボランティアに参加しました。「いつかまたアフリカに帰りたい。そのために必要な専門性は何か」と考え、医師になることを決意。医学部へ入り直して勉強し、産婦人科医になりました。
 
今回、原点であるアフリカに帰ってきたことで、今後進むべき道筋が見えてきました。産婦人科医としてのより高い専門性とともに、産婦人科以外の救急疾患・熱帯感染症に幅広く対応する柔軟性が必要だということも分かりました。これからもアフリカで周産期医療を必要としている人たちと直接関わっていくために、国内外でさらに研さんを積んでいきたいと思います。

時に辛いこともある派遣中、日本の家族とのビデオ通話が心の支えになりました。離れているせいか大人びて見える7歳の娘の笑顔。いつも「パパ、パパ」と甘えていたのに、画面越しに気丈にふるまう4歳の息子。子どもたちとビデオ通話で話した後、一人こっそりと涙していました。

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